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日常考えたことを書きます

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「渡辺篤史の建もの探訪」「テレメンタリー 「主席への手紙」」

 土曜もほとんどいつも通り出勤ですが、少しだけ遅く出られます。その少しの余裕で土曜見る番組がテレ朝の午前5時前後の2番組。毎回それなりに面白く拝見しています。


「渡辺篤史の建もの探訪」で紹介してくれる家のほとんどが、建築設計をおこなった設計士の紹介か設計士ご自身のお宅でないかと感じています。戸建てに住まない私は、毎度うらやましく思いながら見ています。都会にある狭い敷地に器用に建てた家が多い印象ですが、「うーん、すごいですね」と思うものの、自分で住むのはどうかなです。色々なアイディアには感心しますが、住み心地がいいのかな?老後も安全に暮らせるのかな?
今回は郊外に建てたとおぼしき田島氏のお宅で、まず堂々としたクスノキの大木を前景として、広々した家が広がるのに何とも言えず良い気持ちになりました。コンクリ作りの1階の上に、ぽっぽっと木造の2階がキノコのように屋上庭園に出ているのも何ともいえず爽やかな印象。内部もすてきなインテリアで、いいなあ。調べてみると群馬県・太田市の郊外で、なるほどあそこならこういう大きく開放的な家をつくれるのだと感心しました。関係ないですが、太田市はなぜかあちこちに個性的な戸建てがあります。「スバル」の企業城下町ですが、ある種の文化もあるのでしょうか(巨大キャバクラ街も目立ちますが)。
閑話休題。お子様達はもう成人されたようですが、試合記念のボールやグローブも調度のようにきれいに飾られ、2人とも野球に熱心と出ています。番組には帰省した娘さんだけが出ておりましたが、ご子息はどこに進学したのでしょうか。ご子息の本棚が映り、「数III」参考書があったので理系進学で間違いないでしょう。あの辺だったら県立太田高校卒かな。ご家族も仲が良さそうで、うらやましい環境です。
全然関係ないですが、この番組スポンサーの内装会社「NISSOU」ですが、あの典型的なアメコミ主人公みたいな白人たちが出てくるCMには、毎回度肝を抜かれます。だれの発案か存じませんが、インパクト強いですね。


 テレメンタリーは幾つかの民放の共同制作ですが、毎回興味深い掘り下げがあります。同じように週末朝放映するNHKドキュメンタリー番組の「目撃!ニッポン」があります。こちらは毎回誰かが泣くシーンが出て来て、大変なのだろうと思いますが起床時からトーンだだ下がりになります。見ててしんどい。申し訳ないながら、見ても不愉快な思いが残るので、最近はまったく見なくなりました。
さて今回のテレメンタリー「主席への手紙」の主席は言うまでもなく習近平主席です。「ピンポン外交」を久しぶりに思い出しましたが、その端緒となった国際卓球大会が名古屋であったことは全然知りませんでした。当時のキッシンジャー国務長官の入念な準備でおこなわれた米中国交回復ですが、確かにこの卓球大会は大きな切っ掛けになりました。しかしながら、この名古屋での大会での中国チームはきわめて政治的な思惑に翻弄されていたことを、wikiで初めて知りました。お世辞にもスポーツ選手同士の友好交流とは言えず、周恩来を中心とした中共指導部のしたたかさには目を見張ります。周恩来、そう言えば田中角栄首相との日中交渉で、田中との握手で常軌を逸した振り回しをしていて、驚くと同時にその威圧的な行動に嫌悪感を抱いた憶えがあります。
 この時に活躍した中国選手の1人が荘則棟という人物だったことをこの番組で初めて知りましたが、彼はその後33才の若さでスポーツ大臣までに上り詰めました。ところが「四人組」の失脚とともに荘則棟も文革一派ということで失脚して投獄、妻子にも去られます。そもそも彼の活躍自体が、1968年の文革で中国卓球界の指導者上層が一掃されたためです。荘則棟自身はその失脚後に何とか北京に戻り、このドキュメンタリーの主人公の日本人女性、佐々木敦子と出会いました。その後二人が結婚を希望するや、中国当局は拒否して佐々木は強制帰国させられます。荘則棟が「中国の機密を知っているため」だからだそうですが、何ともひどい話です。その後当時の胡耀邦主席への仲介を得て晴れて結婚できた二人ですが、2013年に荘則棟ががんで死亡した時、中国当局は追悼式や訃報の公表を禁止しました。ここは私が出掛け支度で見てない部分なのではっきりわかりませんが、荘則棟の復活が天安門事件の引き金となった「胡耀邦」のとりなしだったためであることは、想像できます。妻だった佐々木敦子の訴えにも関わらず、荘則棟の名誉回復は依然図られず、佐々木敦子が習近平宛てに書いた嘆願の手紙も無視されています。今年あった、日中国交回復50周年記念の一環と思われる愛知県体育館であった「ピンポン外交50周年記念式典」での佐々木の直訴も、関係者に黙殺されるところで終わりました。
 荘則棟の昔の卓球選手時代の友人が、「彼には罪もあったが功績もあった」と語るシーンが途中にありましたが、重く感じました。時代の波に翻弄されるというだけでは済まない、中国の現在も続く厳しい政治事情の一端を知った思いです。