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医学部進学課程と旧制大学予科制度からの推移

この文章は旧年12月に書いた

の話の後半を分離して、新しく加筆した内容です。


旧制高校は基本的に旧帝大の各学部に進学する制度ですが、幾つかの帝大には予科も置かれました。予科は基本的にそれを付置する大学に進学するためのコースで、旧制高校のように何処の大学でも自由に受けられるわけではないです。国内の帝大や旧六医大で予科があったのは北大だけですが、逆に旧制の私立大はほとんどが予科を設けていました。
 実は今もその残像があります。私は医学部に進みましたが、私が入った大学は当時「医学部医学科」の募集ではなく、「医学部進学課程」の募集でした。なぜ「進学課程」なのかよくわからなかったのですが、実は第二次大戦後になり、GHQの指導で医学教育は医学部進学課程と医学部に分けられたところから始まっています。医学を学ぶためには何処かの大学の学部に設けられた「医学部進学課程」に進み2年学修した上で、さらに専門課程の大学「医学部」を受験する体制になっていました。つまり普通の大学学部とは違う編成だったのです。これ基本的にアメリカの医学校から来る発想で、アメリカでの4年間collegeでliberal arts and sciences(訳すなら教養学部)を修めてから、大学院相当のmedical schoolを受験する制度を踏襲していました(collegeとmedical schoolは完全に別の学校で、医学を学ぶ前に幅広い教養教育が必要とアメリカでは考えられている)。日本では、新制国立大のみならず旧制高校から新制大学に移行した医学部がない私立大の一部にも「医学部進学課程」が新たに設けられました(武蔵大、成蹊大、成城大など)。これは国立大医学部は他大医学部進学課程修了者も受験でき(というかそれが推奨されていた)、また私立大医学部一部には医学部進学課程がなく他大の医学部進学課程修了者を募集していたためです(東京慈恵会医大や日本医大など)。GHQ(=アメリカ)の指導の理にかなっていますが、医学部進学課程は2年で修了なので、それが設置された大学を卒業した型にはならないという問題がありました。また国立大では医学部進学課程は医学部とは別学部に置かれることになっていたようで、理学部に多かったようです。しかし当時から医学部進学熱が非常に高く、医学部進学課程以外の理学部入学者でも医学部を受けようとする者が多くなって理学部教授陣の不満が強くなりました。それに母校のように旧制私立大医学部で予科があったところでは予科の代わりに医学部進学課程が設置されたところも多く、そういうところでは進学課程は医学部に付置される形式になり、実質無試験で医学部に進めました。医学部進学課程は制度的にさまざまな矛盾が多くなったため、1960年頃までには多くの医学部進学課程は医学部に付置される形式になり、医学部進学課程は実質その医学部単独の教養課程となりました。しかし医学部進学課程が正式に廃止されたのは1991年で、私が受験したのはその前だったのです。
 ちなみに私入学時の頃、医学部進学課程が2年でした。我々はそれを「予科1」、「予科2」と言い慣わしていましたが、これ戦前から連綿と続く予科制度の名残だったわけです。いずれにしても「予科」の2年間は自由で遊びが多かったと同時に、広範な知識を学ぶのに絶好の機会でした。教養教育はその後の自分形成に重要な機会だったと、40年経つ今しみじみと思います。今母校でも完全な教養教育は1年間のみとなっていますが、その1年生を「予科」といまだに呼んでいるのかな?しかし、いかに専門課程の内容が多くなったため、文科省の教養教育縮小方針のためとはいえ、教養教育の機会が少なくなっていく日本の高等教育は大丈夫なのかと不安になります。
 旧制高校では語学が非常に重視されたせいで、戦前は2カ国語以上の外国語を操れるエリートは多かったようです。しかし今1年の教養課程で新しく学ぶ第2外国語を完全に修得できる学生はまずいないでしょう。日本の外国語教育は英語一辺倒で、小学生からですら英語を学ばせようとしています。一方英語以外の外国語修得はますます軽視され、欧米の知識層で割合見られる3カ国語以上操れる人材は日本では非常に少なくなると思います。単に「日本は第二次世界大戦前までのように、欧米からの輸入学問にすがる時代ではなくなったのだから、外国語は英語だけでいい」とは思えません。いかにAIや自動翻訳が今後進歩するとはいえ、各国の言語のニュアンスを細かく伝えるのは至難です。社会活動のグローバル化が進むことと、英語のみで共通コミュニケーションを図ることはまったく別次元でしょう。日本人がどんなに英語を話せるようになったとしても、日本語を話す日本文化の存続とは関係ないです。また自分の脳で複数の言語を処理する力は何かもっと別の重要な意味があるのでないかと私は感じます。医学部進学課程にとどまらず大学教養教育体制でこのままでいいのか、こういった面からも私は不安を感じています。