京都大学の数学科卒の人が「大学の数学は難し過ぎて全然意味がわかりません」と言っていたのですが、京大生でも難しいと感じるものなのですか?
数学の能力に先天性要素はない? 〜信用できません(苦笑)
数痴と受験数学
Quoraからの配信ですが、「大学の数学は難し過ぎて全然意味がわかりません」に関連したこの質問には興味を持ちました。回答を見てみましょうか。
まず長いけれど、共感する回答。名古屋大を出ている方のようです。
Masa Ishiguro
「大学への数学」という参考書はあっても「大学での数学」という参考書はなかったなぁ。大学での数学について所感。
数学の深淵に一度でも足を踏み込めば最後、後は生者と死者しか出ません。大学の数学で挫折する人はめちゃくちゃ多いです。
ちなみに、日本人が高校までで体験する数学は、せいぜい江戸時代中期ごろに確立された数学までで、例えば……うーん、どれが高校生で習う数学の一番最新になるのかな? みんなが躓く「虚数」なんてのは1770年ごろの話です。日本では元禄くらいですね。犬が殺されなくなった頃です。これが一番新しいかな?
難しいとか言われる高校の微分積分なんてのは、更にその100年くらい昔の話。
ということで、高校生はせいぜい18世紀中ごろの数学までしか習わないのですが、残りの19世紀、20世紀こそ、数学的には学問が花開く時期です。指数関数的に数学が広がっていきます。カンブリア紀みたいになります。さらに言えば20世紀中後期は、新しい数学の歴史も始まり、それまでの数学の延長線にすらない数学も登場します(ぶっちゃけ、そのほうが履修は楽なので、そっちに行きました)。
つまり大学で体験する数学は、その後の数百年分であり、卒業するころに、運が良ければ、現代の数学までに追いつけます。
大学では高校で習ったものに固執すると理解不能になっていきます。縦に積分できないなら横に積分するとか、見えている範囲から数式を作っちゃうとか、いやそれだけならいいけど、素因数分解が1通りじゃないものが出てきたり、高校で習った約束事が使えない、理解の断絶が起こります。
「教授が何を言っているのか分からない」「黒板に書いてあることをとりあえず写したけど、正確に写せているかどうかも定かではない」「何が理解できていないからこうなったのかさえ分からない」「分からないことだけが分かった」
という、人生で初の落ちこぼれの気持ちを味わうようになります。魔法をかけられた感じですね。
京都大学のレベルだと、「高校で数学がとてもよくできる」程度のレベルでは、理解がついていくのがせいぜいかもしれません。名古屋大学でも、高校まで数学に自信のあった人が、過去問を暗記していく姿を見て、がっかりしました。ただ、本気で理解しようとすると、数学ができる子でも、今のペースでは難しいと思います。京都大学の生徒には、もう少し期待したとしても、全く理解できなくなる人が一定数いるのは、致し方ないでしょう。
僕も、最初に受けた大学での数学の授業で、その数学と高校までの数学の差を感じて、その間の数学を埋める勉強をし直したことがあります。よく卒業できたなってくらいに何も分かっていませんでした。高校までに持っていたイメージも邪魔をしましたので、捨てました。
ついていけるレベルの子は、どういう子かというと、数学という世界そのものに理解が向いている子たちです。「解き方を知っている」「公式を使いこなせる」とかとは別次元の数学が好きな人たちです。中には不思議なことに受験数学が苦手だった子も混じっていました。
気のせいかもしれませんが、お気に入りの素数を持っている人は多かったように思います。
高校と大学の数学の間には距離があり過ぎるというべきですかねぇ。あそこからなんの補助もなく踏み切って、大学の数学がついて行けるのは、なかなか難しいかも…。
そんなところじゃないですかね?>大学教授の皆さん
さらにこの下は禿同。「理解が進めば進むほど、上には上がある(いる)ことを知る」は本当にそうです。
morioka kazuo
(震えながら)
解っている人ほど解らないっていうから、鵜呑みにするんじゃないっっ!!
下のも同意します。大学の数学は初級でもN次元がやたら多くなる。
Kussy Ikyu
結論から言うと、大学の数学科の数学は京大生でも難しいものだと思います。
京都大学には世界でもトップレベルの数理解析研究所があり、以前はフィールズ賞を受賞した森重文氏が所長でした。従って、数学科ではそれなりに高度な内容を学ぶことになるのでしょう。
工学部でも大学の数学は、高校レベルとは違います。高校レベルの数学で、公式を覚えて解くことが得意であっても太刀打ちできません。高校レベルの公式を覚えるのではなく、導き出す事が容易にできるレベルでも工学部の数学には手を焼くでしょう。ましてや、数学科では、さらに高度な「定理」や「理論」を構築することが出来るような教育を行うはずです。定理や理論の構築は「一般化」と言うことが必要になります。例えば一般人は2次元、3次元という、紙の上で描いたり、頭の中で具体的なイメージが描けるところまでは理解しますが、数学ではそれを一般化して「n次元」で議論を進めて、nにどのような数字が入ってもなり立つような理論を構築するということです。従って、より抽象的な議論を進めてゆく事になります。あるところで工学部の人間が具体的な話から説明していくと、数学者が「内容が具体的すぎて分からないので、もっと抽象的に話してほしい」と言ったそうです。
高校の数学が得意であっても、決して数学科は目指さない方がいいでしょう。
「数学セミナ-」という雑誌の「エレガントな回答を求む」という問題をみてください。
このレベルの問題を高校生の時に解ける人が、大学の数学科に進んで問題ないレベルだと思います。
森重文氏は高校生の時には、そのような問題を本当にエレガントに解答していたそうです。
Ogawa Kimihiro
私は工学部の方でしたので、大学の数学の講義は抽象的過ぎて非常に分かり難かったです。高校までとは格段にレベルが違います。ですが、教授の講義そのものが下手くそなのが問題だと思いました。と言うのは、就職後そのような数学を駆使する業務に着いたのですが、やはり大事なのは具体的な例題を考え理解することです。例題に触れることによって、抽象的で訳の分からなかった数式の意味が理解出来るようになりました。一旦腑に落ちると後は案外楽です。
京大ならでの回答もありました。
Chat Katze
理学部の同期が同じことを言ってました。京大というのは数人の天才に向けて講義を行いますから,その他大勢の京大生が理解できない高い水準の講義内容なんです。ノーベル賞やフィールズ賞を取る人間を輩出できればいい,という考え方なのでしょう。入試もそうなってますよ。天才を採る入試。
フィールズ賞というのは数学の分野のノーベル賞みたいなものでして,日本人まだ3人しか受賞してないのですが,この内2人が京大なんです。
フィールズ賞
日本人のフィールズ賞受賞者一覧 受賞年 氏名等 備考 1990年 森 重文 (京都大学卒) 京都大学数理解析研究所(受賞時) 1970年 廣中 平祐 (京都大学卒) 米国ハーバード大学(受賞時) 1954年 小平 邦彦(東京大学卒) 米国プリンストン大学(受賞時)
京大には数理解析研究所というのがあって,数学の研究機関として世界ランキングのトップ3にランキングするような所。こんな大学院が上に控えてるのだから,京大理学部の数学がむちゃくちゃ難しいのも納得がいくのです。
うちの子供が京都大理学部に入って、初級の解析学の演習に出たときの感想とそっくり。
下のも同じ。
伊藤 智哉
ぶっちゃけ、解析学の可微分の議論とε解読で早速躓いてやる気が萎むと基本的な物理数学をコツコツやろうという気が薄れてしまい散々なことになりかけましたな・・。☂でも🌬でも槍が降っても、🦇に襲われてても出席を続けた語学のお陰で教養通過出来ましたけど、いまでも理解不能なものがかなりあります大学の数学。。
因みに入試問題で云うと、京大数学の方が大学数学に適応出来る人を選べるんじゃないかって、素朴な感想。東大数学は優れた経理マンを育てそうな・・(失礼!)
最後のは受験数学からすると意味深です。東大入試の数学は異常に計算量が多い。確かに処理能力の高さの測定にはいいけどね。
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