「70歳を超えても働きたい」 〜本当か!
今週読んだ新聞で無署名のコラムにだいたいこういうことが書いてありました
還暦を超えた友人達と話したら、大方は70を超えても働きたいと言っている。お金の問題もあるかもしれないが、社会に帰属していたいというのが大きいようだ。これからもっと働いていきたいものだ。
!!!!!本当か!!!!
あまりに驚愕の内容でしたが、私は絶対に嫌ですね!そもそもなんで働いていないと社会に帰属してられないのか、よくわからん。もっと言うと、なんで社会に帰属していたいのかもよくわからん。他人と接して何か言ってもらってないとその年になっても自我が保てないのかな?自分にとっては理解の範囲外なので、そういう人は捨てておきます。
しかし現実問題として「お金が必要」が、70歳を超えても働く理由でしょう。この記事でも「2019年には老後資産として2千万円が必要という話もあった」と書いてありました。言い方が他人事で切実感がないな。あなた、たった2千万円の貯蓄で、いくら年金があると言ったっていったいどれくらいの年数生きるつもりですか?です。年寄りは自分の生活だけでは済まないことも多く、子どもの結婚や孫の就学などそれなりに「お祝い」という支援金を渡す機会もあります(天涯孤独なら関係ないけど)。そうね、80歳前で死ぬならそれでいいかもしれんけど、それって上の言からすると「死ぬまで働く」ということになります。
このコラムの記載で感じたのは、「シニアが働ける仕事のイメージがきわめて漠然としている」こと。自分自身の実感を言うと、65歳までは認知症になる人は珍しいです。だから65歳以下で認知症になることを「若年性認知症」と呼び、特別な扱いをしています。しかし、それ以降認知症はどの程度の割合で増えていくのか?和田秀樹氏が「超高齢者の病理解剖の結果から、85歳以降の全員が脳萎縮を示し、認知症である」と書いているのを読みました。私の知る例からすると、「85歳を超えても認知症でない人」はかなり少ないですがいることはいるので、100%ではありません。しかしきわめて稀なのでしょう。じゃあ、それまではどういう推移か?私の実感を言うと、「65歳から70歳の範囲では約10%がMCI(Mild Cognitive Impairment 軽度認知障害)も含めた認知症」です。大事なことなのに何度言っても憶えてられないといった程度から数ヶ月前した仕事を「それをした」ということまで完全に忘れているまで様々ですが、我々の仕事からすると「あれ?」と感じるレベルです。最近カードやスマホ決済が増えて見掛けなくなりましたが、スーパーレジで現金を幾ら出せばわからずまごまごするお年寄りを見るのは辛かったです。70代はほぼ一直線に誰も彼も認知症になっていくと思えばいいでしょう。そういう確実に衰えていく認知機能で働くとなると、少なくても知的職業は無理です。単純作業が中心になります。スーパーのレジ打ち(最近は打たなくて済むから楽)、早朝の清掃作業とかビルの警備員とかでしょうか。最近午前4時台の始発電車は、外国人労働者以外は高齢の方々が多くを占めています。
読売の「人生案内」にこんな相談質問がありました。
70代前半の男性。最近、スーパーでアルバイトを始めました。
このスーパーでは高齢者が多く働いています。入荷した商品を並べるのが主な仕事です。多くの高齢者を低い賃金で雇って人件費を抑え、営業利益を出していこうという会社の方針のようです。そうした会社の方針があるものの、働いている従業員、特に若き女性従業員は、高齢者のアルバイトをいじめています。「自分は正社員。お前は高齢者のアルバイトだろう」という態度で、はたから聞いていても「ちょっと言い過ぎだ」と思うような言葉遣いで接しています。「注意してやろう」と思う時もありますが、私も高齢者のアルバイトなので、どうしたものかと思います。
私は40年間、管理職で部下を使ってきたので特に感じるのですが、このイライラをどうしたらよいでしょうか。(埼玉・G男)
それに対してお答えはこうでした。
小川 仁志 (哲学者)
高慢な若い正社員が高齢者のアルバイトをいじめている。そんな時、年配者はどのような態度を取ればいいのか。
近世フランスの哲学者デカルトによると、人が高慢になるのは、他者から受ける損害を過大視するからだといいます。若い正社員も、きっと高齢者のアルバイトに対して偏見があるのでしょう。彼らのせいで迷惑をかけられると。でもその結果あつれきが生じてしまう。ならば最初から損害など大したことないと、もっと謙虚になった方が得だと思うのです。デカルトは、そうした寛大な態度のことを 高邁 と呼びます。その方が物事はスムーズにいくのです。
したがって、もし何か助言するのなら、もめた方が損ですよと伝えてあげることでしょう。ただしその場合、自分自身がまず高邁な精神になる必要があります。自分が高慢だと、相手も聞く耳を持ちませんから。
相談者は、「特に若き女性従業員は」「注意してやろう」「管理職で部下を使ってきた」などと表現されているので少し心配です。ご自身のイライラの解消のためでなく、誰もが気持ちよく対等に働ける職場環境のために、自分の経験を生かしていただければと思います。
小川氏が最後に述べた助言はわからないこともないですが、相談者が憤りを感じる高齢者苛めは事実でないかと私は感じます。「雇ってやってるというのに、老いぼれは飲み込みが悪くてイライラするわあ。まあ鬱憤晴らしにはいいから、ちょいといたぶってやるか。うひひ」じゃないでしょうか。働く中高年の女性に特有な底意地の悪さを、今の高齢男性はほとんど知らないと思うので、余計に大変でしょう。男女雇用均等法が施行されたって、実際の男女差別は厳然として今もあります。そういう恵まれない境遇で働き続けた中高年女性が発する「妬ましい」光線ビームは、殺人的威力ですよ。
Old soldiers never die,
Never die, Never die,
Old soldiers never die
They simply fade away.
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」はマッカーサーも退任演説で引用した有名な文句です。しかし今の時代は老人は消え去ることさえできず、若者の前で無様な姿を晒し、嘲笑を受ける仕打ちに耐えなくてはならないようです。
上記のコラムを書いた人はおそらく還暦になったくらいで、これから押し寄せる高齢の苦しみをまったく理解してないと思います。例え認知症になるのが運良く遅かったとしても、がんや心臓病にかかってまともに動くこともできなくなるかもしれません。また身体機能の衰えから不慮の事故に遭ってしまい、まともに歩けなくなる可能性だって十分にあります。そこまでいかなくても歩みは遅くなり、膝や股関節がすり減って痛くてよぼよぼ歩きになり邪魔者扱いされます。あまりに能天気すぎる発言で、失笑を禁じ得ません。
最後に今週日経で小池真理子が述べたコラムを引用します。
私の父は、70代でパーキンソン病を発症した。まもなく歩けなくなり、指が震え、口腔(こうこう)や喉の痙攣(けいれん)のため喋(しゃべ)ることも叶(かな)わなくなった。意思疎通ができないまま施設で暮らし、85歳で力尽きた。
過酷な晩年だったと思うが、総じて意気軒昂(けんこう)な男だった。息を引き取る直前まで、元気になったらドイツのロマンティック街道を歩きたい、と文字表を指さしながら「語って」いた。歩けるわけないのに、とは思わなかった。命の最後の昂(たかぶ)りが私には嬉(うれ)しかった。
「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹をするしかない」と主張した、若い学者がいる。過激発言の裏にどんな意図があったのか、よく知らない。言いたいことを言っただけのような気もするが、その殺伐とした傲慢さが魂の汚れのようなものを感じさせて、やりきれない思いにかられる。
医療従事者の中にも、「老人は優先的に死んだほうがいい」と主張する人が少なからずいる。背景を知れば理解できないわけではないが、そこにも私は上に立つ者の傲慢さを感じる。自分の親きょうだいが、自分の配偶者が、自分の恋人が、あるいは自分自身が、優先的に死ななくてはならなくなった時も、断固として同じことが主張できるのなら別だが、たぶん違うだろう。
衰えていくこと、病むこと、死に近づいていくことが、切り捨てられ、ぞんざいに扱われている。単に老いた政治家を追い出したいのなら、正面からそうすればよい。思想的先導者となって、若者たちに決起を促してくれればよい。生と死は神秘である。計算高く振り分けることなど、到底できない。
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