gillespoire

日常考えたことを書きます

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

「日ソ戦争」 〜読むのがつらい



この本を読んで思ったのは、「北方領土は二度と日本に帰って来ない」です。ロシアという国がいかに暴力的でその欲望のままに500年以上も突っ走ってきたかという歴史を改めて意識させられました。


 まず第二次大戦前から戦争中にいたるまで、日本の指導部で本当にソ連という国家の恐ろしさを認識していた者は、ごく少数だったのでないかということです。1945年5月にドイツが連合国軍に占領された時点で、もはや日本にはまったく勝ち目はありませんでした。本当は7月のポツダム宣言を待つまでもなく、5月のベルリン陥落後にトルーマン大統領が発した「無条件降伏」の勧告を受諾すべきだったと思います。しかし、日本の鈴木貫太郎政府は逡巡し、日ソ中立条約を頼りにしてソ連へ講和仲介を期待していたのです。1941年に成立した日ソ中立条約は第二次大戦開始の早い時点で将来のドイツとの開戦を想定し、後顧の憂いを断つために締結した条約といっていいでしょう。ベルリン陥落となった時点で、ソ連には何のメリットもない条約なのに、これにすがってアメリカへの取りなしを期待していたわけです。


 もうね、当時の日本で指導的立場にいた軍人や政治家の中に冷徹な国家戦略を理解していた者は誰一人としていなかった事実を知り、愕然としました。どうしてこんな単純なことが理解できない?鈴木貫太郎だけでなく、木戸幸一、東郷茂徳、廣田弘毅みな同じです。ロマノフ朝のロシア帝国が終焉し、新しく成立した革命国家ソビエト連邦は数々の外交戦略でウソと謀略を繰り返してきました。第二次大戦開始の1939年8月にドイツとソ連は独ソ不可侵条約を締結した上で、1939年9月1日、ポーランドに侵入し「電撃戦」を展開しました。ドイツとソ連でポーランドを半々で占領し、さらにバルト三国などを併合しましたね。これらの国々はソ連に対して何ら敵対行動をとらなかったのにです。さらにフィンランドに対し、国境地帯の領土割譲と基地提供を要求し、拒否されるとソ・フィ不可侵条約を破棄し、同年11月30日侵攻を開始します。フィンランドは果敢に闘いましたが、結局カレリア地方など東の広大な領土をソ連に奪われて現在に至ります。当時のソ連を指導していたスターリンの異常に残酷で執着する性格を知っていれば、彼の「お慈悲にすがる」なんてあり得ない。


 その後1945年8月9日、原爆で戦争終結を急いでいたアメリカの隙を突くようにソ連軍は日本に宣戦布告をおこない、満州や北方領土に侵攻します。満州国は日本の傀儡政権だったとはいえ、入職していた非戦闘員の日本人に対してソ連軍は暴虐の限りを尽くしました。関東軍はまったく頼りにならなかった理由も考察されています。森繁久弥、赤塚不二夫の証言がつづられています。そして樺太と千島列島の占拠。あり得ないくらい残酷な事件の連続です。しかし、千島列島における日本軍の強い抵抗がなければ、北海道すらソ連に占領されていた可能性を知り、寒気を感じました。もし北海道がソ連に占領されていたら、日本は2つの国に分かれていたと思います。


 そして第二次大戦後のソ連軍による日本兵のシベリア抑留。スターリンの無差別といっていい人民の殺戮によって欠損していた人員の穴埋めに、日本人たちは働かされたといって過言ではありません。私の伯父も兵役に取られて、シベリアに2年間抑留されていました。もう随分前に亡くなった伯父ですが、抑留中の話をもっと聞いておくべきだったとつくづく後悔しています。


 安倍晋三氏がウラジミール・プーチンを下関に呼んだ時、プーチンのヘビのような無表情と安倍氏のおずおずとした微笑を思い出します。プーチンもジョージアの不法な占領に始まり、現在のウクライナ戦争に至るまで、その露骨な領土拡張欲を隠そうとしていません。考えてみれば、16世紀のイワン三世、17世紀のピョートル一世、18世紀のエカテリーナ二世(彼女はドイツ人でしたが)、19世紀のニコライ一世と歴代のロシア皇帝たちはやりたい放題の領土拡張をおこない、かつ似たような残虐な性格を遺憾なく発揮してきました。どうしてこんな国の人間を信用できようかというのが感想です。あまりにも甘い発想で、根拠のない期待感ばかりで先導してきたのは、戦前・戦中の日本軍人・政治家だけではありません。この無惨な日本の敗退の歴史は、今を生きる日本人も深く理解しないとなりません。


「日ソ戦争」麻田雅文著 中公新書 2024年4月刊行