「言論統制」 〜鈴木庫三は無罪なのか?
本書は第二次大戦直前から戦中にかけて陸軍の教育や情報統制に関わった鈴木庫三(くらぞう)の生涯を軸に、陸軍によるマスコミの言論統制を詳しく記録・分析しています。「増補版」とのことで2004年に刊行された新書の改訂版ですが、なんと500ページ以上あります。新書としては異例の大著で、読みとおすのに苦労しました。と申しますか斜め読み箇所も多数ですが、私なりの感想を述べます。
まず著者佐藤卓巳氏が主張したいと思われる論点は以下です。
1 第二次大戦が近づくにつれて厳しさを増した陸軍による情報操作は「弾圧」とは言えず「統制」であった
2 情報統制で「悪代官」役となった鈴木庫三氏は悪人ではなく、「教育」という職務に熱心であった
佐藤卓巳氏の主張についての評価は後にするとして、陸軍の「言論弾圧」事件としてもっとも重大だったのは「横浜事件」でしょう。横浜事件をwikiから引用します。
横浜事件(よこはまじけん)は、第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて、治安維持法違反の容疑で編集者、新聞記者ら約60人から未確認者を含めれば90人ともいわれる容疑者が逮捕され、拷問等により4人が獄死、保釈直後に1人が死亡、負傷者30人を出した、日本の一連の刑事事件[1]。約30人が起訴され、既に終戦後となる1945年8月から9月にかけて有罪とされたが、有罪判決後の同年10月15日には治安維持法が廃止、同月17日には終戦による大赦で、起訴された者はいずれも大赦を受けるか免訴されることとなった[2]。戦後、取調にあたった元特高警察官らは被害者らから告訴され有罪判決を受けたが、こちらは判決直後の1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効による大赦で刑に服することはなかった。
横浜事件の残虐な行為については2019まで遺族により裁判が続きましたが、結局うやむやにされてしまったと感じます。実は戦中最大のこの「言論弾圧事件」には鈴木庫三は関係していません。というのは、鈴木庫三は第二次大戦開戦間もない1941年、陸軍報道部からはずされ、満州のハイラルにある学校に左遷されているからです。この左遷について大著である本書は何も分析していません。明らかに情報部内で意見の相違があり、鈴木庫三が負けたことは確かです。しかし陸軍情報部に限らず、省庁は一個人が支配する組織でなく、構成する組織人が一体化しています。従って、鈴木庫三が直接横浜事件に関与してないとしても、彼のそれまでの言動・行動は、当然そういう事件に発展してもおかしくなかった要素を含んでいるはずです。しかし、横浜事件への直接関与がなかったために鈴木庫三は戦後の言論弾圧の責任追及の中心からはずれてしまいました。戦後の公職追放はされましたがサンフランシスコ条約締結の恩赦でそれが解除されると、鈴木は隠棲先の熊本県大津町の公民館長に就くと同時に、町内の青年教育にも青年学校を開設して力を入れます。農業青年の使命を説き、民族の個性の大切さを自ら編集人として刊行する「大津弘報」にも書いています。つまり、鈴木庫三は自分の「陸軍時代の行動・言動」について何も反省することはなかったのです。
本書は鈴木庫三の生涯を追いかけています。1894年茨城県南西部の明野町の大きな農家に生まれますが、10人兄弟の7番目だったせいか近隣の子に恵まれない小作人の養子に出されます。高等小学校を卒業した庫三は、貧しい養家の鈴木家のために働きます。しかし立身出世の大望もだしがたく、弟妹が育って後の目処がついた16歳、ついに師範学校を受けて合格し進みます。その後陸軍砲兵工長の試験を受けて合格して砲兵工科学校に入学し、陸軍キャリアの道が開けます。その後数回の受験失敗を経て陸軍士官学校に進むと、順調なキャリアを積んでいます。まさに刻苦勉励そのもので、鈴木庫三が死ぬほど勉強に打ち込んだ様子がうかがえます。しかし陸士卒の士官は軍内では中堅層を構成します。トップに立つには「陸軍大学校」に入らないとなりませんが、残念ながら鈴木庫三は陸士卒の段階で陸大受験の年齢制限にかかり、断念することになります。やはり貧農の出身のために最初のキャリアスタートが遅かったのが響きました。
しかし、鈴木庫三は士官学校を出た後、日大の夜間学校に通って勉強を続けます。その後陸軍中尉となっていた彼は1930年、東京帝国大学に陸軍派遣留学生として3年間の勉学の機会を与えられます。実質的に「帝大卒」の資格も得たわけで、鈴木庫三の立身出世は大成功と言えるでしょうか。ただ彼が帝大で修めたのは「教育学」で、エリート組が行く法学や経済学ではなかったです。元々軍内の内務班教育の改革をしたかった鈴木庫三には合っていたといえますが、陸軍派遣留学生出世コースからみると傍流だったのです。さらに陸軍では「天保銭組」つまり陸大卒が幅をきかせており、天保銭組でない者の出世には限界がありました。こうした状況に鬱屈した庫三の心理が、後に陸軍情報部で言論界にあらゆる難癖をつけ、操作しようとした動機になったのでないかと「私は」感じます。
しかし、著者の佐藤卓巳氏は鈴木庫三に好意的です。講談社などの言論界の大手には不満分子も沢山いて、彼らが陸軍情報部に「密告」する型で邪魔な同僚達の追い落としを図っていました。だから陸軍の「言論弾圧」ではなく「言論統制」だと言いたいようです。また鈴木庫三の言論界への干渉は多岐にわたっていますが、私が注目したのは「科学」関係です。もともと数学が得意で出身も砲兵工科学校だった鈴木庫三は理系の人間とみえます。「新”科学戦”を解剖」という演題で、鈴木庫三が軍の機械化について講演している報道も、本書は掲載しています。鈴木庫三は理工系の研究と陸軍の結びつけにも相当な関心があったのでないかと感じますが、本書にはそれ以上言及はありませんでした。
貧農から出世したとはいえ中堅将校に過ぎなかった鈴木庫三がいかに言論界で強権を振るったかについてよくわかりました。しかし食い足りないのは、陸軍中枢と言論弾圧の関係の歴史が本書だけではよくわからない点です。もう少し関連する書籍の読破も必要と感じました。
「言論統制」 佐藤卓巳著 中公新書 2024.5.25

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