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青山透子氏「日航機は撃墜」 〜死者の冒涜をやめよ

ポワール


本日も「あの日」と同じく、暑い日となりそうです。1985年の日航機墜落は衝撃的な事件でした。墜落の翌日、遺族のひとり美谷島邦子さんが御巣鷹山に登り、テレビクルーのインタビューに答えていたのを見ました。急勾配の尾根筋一面に飛行機の残骸が散らばる中、「ここに来て息子がもう生きてないのだとわかりました」とタオルで涙を拭いながら言うのを見ました。後で知りましたが、美谷島さんの次男健君は高校野球を甲子園で見るために、初めての飛行機旅だったのですね。野球が好きになった本人の希望とはいえ、一人で行かせてしまった事に美谷島さんは母親として一生悔いがあるでしょう。いっそ一緒に乗って一緒に死にたかった。私も親として、その気持ちは痛いほどわかります。


 垂直尾翼の圧力隔壁とは如何なる構造なのかまったく知りませんでしたが、その破壊の結果垂直尾翼制御に致命的な障害を受け、御巣鷹山に墜落しました。「主翼が無傷でも垂直尾翼が壊れると飛行制御できなくなるのか」と驚いた憶えがあります。あれから39年経ちましたが、今年も追悼のニュースが出ました。しかし、その中に心がざわざわざする記事が出ていました。集英社オンラインから引きます。


日航機墜落事故から39年…元JAL客室乗務員が、今も「事故ではなく事件」と言い切るワケ「レコーダー開示訴訟では裁判長が突然交代するなど、不可解な点だらけです」


1985年8月12日午後6時56分すぎ、乗客、乗員合わせて524名を乗せた日本航空123便(羽田発~大阪行)が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落し、520名もの命が奪われた。事故調査委員会はボーイング社の修理ミスによる後部圧力隔壁(飛行機の後部位にある、客室の空気を漏らさないための蓋構造物)の破壊と事故原因を結論づけたが、これに長年、異を唱え続けるのが、元日本航空客室乗務員の青山透子氏だ。「墜落は事故ではなく事件」と言い切る彼女を直撃した。

はあ?何?

垂直尾翼に当たったのは自衛隊のミサイルだった!?


──青山さんは圧力隔壁の破壊ではなく、垂直尾翼(後部に設置され飛行機の左右のバランスを保つための縦方向の翼)になにかが当たったのが事故の原因と訴えていますが、その根拠はなんでしょうか?


2013年に運輸省の航空事故調査委員会が作成した「事故調査報告書別冊」がネットにアップされ、飛行中の123便の垂直尾翼に、突如外部から11トンの外力が加わったとはっきりと書いてあったんです。決定的証拠です。圧力隔壁の破壊ではなく、最初に垂直尾翼が破壊されて操縦不能に陥ったのです。


──なにが当たったと考えられるのでしょうか?


当時、防衛庁は国産ミサイルの開発に力を入れていました。「自衛隊がオレンジ色に塗られた模擬ミサイルで試射実験を繰り返し行なっている」と事故前日の新聞にも出ています。実際に123便の垂直尾翼の一部を相模湾から回収した護衛艦「まつゆき」も事故当日に出航しています。記事にあるように模擬ミサイルの試射を行なっていてもおかしくはありません。

読んで、ものすごく腹が立ちました。自衛艦「まつゆき」の話は、事故直後すぐにニュースにも出ましたが、ミサイルなど搭載してなかったことがすぐ判明しました。仮に搭載していたとしても、発射するなら当然航海日誌に掲載されます。それすら当時の中曽根康弘首相が隠して「真実は墓場まで持って行く」と言った?はあ、何処で中曽根がそんな発言したのか記録を明示せよ。何を根拠に政府陰謀を語るのか、この人物は?


 調べると、青山透子というのはペンネームだそうです。wikiから引きます。

青山 透子(あおやま とうこ)は、日本航空123便墜落事故を追及するノンフィクション作家。なお、「青山透子」は、故・黒澤丈夫氏(墜落現場の上野村の村長)に名付けてもらった、ペンネームである。元日本航空 客室乗務員。航空史上世界最多の死者を出した1985年の日本航空123便墜落事故について、事故調査委員会の調査結果に疑問を抱き、自ら各方面へ調査を行いその結果を出版している[1]。

1985年に日本航空の国際線客室乗務員になる。国内線乗務の時、単一機で航空史上世界最多の死者を出した1985年の日本航空123便墜落事故の客室乗務員と同じグループに所属していた。退職後、日本航空サービス関連子会社設立時に教務を担当し、各種企業、官公庁、専門学校、大学等の接遇教育や人材育成プログラム開発及び講師となる。


123便墜落事故から二十数年後、事故に関するエッセイを書いたこときっかけに、事故当時の新聞記事を読み調べた結果、日本航空123便墜落事故の事故調査委員会の調査に疑問を持つ。それまでは、本人も「後部圧力隔壁破壊」が事故原因であると、思い込んでいた。


東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程を修了、博士号取得。大学院等研究機関で、日航123便墜落に関連した35年間の資料、日本国および米国公文書を精査して調査を重ね、その結果を多くの著書で公表している。


特に『日航123便墜落の新事実―目撃証言から真相に迫る』は10万部のベストセラーとなり、本屋大賞 ノンフィクション部門の最終選考に残った。『日航123便墜落遺物は真相を語る』『日航123便墜落の波紋』と共に全国学校図書館協議会選定図書にも選ばれた。

そういう根拠薄弱な推論本が全国学校図書館協議会選定図書に選ばれていたことにも驚きました。そっちの選択眼も大丈夫なのか?


 集英社オンラインの青山氏の主張を引きます。

123便の乗客が窓から外を撮った写真に黒い物体が写っていました。これを専門家に分析して拡大してもらったら結果、オレンジ色でした。模擬ミサイル(あるいは訓練用の無人標的機)もオレンジ色をしています。つまり最初に垂直尾翼に当たったのが、このどちらかという可能性があるわけです。

ですからミサイルはない。

警察の冊子「上毛警友」(1985年10号)に現役の自衛隊員がファントムを見たという証言が載っています。また、地元の小学生による「小さな目は見た」(1985年9月)という文集には、生徒とその家族も含めて総勢225名の目撃談が載っています。真っ赤な飛行機が飛んでいたとか、飛行機が追いかけっこをしているとか、たくさんの人たちが見ています。しかし、この時間帯にファントムが発進したという事実は、自衛隊の公式記録には残っていません。

飛行機が追いかけっこ?自衛隊機に故意に撃墜された?


今調べると青山氏の著書の記載はこのようでした。大事なところなので、そのまま引きます。

2015年9月、「青山さんに聞いてもらいたい目撃情報がある」ということで突然出版社を訪ねてきてくれた女性がいる。その人は1985年8月12日に目の前を異常なほど低空で飛ぶ日本航空123便を見た、とのことだった。担当編集者がたまたま在席していたが、次の予定があって私の代わりに少し話を聞いて職場の名刺と連絡先を受け取り、そのままになってしまっていた。今回の出版が決まって連絡をすると快く対応してくださり、改めて話を聞く機会を得た。

 現在は東京にて福祉関係の仕事をしていらっしゃる小林美保子さんは、1985年当時22歳で、実家から静岡県藤枝市にある運輸関係の会社まで車で通勤していた。8月12日のあの日は、お盆前で仕事が忙しく、いつも17時半で終わる予定が18時30分になってしまった。

 タイムカードに打刻をして階段を下りて外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と二度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞いた。絶叫マシーンに乗った人の悲鳴のような凄い高音で、驚いて頭上を見上げると目の前を低く右斜めに傾きながら飛行しているジャンボジェット機が見えた。

ちょうど会社の敷地内で前方に東名高速道路が見える位置だった。自分の背中側から飛んできたジャンボ機は白い塗装に日航のシンボルカラーである赤と紺色の線が入っていた。駿河湾の方向から富士山のある北の方角へ向かって、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓も見えるほど高度が低い状態だった。飛行そのものは安定している感じだった。それにしてもいつもの航空路ではないこの場所で低空飛行のジャンボ機を見るとは思ってもいなかった。

そしてその時、あることに気付いたのである。

「それはですね。機体の左下のお腹です。飛行機の後ろの少し上がり気味の部分、おしりの手前くらいでしょうか。貨物室のドアがあるような場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。一瞬火事かな、と思ってけど、煙が出ている様子もない。ちょうど垂直尾翼あたりがグレー色でギザギザのしっぽみたいだったので、それが煙に見えたけど・・・・・・、煙ならたなびくけど、それは動かなかった。今思うと、千切れたしっぽのギザギザが煙のように見えたんですね」


 真っ赤というと火事かと思いきや、そうではないという。

「そのお腹の部分、つまり飛行機の左側の部分、4~5メートルくらいになるのかなあ、貨物室ドア二枚分ぐらいの長さでしょうか。円筒形で真っ赤、だ円っぽい形でした。濃いオレンジ、赤という色です。夕日を浴びて赤い、という感じでもない。夕日は機体の背を照らしていたので、逆にお腹はうす暗く見えました。円筒形のべったりとした赤色がお腹に貼り付いているイメージ、言葉で伝えるのは難しいけど、絵に描くとこんな感じかなあ」次頁に飛行機の模型を使って、絵に描いてもらったものを再現している。機体に穴が開いているのでもなく、腹部にべっとりと貼り付いているように見える赤色とはなんだろうか。ずっと気になって疑問に思っていたという。

その機体(日航機123便と思われる)を見た後、いつもどおりの道を車に乗って帰宅途中、今度は目の前を飛ぶ二機のファントム(F-4EJ)を見た。時間は先ほどのジャンボジェット機を見て五分くらい過ぎてからだという。田舎なので高い建物はなく、突然視界に入ってきた。浜松の方向、西の位置から飛んできたと思われるファントム二機はジャンボジェット機が飛び去った方向に向かい、それを追うようにして、今では新東名(第二東名)高速道路の方向、山の稜線ギリギリの低空飛行で飛び去っていった。時間は18時35分頃である。まだこの時点で日航機は墜落していない。しかも公式発表で19時5分に出動となっているファントムが、すでに実際に飛んでいたことになる。

かりにここの記載が事実だったとして、そのファントム2機が日航機とどう関係するのか?5分という時間は航空機からすればほぼ別時間帯です。そもそも小林美保子という人物は事故から30年も経過して、なぜ突然そういうことを語る気になったのか?そちらの動機も知りたいです。また「小さな目」にあるという「飛行機が追いかけっこをしている」という記載は青山透子氏の記載以外見つけることができません。この「小さな目」は調べると群馬県立図書館で閲覧可能なようなので、私も一度確認したいと思います。


事故から10年後の1995年には、当時米空軍第三四五戦術空輸団に所属していた元中尉のマイケル・アントヌッチ氏が墜落の20分後に御巣鷹の尾根に煙が上がるのを確認したと証言しています。彼は沖縄から横田基地にC130輸送機で戻る途中、大島上空で123便の機長の緊急事態発生の無線を傍受しています。

この件は事実だと思います。事故後比較的早い時点でこの件は報道されましたが、夜間であり二次事故の危険性も十分あったでしょう。

アントヌッチ氏の報告を受けて米軍ヘリが上野村に向かいますが、隊員がまさにロープで降りようとした直前で、なぜか帰還命令が出されています。目の前に犠牲者がいるのにですよ。政府にとって都合の悪い証拠隠滅のために救助が遅れたわけです。


生存者の落合由美さんは、事故直後何人もの乗客が生きていたと証言しています。もっと早く救助活動を行なっていれば、助かった命もたくさんあったはずです。

墜落後比較的長い間生存していた乗客が複数いたのは間違いありません。しかしそれでも救命できたかどうかは不確かであり、第一あの急斜面で夜間着陸は赤外線スコープがあっても危険すぎます。残念ですが仕方なかったと思います。ただ日本政府内で事故対応指揮をどこの官庁にするかで、判断に時間がかかったのも事実のようで、初期対応のまずさはこの事故の重大な反省点だと思います。


 ボイスレコーダーの全開示は現在までおこなわれておらず、この件に関して、青山氏は弁護士、研究者、有識者らと共に立ち上げた「日航123便墜落の真相を明らかにする会」(会長は遺族の吉備素子氏)の事務局も担当しています。会長として吉備素子氏が全開示を求めた裁判の結果はどうなったか?


おかしな裁判結果


──新刊『日航123便墜落事件 隠された遺体』(河出書房新社)では、不可解な裁判結果に触れているそうですが……。


(青山氏)まず、裁判(遺族の吉備素子さんが日本航空にボイスレコーダーの全開示を求めた訴訟)の結果を皆さんに報告するために、と判決文を入れています。2021年に吉備さんが起こした東京地裁での裁判では、原告側が提出した証拠証明書は膨大な量でしたが、JAL側は新聞記事2枚のみ。そういったこともあってJAL側に対する裁判長の心証は悪く、こちらに有利に働くかなと思っていたんですが、なぜか突然裁判長が判決直前に交代。結局、棄却されています。

これは私も不思議に思う判決でしたが、こういうことのようです。以前yahoo知恵袋に出た質問の回答です。

yng********さん


2019/9/16 8:58

ボイスレコーダ音声が公開されない理由は、民間航空に関する国際的な条約で「コックピットボイスレコーダの音声は公開してはならない」と決められているからです。

この条約に日本も当時から加盟しています。つまりボイスレコーダ音声は公開できないのです。

なるほど。

日航ジャンボ機墜落事故の場合、ボイスレコーダ音声がマスコミに流出するというイレギュラーが発生し、一般の人もこの音声が聞ける結果となりました。

その内容が全てではないのは、ボイスレコーダ音声を入手したテレビ局が、その内容を放映するに当たって「放送時間の都合」などでカットして放送したからです。

残りの部分もどうしても知りたいなら放映したテレビ局に申し出るのも一法です。というか当然もうしているでしょう。しかし裁判長が交代したのが事実隠蔽のための陰謀なの?裁判官の異動は審理とは関係なく進むのに、何を根拠にそういう疑念を抱くのか?


 再びwikiの青山氏記載から。

2019年7月16日、早稲田大学で開かれた「情報公開と知る権利--今こそ日航123便の公文書を問う」というシンポジウムに登壇。弁護士の三宅弘、獨協大学教授の森永卓郎とともに講演している[2]。

ああ、だから森永卓郎は著書「書いてはいけない」で、「日航123便はなぜ墜落したのか」にわざわざ1章を割いているのか。森永氏の主張はほぼ青山氏の主張を踏襲しています。 森永氏は「書いてはいけない」で、
1 アメリカ軍ヘリから当日夜に降下させていたら、たくさんの人の救命ができた「はず」とか、
2 日航機123便の横田米軍基地の着陸は拒否された「のでないか」
とか述べ、かつ
3 「墜落現場を何者かが火炎放射器で証拠や証人を焼き付くしたのでないか」
と青山氏の壮大な陰謀説をまるごと引いています。ジェット燃料にベンゼン化合物は含まれてないから、火炎放射器?高校レベルの化学すら理解してない御仁たちです。石油精製の過程を知れば、ジェット燃料にベンゼン系化合物が混在するのは分離過程から当たり前過ぎます。青山氏はおそらく理科系の知識ゼロと思いますが、森永卓郎も無知蒙昧極まれりです(だから理数をよく知らない文系はキライ!)。折角著書「財務シンリ教」で耳目を集めたのに台無しになり、晩節を汚す著書となりました。「財務シンリ教」も本当の話なのか?そっちも疑わしく感じられ、何か情けないなあ。


一体青山透子とは何者なのか?概してノンフィクション作家でペンネームを使うひとを僕はは知りません。深井次郎氏という作家がこのように言っています。

ぼくは小説ではなく、主にノンフィクションで、しかも実用コンテンツをつくる人です。なので自分の考えや経験を語るときに、本名で顔出したほうが読者にとっては説得力があるし覚悟が伝わると思います。この人は適当なウソは言ってないな、という。ビジネス書や実用書は、「だれがそれを言っているのか」が重要です。

その通りだと思います。そもそも森永卓郎氏は青山氏の著書評掲載で、新聞社から「「青山透子」という人物の東大大学院在籍を確認できない」と言われて慌てて、青山氏に問い合わせています。しかしすぐに回答を得られず、翌日「確かに東大大学院新領域創成科学研究科に在籍し、論文タイトルもうかがった」そうですが、後の祭りで書評を掲載できなかったそうです。だったら翌月改めて書評を申請すればいいじゃん?


 青山透子が何者なのか依然としてわかりませんが、今後もこういう事実を解明したという主張をしたいなら、「本名」と「経歴」をはっきり公開すべきでしょう。それができないなら、今後も「根拠がない陰謀論を述べ立てるデマゴーグ」という誹りを免れないと考えます。「日航123便墜落の真相を明らかにする会」も会長が遺族の吉備素子氏であることのみサイトで公開されていますが、副代表については「日航機123便ご遺族・子および孫」と書いてあるだけです。それらは「弁護士に氏名公開」だそうですが、そういうのは「公開」と言わない。一体どのくらいのご遺族がこの活動に賛同しているのか、きわめて疑わしいと言わざるを得ません。日航との和解で「これ以上の追及をしない」という一文があったとしても、真に日航や政府の対応に疑義を持つなら止められるものでないですから。私がもっとも気になるのは、日航機123便墜落で亡くなった524人の乗客が彼女をどう思うか?です。死者に声なしですが、こういう主張がもし根も葉もないデタラメ推論で、ただ世間を煽り自分の売名に走る行為だったとしたら非常に傷つくと思います。

日常考えたことを書きます