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「「私」という男の生涯 」〜作家・政治家として

ポワール

(芥川賞受賞当時の石原慎太郎  良い背広着てるナ)


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「「私」という男の生涯 」〜小樽と湘南高校時代
「「私」という男の生涯 」〜作家・政治家として
「「私」という男の生涯 」〜ヨットそして死


石原慎太郎は一橋大法学部に進みますが、所在地が東京・西郊外の小平と逗子から遠方にあるため、学生寮に入ります。この学生寮の住人はなかなかな貧乏なものでしたが、石原自身は奨学金を結構得たのですごく貧しいとは言えなかった印象です。裕次郎は2歳違いなので、慎太郎の一橋大進学と同じ年に慶應義塾高校に編入し、やがて慶應義塾大学法学部に進みます。慎太郎が貧乏学生寮でドンドコ太鼓を叩いて寮歌なんか歌ってる間に、裕次郎は大学そっちのけで赤坂など当時の繁華街で遊び回っていたようです。山下汽船の二上社長の「会計士になれ」という助言で一橋に進んだ慎太郎ですが、まったく不向きと悟り学業に飽きます。そこで「一橋文学」という文学誌の同人となり、小説を書くようになります。処女作から注目されていたようですが、新たに書き下ろした「太陽の季節」で決定的転機を迎えます。この小説の芥川賞受賞を契機に、慎太郎のみならず裕次郎も世間の耳目を集めるようになり、二人とも一挙にスターダムを駆け上がっていきます。慎太郎のその後の小説も東京の戦後の若者を描くものが多く、それが当時隆盛の映画興行とマッチしたのが大きかったでしょう。そしてそこを足がかりにさらに財界人などとの広範な付き合いが拡がり、後の政治家・石原慎太郎としての基礎ができたと感じます。


 その後の華麗な生活は「「私」という男の生涯 」を読んでいただきたいですが、いわゆる「持ってる」ひとだったと言えます。ただ他人に対しての上から目線は相当なもので、それは「狂った果実」の映画撮影のエピソードによく出ています。この小説はいわばヨットでの自験からきているもので、慎太郎や裕次郎には勝手知ったる世界です。監督の中平康はこの映画収録後、石原兄妹との付き合いを金輪際しないと息巻いたそうですが(実際にはその後も共作するが)、慎太郎が自慢げに語るエピソードは横柄そのもので読んでて辟易としました。あたかも自分たちが時代先端を行く上流階級で、下層の映画監督なんかにわかるまいといった失礼な態度です。そういうひとをバカにした態度で図に乗っていた慎太郎は「若い獣」の映画制作で、冷や汗をかくことになります。リング界の内情を暴露するかのような映画はボクシング興行の顔役たちの怒りをかうところとなり、日活幹部をともなって石原は土下座する羽目になります。この映画見たことがないので何とも言えないですが、当時のボクシング興行の暗部をえぐる意図は確かにあったようです。しかしその描き方が如何にも下賎でも見るかのような上から目線が怒りをかったのでないでしょうか。石原文学、100年後にどういう評価になるか考えますが、第二次大戦後の大衆風俗を描いた小説家という程度と想像します。刹那的な描写力には見るべきものがあるものの、深い考察からはほど遠い。慎太郎はいろいろな思想家や哲学者に言及することが多いですが、本当にそれらを理解していたのか疑問です。ただ映画の方は戦後若者の無軌道な風俗を描いた一種の記録という意味で、歴史的価値があるかもしれません。日生劇場の設立に石原慎太郎も深く関係したとは初めて知りました。劇団四季の公演などで僕も何度か日生劇場に行っていますが、あのうねるような内壁古代ローマの城壁みたいで、なかなか迫力があります。無論慎太郎は劇場の建築には無関係で、興行の方のみですが。


 1966年石原慎太郎はベトナム戦争の取材で当時の南ヴェトナムの首都サイゴン(今のホーチミン市)に渡ります。そこで彼は知識階級が自国の戦争に傍観者的態度であることを知り、将来の敗北(=北ヴェトナムによる共産化)を確信します(1977年北ヴェトナムによる南北統一を実現)。学生運動などで左翼が盛り上げる日本でその再来を恐れた慎太郎は、1968年参院選全国区に立候補し、当選します。その後衆院に移りますが、45年間という長い政治家の生活が始まります。この国会議員時代の著作として知られているのが、「NOと言える日本」でしょう。SONY会長の盛田昭夫氏との対談形式の共著です。これアメリカの保守政治家の強い怒りをかったようですね。慎太郎のアメリカに対する反発精神は湘南中の時の進駐アメリカ兵とのいざこざに始まっています。書かれてる内容自体は興味深いですが、石原が政治家として国際政治の舞台に立ったとはついぞ聞きません。日本保守派の論客として威勢いいのですが、どうも内弁慶に感じます。国会での活動は「青嵐会」という自民党タカ派の若手集団立ち上げが目立ちますが、本書で青嵐会結成時の血判状を自慢しています。中川一郎を代表として立ち上げた青嵐会ですが、結論から言うとあまりうまく行かなかった。石原は本書でその不満をぶちまけていますが、中でも中川一郎の不甲斐なさを難じています。しかし、中川の「他殺説」はいただけない。何を根拠に言うのかと思えば、ホテル・シャワーカーテンのレールでは縊死できると思えないと書いています。これ、普通に縊死できるし珍しくない。中川一郎の死因はうつ病による自殺で間違いないです。予断でものを書くな。


 石原慎太郎の環境庁長官の思い出として、水俣病患者との対話と交流を挙げていますが、これ本当なのか?調べると、石原長官が水俣病の患者の抗議文をあたかも左翼活動家の教唆で書いたかのように疑う発言、「偽患者」発言などで、土下座もしています。しかし、環境庁、厚生省などの役人どもが操る省益優先で患者軽視の牽制球に鉄槌を下ろしたのは、今時の政治家には見られない気骨でした。その点、岸田文雄首相など自分が受からなかった東大卒の官僚に触れ付すばかりで情けない限りです。運輸大臣時代の時、立ち枯れになっていた成田空港新駅を視察し、既存の鉄道の誘導をかなり強引に命じます。おかげでJRと京成が成田空港まで乗り入れ、交通の便は飛躍的に良くなりました。それまでは成田駅で降りてバスで延々と空港まで行く、うんざりする道程でした。都知事時代のディーゼル廃止政策は掛け値なしに、よくやった!と思います。確かにこれ以降東京の大気汚染が劇的に改善され、空気ががらっと変わりました。しかし都知事時代には新銀行東京の大失敗もあります。石原慎太郎はその責任をトヨタの奥田碩(ひろし)社長が推薦したトヨタ自動車出身の仁司泰正氏にあると書いていますが、そもそもこの銀行の設立もそして責任者の選任もすべて石原都知事が決めました。「私は責任がなかった。周囲が悪かった」とうそぶくのは非常に無責任です。石原慎太郎は都知事時代、週2日しか登庁せず数時間程度しかいなかったと言われています。浜渦武生副知事の暴力問題を含め「自分は責任がない。周囲が悪かった」という言を繰り返していますが、とても鵜呑みにできません。もっと精励した上での弁明ならまだしも、まことに無責任です。考えてみると、彼は生まれてこの方サラリーマンとして務めたことがない。大学生時代から流行作家となって時代の寵児でしたから、集団社会の中でまともに働くとはどういうことか全くわかってなかったように思います。


 政治家として最後は都知事退任後に再度国政復帰した時の「立ち上がれ日本」でしょうか。もうしかしこの頃石原は完全に政治感覚がズレています(だから「立ち枯れ日本」などと陰口を叩かれた)。「日本維新の会」の橋下徹との連携も、まるで同床異夢です。自分でも述べていますが、政治家・石原慎太郎はなにをしたかったのかよくわからない。ただただ権力や権威に対する反発が原動力で、それ自体は良いこともあったが何かをまとめあげる力は不足でした。


 最後に石原が本書では書いてない「新井将敬」の問題に触れておきます。1983年の衆院選を巡って起こった事件ですが、「クオリティ埼玉」から引用します。

(石原慎太郎の)一橋大学の後輩で勤務先の鹿島建設を休職して公設秘書になった栗原俊記は、1982年11月、衆議院出馬準備中の対立候補、新井将敬のポスターにその出自を誹謗する黒いシールを貼りまくった。こんなこともあって大蔵官僚出身の新井は落選した。15年間も秘書の仕事で会社を離れていたのに、復職した栗原は今、専務執行役員という地位にある。石原との縁が営業実績に関係あるのではと勘繰られてもしかたない。鹿島建設は豊洲の青果棟工事を受注している。

これ朝鮮籍だった新井 将敬朴 景在)の選挙ポスターに「1966年に北朝鮮から帰化」というシールが貼られた事件ですが、彼が北朝鮮国籍であったことはない。これ石原は「秘書がやったことだから知らない」と言い切って我関せずでしたが、あんたが知らずして秘書が勝手にやるはずなかろう?石原は都知事時代も「不法入国した多くの三国人、外国人」により「大きな災害が起きたときには大きな大きな騒擾事件すら想定される」と発言しており、中国人・朝鮮人に対する蔑視や敵視があからさまでした。関東大震災後の混乱の中広まったデマで、朝鮮人がたくさん殺されたことを考えると、「平時でもこの調子だと、石原は有事の流言飛語とかに簡単に騙されそうな奴だな」と感じました。もっとも新井将敬もこの衆院選落選後、資金に困ったせいか日興證券に借名口座を開いたり、一任勘定取引など違法行為を要求しました。日興證券が大蔵省OBの新井の要求を断り切れず多額の利益供与をしたのは事実で、1998年の自殺時に新井が残した「最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です」はウソです。犯罪を冒した者が「身の潔白」を訴える自殺はよくある話で、新井将敬も同じです。石原慎太郎の軌跡をみると政治は本当にどろどろした世界で、善悪が線を引いたように分かれるものでないと感じます。

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