これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた 〜うるさい!
NHKで「光る君へ」の総集編を放映しました。NHK大河ドラマで初めて最初から最後まで見続けました。この話が現実の紫式部や藤原道長そのものとはまったく思いません。寧ろ平安時代を舞台とした現代ドラマに見えました。史実に忠実とも言えませんが、それでも源氏物語を中心とした古典文学の文化感を色濃く反映したものでした。良いドラマと思いましたが、プレジデントで歴史評論家の香原斗志という方が苦言を呈しています。引用します。
これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた…歴史評論家がどうしても看過できなかった7つの残念シーン
2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」をどう評価すべきか。歴史評論家の香原斗志さんは「美術のセットは素晴らしく、史実に忠実な描写も多くてよかった。一方で違和感を覚えた場面もあった」という――。
それはなにか?
よい部分も多かっただけに、それとの対比で、「ここはこうしないでほしかった」と思うことも少なからずあった。そこで、「光る君へ」を歴史ドラマとして評価した場合に、残念に思われた場面を7つ挙げたい。私自身、大河ドラマファンのひとりとして、制作サイドにも視聴者にも考えてもらいたいからである。
ほほぉ、何を言いたいのかな?
第7位は、終盤の第46回「刀伊の入寇」や第47回「哀しくとも」で見られた偶然の連鎖を挙げる。紫式部は没年に諸説あり、寛仁3年(1019)に異賊が北九州沿岸を襲撃した時点では(刀伊の入寇)、生きていたのかもわからない。
紫式部が刀伊の入寇時に存命だったかどうかどうでもよい。死んでいたという史実があるなら描かない方がいいでしょうが、刀伊の入寇に言及した今回の大河ドラマは秀逸だったと思います。
第6位には、とくに上記の場面の延長で見られた、センチメンタルすぎる紫式部を挙げたい。周明が死んで泣き叫び、大宰府に戻ってからも、太宰権帥の藤原隆家(竜星涼)の前で、「周明と一緒に渡しも死んでおればよかったのです」と泣き続けるまひろに、私は共感できなかった。
香原斗志氏は女性と付き合ったことがないとしか思えません。
第5位は、貴族の女性が顔を見せすぎたこと。「光る君へ」では、まひろは思い立つとすぐに外出していたが、これは当時の貴族女性が普通にできたこととは思われない
確かにそうそう女性が外出できるほど安全だったとは思えないが、だからどうした?
紫式部は道長の子を産んだという設定を第4位に挙げる。脚本を書いた大石静氏は、2024年6月30日付で朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で、紫式部と道長を恋愛関係にしたことについて、「時代考証の倉本一宏先生からも『その設定で、やってもよい』と言われました」「繰り返しますが、時代考証の先生のチェックを得たうえでです」と強調している。
実際、わかっていることが少ない紫式部をヒロインに据える以上、道長との恋愛のような、ドラマの背骨になる設定が必要なのはわかる。だが、娘まで道長の子にしてしまうのはいかがなものか。
確かに賢子が紫式部と道長の子どもという証拠はないが、その後の賢子の出世ぶりはただの下級貴族の娘とも思えません。
同様に、道長が出家したのはまひろが宮廷を去ったのが原因、という設定もいただけない。これを第3位としたい。「光る君へ」では、基本的に健康体のように描かれた道長だが、実際は、若いころからかなり病弱で、途中からは飲水病(糖尿病)の持病にも苦しんだ。
いや道長の最期は病気という設定で描かれていました。第一糖尿病患者で何の治療も受けていなければ、とてつもなく悲惨な状況になります。ドラマにそれをそのまま出したらホラーになると思いますが?
上記の話の延長だが、道長の死を看取ったのがまひろだという設定も、どんなものか。これを第2位に挙げる。最終回「物語の先に」で、まひろは道長の正妻の倫子(黒木華)に道長との関係を、出会いにまでさかのぼってみな話してしまう。いくら問われたからとはいえ、あの紫式部がこんなふうに自分語りをするのは違和感があった。
うーん、じゃあ語ったらいけなかったの?そこまで断言するとは、あなたは紫式部と会ったことでもあるのですか?
最終回のラストシーンで、ふたたび旅立ったまひろは、馬に乗った武者たちと遭遇した。その一人は双寿丸で、彼は「東国で戦がはじまった。これから俺たちは朝廷の討伐軍に加わる」と語った。その後姿を見ながらまひろは、心のなかで「道長様」と呼びかけると、「嵐が来るわ」と語った。貴族の世が終わって武士の世が来る、ということを暗示しているのだろう。当時、その時代に向かって動きはじめていたことは否めないが、まだ摂関政治の全盛期であり、のちにそれが終わって院政の世が訪れ、武士が本当に力を持つのはその後である。当時の世相を覆っていたのは、戦への恐れよりも末法への恐れであって、これではこの時代の実相が誤って伝わってしまう。
したがって第1位として、武士の世を予感させるのは早すぎるといっておきたい。
難癖とはこういうことを言うのでしょう。私はこの時代に近い平将門の乱をイメージし、なかなかよい脚本と思いました。
この人物、何者?
香原斗志
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
著作は全然知らん。なんか売れない評論家に思えます。「光る君へ」の批判であえて火をつけて炎上商法を狙ったのでしょうか?上の苦言とやらが如何にもつまらないので、相手にせず、著作は今後も読みません。はい。
とにかく大学受験以来遠ざかっていた「古文」の世界を久々に思い出せてくれた「光る君へ」でした。源氏物語や枕草子はともかく、歴史物の「大鏡」(作者不明)の世界観は大いに反映されていたドラマでした。他に「蜻蛉日記」(藤原道綱母 )、「和泉式部日記」(和泉式部)、 「栄華物語」(赤染衛門 )、「更級日記」(菅原孝標女)と私を散々クルシマセテくれおった平安時代初期の数々の女流作家たちが次々と登場しました。憎々しくも懐かしいヲンナども!さらばぢゃ!

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