テレメンタリー「福迫雷太の死」 〜謎多き占い師藤田小女姫
(デイリー新潮で出た写真、藤田小女姫(左)と松下幸之助氏)
テレ朝のドキュメンタリー番組「テレメンタリー」、2月15日(土)は福迫雷太を扱っていました(「刑務所で殺された“犯人”有名占い師 殺人事件31年目の結末」)。ああ、ハワイであった占い師母子殺人事件で終身刑になっていたが、数年前刑務所で殺された人物か。「ふくさく」と読むのか。ずっと「ふくさこ」だと思ってた。番組内容は、福迫雷太が果たしてこの殺人事件の犯人かどうか疑念があるという内容でした。
藤田小女姫(ふじたこととめ、1938~1994)は占い師で1960年代から70年代にかけて政財界などで重要な予言をしたとのことで、名前だけは私も聞いたことがありました。しかし、その後ハワイに隠棲し、殺されてしまうまで私はまったく忘れていました。事件の概要をWikiから引きます。まず藤田小女姫です。
藤田小女姫(本名:藤田 東亞子(ふじた とあこ))
福岡県福岡市出身[1]。11歳で「天才少女占い師」「千里眼少女」としてマスコミに登場し、時代の寵児となる[1]。別名は藤田小乙姫とも。
この藤田小女姫の千里眼とは透視力ではなく、未来の予言という意味のようです。
1950年、小学校6年生のとき、『産業経済新聞(サンケイ新聞東京)』(5月1日付、現在は『産経新聞』)の社会面トップに「奇跡の少女現る マリを突きながら何でもズバリ」との見出しで占いがよく当たる少女として紹介され[2]、当時は「ことど姫」と名乗っていた。
昭和30、40年代にも霊感を持つ占い師として雑誌やテレビで取り上げられた。
岸信介、福田赳夫、松下幸之助、小佐野賢治などの政財界の大物を顧客として財を成した。ある日、岸が小女姫に「安保条約は通らんか?」と訊いたところ、小女姫は「断固としておやんなさい。通ります。その代わりに、あなたの内閣は長く持ちませんよ」と答えた。1960年6月19日、日米新安全保障条約は成立するが、4日後に岸内閣は総辞職する[5]。そのほか、明仁親王(後の第125代天皇→上皇)の結婚、朴正煕暗殺事件、中国首相・周恩来の死などの予言を的中させたと言われる[2]。また、学生時代の王貞治に対して「将来、野球で大成功を収める」と占った逸話も特に有名である。
少なくともここに書かれる「予言」は、普通に考えてそうなるだろうと思われることで、どこが特別な予知なのか私はよくわかりません。岸信介、松下幸之助といった政財界の有名人たちがこぞって彼女の宣託を望んだそうですが、一種の妄想にも感じます。JBpressに神宮寺慎之介氏が寄稿した記事にこういう紹介がありました。
小女姫さんの半生は謎に包まれていた。今から20年前に、小女姫さんの実弟という人物が手記を出版しているが、それによると小女姫さんとこの弟の戸籍上の父親は、実の親ではないという。本当の親は右翼の大物と花柳界の女性であり、そこから戸籍上の父親が誘拐同然のようにさらってきて、それぞれ別の女性を戸籍上の母親として育てられたというのである。
どれくらい真実なのかは検証が難しいが、小女姫さんはその「戸籍上の」とされる母親に“プロデュース”される形で、幼い時から天才占い師としてマスコミの寵児となった。
占い師としてのデビューは本人の意思ではなかったのでしょうが、胡散臭い人物に感じます。しかし、藤田小女姫は養子だったの?この小女姫の「弟」藤田洋三氏が「東亜子と洋三―藤田小女姫の真実」という本でそう述べているようです。未見なので、他の方(とびうおさん)の読後感想を引きます。
著者の「戸籍上の父」は藤田常吉という。
学歴詐称、経歴詐称、さまざまな女性との間に実の子をつくりながら、自らの戸籍には血縁の子はひとりも入籍せず、結婚、離婚、再婚を繰り返すという人物である。
目的は金銭だった。著者や姉(東亜子=小女姫)を自分の子としたのも、「いずれ金になる」からであり、自分の支配下におくためには拉致・監禁もいとわなかった。
歴代の妻もそれに加担した。
なんか犯罪者みたいな男だな。
そうした環境の土壌となっているのが、公娼制度が存在し、実質上人身売買が容認されていた日本である。
常吉はある企業の専用”保養所”で買売春にかかわる。働く女性たちに子が生まれる。子どもたちはその時その時の大人たちの都合のよさそうなところに所属させられる。血縁と戸籍が一致しない所以だ。
さらに、複数の子どもが闇に消える。が、その後「補充される」。”同じ子”として。
子どもは「財産」同様に扱われるが、決して特定の個人として大切にされているのではないのだ。
常吉は、常に日本中の役所の火事や災害の発生のニュースに目を光らせ、戸籍簿の滅失等に乗じて、自らの利益になるような戸籍の作成を目論んでいたという。
戸籍が電算化・オンライン化した現在では考えられないが、間違いなくある時期までの日本の姿だった。
時代の産物ですが、この男は犯罪者みたいでなく、犯罪者そのものです。藤田小女姫の出自に謎が多く、しかも犯罪絡みでないかと感じさせます。こういう戸籍ロンダリング、今でもあることは私自身の経験で知っておりますが、その背景にも胡散臭い犯罪の臭いを感じています。
再びwikiの藤田小女姫の記載に戻ります。
1961年、不動産業者と結婚するが、3年で離婚した[2]。1968年3月13日に名目上の経営者となっていたサウナが火事で死者を出す惨事となり、経営者責任を問われ[2]、刑事裁判で1974年6月25日に業務上失火、同過失致死罪で懲役10ヵ月執行猶予3年の有罪判決が下された[6]。これらのことからマスメディアからその占いの能力について疑問を投げかける批判が起こり、応援してきた年配の有力者たちも離れて行った[2]。
1970年代にハワイに移住する
その後20年以上、日本では完全に忘れ去られたひとでした。ところが1994年の殺害で再び注目を浴びます。
藤田小女姫殺害
1994年2月23日午後5時頃、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル、1350 Ala Moana Blvd.の高層マンションの部屋でボヤ騒動が起こった。火は駆けつけた消防隊員によって消し止められたが、その部屋のクローゼットから日本の占い師であった藤田小女姫(当時56歳)の射殺体が発見された[1]。この1時間前の午後4時頃、藤田は取引先の銀行に融資依頼をしていたが、その際に電話の声が怯えていると感じた銀行員が領事館に連絡し、領事館職員がマンションに駆けつけるとボヤ騒動が起きており、藤田の射殺体が発見された。
息子殺害
また同日に、殺害現場の高層マンションから数キロ離れた、ワイキキにあるパークショアホテルの駐車場で1台の乗用車が炎上しているのが発見された。乗用車の中からは、ハワイ大学の学生だった藤田の一人息子(当時20歳)[2]がテープで縛られ胸を銃撃された状態の焼死体で発見された[1][3]。
藤田小女姫の息子は藤田吾郎と言います。再びJBpressから引用します。
かつて欧州で知り合った貿易商の男性Aさんと都内で会食する機会があった。当時Aさんは50代前半。Aさんの詳しい経歴は知らなかったが、久しぶりに会ったところ「その昔、藤田小女姫さんの秘書をしていたんです」と打ち明けるので、筆者は飛び上がるほど驚いた。
小女姫さんが射殺されたハワイの事件に興味があることを伝えると、Aさんは小女姫さんの“ある秘密”を打ち明けてくれた。
「占い師というのは大体が女性でしょ。それは女性のほうが霊感が強いというのが大きな理由です。しかしその霊感は、子どもを産むと消えてしまう。これがこの世界の常識です」
筆者のまったく知らない世界の“常識”であった。しかし小女姫さんには吾郎さんという一人息子がいて、彼も射殺されたではないか。
そうAさんに問うと、
「ご存知でしょう。吾郎さんは、まだ赤ちゃんの時に小女姫さんに養子として引き取られたんですよ」
という。確かに、吾郎さんが小女姫さんの養子であることは、当時から一部で知られていた。
藤田吾郎は当時20歳で藤田小女姫の実子としても不思議ではない年齢ですが、養子なのか。
「じゃあ、小女姫さんの霊感は守られていたっていうことですね」
「いやいや、そうではないんです」
笑いながらもAさんは周囲を見渡してから、筆者の耳元で囁くように喋り始めた。
「実は実際には彼女は妊娠して吾郎さんを産んでいます。そのことを隠すために養子を貰ったことにして戸籍を作ったんです」
「はぁ~?」
にわかには信じられないような話だった。
「さっきも言ったように占い師にとって一番大事なのは霊感です。子どもを産んだとなればその能力は失われると信じられていましたから、出産の事実は隠したい。まぁ出産したころから彼女の能力が落ちたのは確かですが、それが出産のためなのかどうかは分かりません……」
なんだ実子なのに、そんな小細工を藤田小女姫はしていたのか?では藤田吾郎の父親とはだれか?名古屋の歯科医師だと述べていますが、このJBpressでは当該人物と思われるひとに会いインタビューしています。しかし、その歯科医から親子関係を否定されています。その後、筆者の神宮寺慎之介氏はある記事を見つけます。
筆者がXさんを取材してから10年ほどが過ぎた2005年夏、『新潮45』に、ノンフィクション作家・駒村吉重さんによる小女姫さんに関するルポが掲載された。
そこには「元実業家」の談話として次のような一節が載っていた。
〈実は、吾郎さんは、小女姫さんと名古屋に住む歯科医の間に生まれたお子さんなんです。一時は結婚の話まで出て、お母さんの久枝さんが熱心に準備を進めていたのですが、なぜだか彼が一方的に断ってきたようです。
せめて子どもだけでも認知してほしいと願ったようでしたが、それもかなわず、彼女はずっと、騙されたと言って相手を恨んでいたんです〉
この談話の主が、筆者が話を聞いたA氏と同一人物なのかどうかは不明だが、「名古屋在住の歯科医が吾郎さんの実の父親」という説は、一定の信ぴょう性があったということではないだろうか。
仮にこの歯科医が実子である藤田吾郎を認知しなかったとしても、なぜ藤田小女姫は彼を「養子」としなくてはならなかったのか?藤田小女姫がその歯科医と結婚できなかったために、再び占い師として仕事をするためには「実子」がいるのはまずかったのでしょうか?
「霊感は、子どもを産むと消えてしまう」
「これがこの世界の常識です」
・・・そもそも霊感など信じない私としては、「出産すると霊感が消えるのが常識」と言われたって、なに言ってるのか意味不明。それに藤田小女姫は「吾郎は実の子ではない」と積極的に発言してないし、本当に養子だったとしても顧客からすれば子どもがいるだけで「疑わしい」と疑念を抱かれます。いっそのこと、藤田小女姫が吾郎をどこか他に養子に出しておけば、話はすっきりしたでしょう。
なお上記したとびうおさんの読後感想にはこんなことも綴られていました。
著者の周囲では、当然のこととして「(母がそう思い込んでいる、血縁の)実子優遇・継子冷遇」が行われる。
昔の安っぽいマンガやドラマに出てくるような行為だが、母親自身が「自ら腹を痛めた子」の確認が困難な状況下では、ごく自然であり、自衛でもあったのだ。
このような、虐待を超えた、とても人間扱いされているとは言えない親子関係の下で成長した著者は、常吉の二度目の妻であり、著者の戸籍上の母であるキクヱが、昭和39年の新聞連載小説である三浦綾子氏の「氷点」や、昭和48年の「菊田医師事件」のスクラップを保存しているのを見て強い不快感を覚える。
キクヱの切り抜きの両方とも、生まれ出る子の知る権利を著しく侵していることを前提として話が成り立っている。そして、話題をすり替えて自己を正当化している。
常吉の戸籍に記載された子の全員が、常吉の子ではない。人間の子を家畜のように扱っている。この切り抜きに出てくる医師達も、常吉と同じ行為をしているのに詭弁を弄していた。…中略…
キクヱは自分のしてきたことに、自分なりに罪悪感があったのだろう。そして、その行為を正当化している両方の切り抜きを見て、自分への言い訳にして罪への戦きを軽減していた。そして、私にばれてしまったときの方便を考えていた。
三浦綾子の「氷点」では、医師・辻口恵造が妻・夏枝が不貞を働く間に実娘を殺されたことへの復讐のために、娘を殺した犯人の娘を「養子」として迎え、夏枝に育てさせるという出だしが陰惨なストーリーです。不信と裏切りの家族関係です。
著者と東亜子=小女姫は、さる大物右翼と花柳界の女性との間に誕生した。小女姫が、政財界の大物たちに可愛がられ、占い師として一世を風靡したのは、そうした出生によるところが大きい。さらに、そのために”くいもの”にもされた。
彼女自身も、戸籍上の母(常吉の最初の妻、久枝)や、息子に暴力を振るうと同時に、金蔓となってもいた。息子からも凄まじい家庭内暴力を受けていたという。
息子は、「姿を消し、補充された」子どもの内のひとりでもあった。
すり替わった最後の「息子」は、ハワイで小女姫と同日に殺害された。
この話が正しいとすると「殺された時」の「藤田吾郎」はやはり小女姫の本当の子どもでなかったことになります。なぜ実子の「吾郎」が「姿を消した」のかわかりませんが、それが事実ならDVは関係していたかもしれません。上記のJBpressでは「養子」とされた吾郎氏の足取りを求めて吾郎さんを養子に出したとされる愛知県知多半島のある夫婦宅に足を運んでいます(上記の歯科医とはまったく別人物)。しかし、そちらはすでに転出して行方不明でなにもわかりませんでした。再びとびうおさんの感想に戻ります。
すり替わった最後の「息子」は、ハワイで小女姫と同日に殺害された。
息子が彼女の近辺にいた理由は、著者の表現を借りれば、成長、独立し、金を搾り取りにくくなった小女姫からさらに搾り取るため、「吾郎(息子)という蛇口をつけた」。金は、息子自身や、「戸籍上の両親」やその周囲の人々へ流れる。
その愛憎は、平凡な親子関係の下で平和に生活する人間には想像し難いものだろう。
「代わりの吾郎氏」は「戸籍上の」祖父母=藤田常吉夫妻に小女姫の金を送らせるための存在だったの?なんともわかりにくい話ですが、「代わりの吾郎氏」の斡旋に常吉が関与してたとすればあり得るかもしれません。
再び殺人事件に戻ります。続きます。
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