「こころの時代」岡山容子医師 〜死を前に揺れる心に添う
今朝のNHK・Eテレ「こころの時代」は「ゆれる心にとことんつきあって 訪問診療医・岡山容子」でした。岡山容子医師は京都市中京区で在宅医療を実践しています。開業するクリニック(おかやま在宅クリニック)では100名以上を受け持ち、終末期の患者さんが主です。しかし、中には神経難病や小児期からの障害で長く診る患者さんもいます。内容は非常に深く、「最期の迎え方」というなかなか結論が出ないテーマでした。
岡山さんはご自分の小学時代を「変わった子で、勉強以外に取り柄がなかった」と言われましたが、高校受験では伸学社の在籍でした。伸学社は通称「入江塾」として知られますが、大阪・帝塚山にあった個人経営の高校受験塾です。塾頭は入江伸で、伸学社は入江先生が脳梗塞で倒れる1986年までありました(2006年死去)。関西から来た大学同級生にもここの元塾生がいましたが、灘高校を始めすさまじい進学実績が有名でした。元塾生のラサール石井が入江伸について昔熱く語ってましたね(怠ける石井を前に「お母さん見なさい!これが敗北者の目です」)。スパルタ教育を行い、礼儀やマナーが守れない生徒は容赦なく叱責罵倒したと聞きますが、岡山先生は入江先生の「学力3分、人間7分」の生徒自主性を重んじる指導方針に心を打たれたと述べています。「トイレ掃除などを通じてフットワークの軽さを身につけたと思う」と言っております。岡山医師はその後岡山県赤穂市にある岡山白陵高校に進んだようです。岡山さんは最初医学部志望でなかったようですが(話の流れからすると京大理学部志望?)、現役受験は落ちてしまって浪人します。その時通った予備校で出来ない級友や地方出身者を露骨に見下す者たちが医学部志望だったことに違和感を感じ、「こんな奴らが医者になって診てもらうのは嫌だ。だったら私が医者になってやる」と決心したと述べています。その結果大学は京都府立医科大学に進みました。
府立医大を卒業後麻酔科に入局し、18年間過ごします。岡山医師は幼い頃から「人の死」に関心があったそうで、漠然とした宗教心があったと述べています。麻酔科は死と直面する局面もありまた救急科とも関係する点から興味を持ったと述べています。しかし、麻酔科医として感じたのは女性医師が認められないこと。特に患者から技士さんと思われたり、男性医師の方がいいと言われたりとかなりむっとする局面が多々あったようです。また一番良いと岡山医師が思う治療が患者から拒否されたりすることもあったりして、納得がいかなかったようです。しかし経験を積むにつれて、「患者の心、特に揺れる心の動きに付き合っていく」ことを学んでいきます。救急科の研修で後に教授となった橋本悟医師との出会いが大きかったと言います。岡山医師が在宅医療の開業をして間もなく、末期癌による母親の死がせまります。驚いたのは母親が抗がん剤による標準治療を拒否して「奇跡の水」とかいわゆる代替医療にのめり込んでいくことで、正直岡山医師にとって受け容れがたいことだったでしょう。しかし、それでもそれを受容しながら最期を迎えます。患者さんの揺れ動く感情を「水面に浮かぶボート」に例え、それを「アンカー」(碇)となって支えるのが医師の役目」と岡山先生は言います。
印象的だったのはお寺(建仁寺塔頭・西来院)の住職だった丹羽良道さん(89歳)の終末期の場面です。聞き取りにくい声を岡山医師が一生懸命聞き取りますが、その中で江戸時代中期の僧侶・仙厓義梵(せんがいぎぼん)について語り出します。仙厓師は亡くなる前に遺言書で、「死にとうない、死にとうない」と書いたと言います。「偉いお坊さんなのにこんな遺言格好悪いからもう1枚書いてくれ」と周囲は言います。ところが、差し出された紙に仙厓師は「ほんとうに、ほんとうに」と書いたと言います。笑ってはいけないのですが、最期に「もっと生きたい」と祈念するのは達観したひとでも凡人でも同じなのでしょう。気力を振り絞ってテレビ撮影に出た丹羽良道師ですが、その後急速に衰えていき間もなく亡くなりました。最後の訪問の機会になった日は雪の日で、良道さんは診療チームの帰りを心配しつつ「自然のまま逝きます」と書いたそうです。
これを読んで、僕はある研修医(ポチ先生)の漫画を思い出しました。「長くないのはわかってる」 67歳末期がん患者からあふれた本音。研修医に何ができる?/あたふた研修医やってます。」です(書籍『あたふた研修医やってます。24時間お医者さん修行中コミックエッセイ』(KADOKAWA/メディアファクトリー)から)。「ポチ」は初期研修医として受け持ちになった進行癌末期となった患者さん・Y岡さんとどう向き合うか悩みます。その結果、毎日Y岡さんを訪問して話を聞くことに徹します。治療という意味では積極的な面はありませんが、たわいもない毎日の会話を欠かさず実践します。その最後の場面を引用します。
医師は生死を司る神ではないです。また「不老不死」も絶対不可能です。生あれば必ず死は訪れ、なんびとたりともそれを冒すことができない自然の摂理です。患者さんの動揺する心に寄り添うことが、医師の究極の役目なのかもしれません。
岡山容子医師は自分が「欲が深く、愚かで真っ黒な人間」と言います。その煩悩からの救いを求めたのか、岡山医師は浄土真宗大谷派で得度しています。僧侶の資格を持つ医師はそうですね、実家が元々お寺さんの子弟ではときどき聞きます。しかし、そういう縁もなくしかも女性で得度する方は珍しいと思います。生の終わりまでが医師の役目ですが、岡山医師はその先の死までを見通して患者を診ていきたいと思われているのでしょう。
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