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虚辞のne 〜教養課程フラ語の思い出



この4月から勤務先内の異動があって働く場所も移動しました。移動させるものをあれこれ捜していたら、古い携帯ラジオが出て来ました。懐かしい。これ、以前の勤務先でこっそりNHKラジオ語学講座を聴いていたもので、私の語学は学生時代以来、基本NHKラジオ講座で身につけてきました。また、このラジオは東日本大震災時の帰宅でも携帯して、道中随分助けてもらいました。ところが今の勤務先に着任して与えられた部屋はラジオに電波が届かず、10数年そのまま放置状態だったのです。語学勉強も完全に中断しました。しかし、このラジオを新しい部屋で久しぶりにつけてみると、受信状態良好で昔通りに動いてくれました。状態を確認するためしばらくつけっぱなしにしておいて部屋に戻って来たら、偶然「ラジオフランス語講座」が始まっていました。しかも、なんと「虚辞のne」の説明中でした。おお!虚辞か。


 我々の大学時代、大学教養課程は2年が普通でした。今は様変わりして、ほとんどの大学は1年らしいですね(知る範囲で唯一の例外が東大で、それでも1年半)。当時から教養課程を「ぱんきょー」(註:「一般教養」のこと)と呼んで馬鹿にする傾向がありましたが(特に文系学部)、我々にとっては専門課程に入る前に、基礎的な自然科学全般を学ぶ重要な機会だったと思います。数学はフーリエ級数くらいまでの理解がやっとだったけど、統計力学を使う物理化学とかはおもしろかった。あとは語学ですね。特に大学に入ってから初めて学ぶ第2外国語はこの2年間が重要でした。今だと1年しかやらないのでろくに身につきません。京大に通っていた頃の息子に「フランス語で数言ってみな」と言ったら、なんと20までしか言えない。70が60+10とか、80が4X20とかは知らんわけね(石原しんたろーが「こんな訳分からん数え方だからフランス語は遅れとる」と主張しましたが)。これじゃあ、とても実際に使える語学にならず中途半端で、まさに「教養」のレベルを超えられません。


 その点我々の時代は2年目に入ると、リーディングは原書講読が中心となり、相当鍛えられました。使ったテキストはアレクシス・カレル(Alexis Carrel)の「L'homme, c'est inconnu.」(ロム、セタンコニュ「人間、この未知なるもの」)でした。アレクシス・カレルは現代のひとはほとんど知らないと思いますが、第二次大戦前のフランスの高名な外科医で、1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。しかし、第二次大戦中にナチスドイツに協力的だったことで、コラボとみなされ戦後はほとんど無視された存在といっていいです。この「人間、この未知なるもの」も、彼の優生学的な思想が反映されている書と言われますが、読んだ範囲あるいは理解できた範囲では生命倫理全体に関する哲学的考察だったと思います(もうまったく憶えてないけど)。さて、この授業中に上の「虚辞のne」が出て来たのです。


 6月のその日は蒸し暑くて授業は欠席者が多く、出席者も何となくけだるい感じで私語が多かったです。その中でうるさかったのが、一番後部席に座っていたH君。隣の同級生とほとんど絶え間なくひそひそ話していました。前の方の席だった僕ですら「ちょっとうるさいなあ」と感じていました。その時フランス語教師が、「さてここのneですが、どういう意味で使われているでしょうか?H君、答えてください!」と突然名指しで質問しました。めったに指名で質問しない先生だったので、内心かんかんになっていたのでしょう。僕も「さっきからべらべら、べらべらとうるさいんだよ。そもそも何処訊かれてるんだかわからんだろーが?ざまーみやがれ!」と内心ほくそ笑みました。ところが読んでた僕もそこのneがよくわからない。ne(ヌ)は英語のnotに相当し、否定詞です。しかし、ここで否定とすると前後の文意が取れません。するとH君が「はい、ここのneは虚辞で使われています。ですから文意は否定されていません。」ときっぱり答えました。な、何!!虚辞?なんじゃ、そりゃ?そもそも、お前私語しながらも授業を聞いておったんかい!です。フランス語のK先生は一瞬「うっ」と詰まった感じでしたが、気を取り直して「はい、その通りです。しかし、H君うるさいからしゃべるのやめてね」と言いました。うーむ、少なくとも授業では虚辞のneなんて習ってないぞ。そこで先生が虚辞のneとは一種の強勢形で、文意を強調するためで否定の意味がないことを説明してくれました。H、どこで知った?実は彼は内部進学生で、附属高時代にフランス語を取ってたことは知ってました。高3の1年間しかやってないはずですが、さすが医学部推薦を受けただけあってフランス語も手を抜かず勉強したのでしょう。教養課程時代、外部入学組と内部推薦組の間には学力差がかなりあると感じていましたが、あながちそうでもなさそうだと知った瞬間でした。今、H先生は某国立病院の院長をしています。


 さて、上述のラジオ講座に戻ると、例文として以下を話していました。

Je crains qu'il ne pleuve.

訳は「雨が降るのでないかと思う」となります。もし「雨は降らないのでないかと思う」なら

Je crains qu'il ne pleuve pas.

としなければならないと言いました。ne 動詞 pas(ヌ〜パ)でpasがついて否定形となるわけですが、中にはpasをつけないで、ne~だけで否定形になることもあります(特に文語あるいは普通の文章)。ですからpasがない時、neが虚辞のneか本当に否定の意味でのneかは注意して読まないとわからないのですね。接続法も関係して結構高等なフランス語読解です。


 と、ここまで書いてあることに気づきました。日本語でも

「雨が降るのでないか」

で「ないか」は「ないだろうか?」の意味で、「雨が降るってことで、降ることがないなんてある?」の反語疑問を呈した「主張のやわらげ」でしょう。そう考えると、この虚辞のneに似た語法はまったく違う言語の日本語にもあると言えます。うーむ、俄然また語学に興味を覚えました。週末書店に行って、NHKラジオのフランス語講座のテキストを買いました。ついでに、昔一時やっていたイタリア語のテキストもついでに購入しました。古いラジオが作動してくれたおかげで、また勉強意欲がメラメラと湧き上がってきましたよ。