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桜蔭や開成に受かった子を「親がお尻を叩いたおかげで合格しただけ」〜ディスる親の盛大なカン違い

ポワール


桜蔭や開成に受かった子を「親がお尻を叩いたおかげで合格しただけ」〜ヤフコメは何と言うか


ダイヤモンドの記事です。引用します。


桜蔭や開成に受かった子を「親がお尻を叩いたおかげで合格しただけ」とディスる親の盛大なカン違い

6/22(日) 6:02配信

ダイヤモンド・オンライン


 吉祥寺など都内5箇所に教室を持つ人気学習塾「VAMOS」の富永雄輔代表と塾業界30年以上のベテランであり、神奈川県の中学受験国語塾「中学受験PREX」の渋田隆之塾長による全6回の初対談。第4回は「結果を出すこと」と「納得する受験」、さらに「深海魚問題」を取り上げる。

ディスるって、どういう会話の中での話かな?そんなみっともない嫉妬まみれの発言聞いたら、誰だって引いてしまうと思いますが?ネット空間の匿名で毒を吐くっていうこと?

「納得する受験」は欺瞞 本当は難関校に入れたい


 富永:最近「納得する受験」という言葉をよく聞くようになりました。「合格や偏差値にこだわらず、受験のプロセスや子どもに合った学校など、親子が納得する受験体験を」ということなのですが、塾講師として「結果を出すこと」についてどのようにお考えですか。


 渋田:基本的に「結果を出すこと」は非常に大切だと考えています。ただ単に合格者数を増やすという意味ではなく、子どもたちの可能性を最大限に引き出すという意味においてです。

 富永:私もお金をもらって教えている以上、結果を出すのは必須だと思っています。ところが、最近はともすれば「競争させるのはよくない」「結果だけを求めるのではなく、プロセスを大切に」といった考え方が広まっています。

 渋田:それは「きれいごと」の側面もあると思うんです。保護者の方が心を病まないように、そういう言い方が一種の「安定剤」として機能している。本音では誰しも少しでもいい学校に入れたいと思っているんです。

 例えば偏差値が10ポイント違う2つの学校に受かったら、ほとんどの人が上の学校を選ぶでしょう。「納得する受験」は「耳になじみがよい」だけで、一時的なものだと思います。

 富永:「競争させたくない」と言いながらも、実際には高い目標を持っている保護者も多いですね。

 渋田:「偏差値だけで学校を選ぶな」とよく言われますが、それは実績がない塾が言っているだけかもしれません。確かに学校選びは単純に偏差値だけでするものではありませんが、実際に各校の個性も見ずに、難関校の受験はよくない、などと抽象論で批判している人も多く見受けられます。

 私は「正しい方向性で全力で頑張る」という姿勢が大切だと考えています。

 世界各国にはイニシエーション(通過儀礼)のようなものがありますが、日本では12歳の中学受験がその機会になり得る。子どもが一皮剥けるチャンスですから、全力で前向きに取り組まなければもったいない。子どもが目標に向かって頑張ることに水を差すようなことは良くないと思います。

当たり前すぎる意見で、取り立てて言う必要もないことに思えます。「競争させたくない」なら、中学受験もさせない方がよいわけで、そんな矛盾した発言する親なんているのかいな?

「コスパよく、タイパよく」という価値観が大勢 頑張ったことを素直に称賛しない風潮に物申す


 渋田:ぎりぎりでも、一生懸命勉強して、開成や桜蔭に受かるのはすばらしいことじゃないですか。

 富永:私もまったく同感です。偏差値を高く維持することは本当に大変なことであり、それを達成している学校や塾は一定の成果を上げているという意味では尊重されるべきです。

 受験直前になるとどうしても弱腰になるのか、「無理して上の学校に行かなくてもいい」「子どもが無理をせずに入れればいい」という風潮が強まりますが、上を目指すことを否定するのが本当に子どものためになるのかと思いますね。

 実際、桜蔭や開成に受かった子に対して「おめでとう」と言うより先に、「親がお尻を叩いて、勉強させたから受かっただけでしょう」といったような「アンチ中学受験」とも言うべき否定的な反応もある。厳しい環境に挑戦することの価値をもっと認めるべきではないでしょうか。

 開成に合格したとして、人生はそれで終わりではありません。そこでいろいろな友達に会うとか、先生に出会うとか、刺激を受けて自分の人生が変わる。

この意見も当たり前過ぎます。コスパ、タイパよく受験?意味不明。どうせ中学受験するなら、とことんまでやるべしです。そんな中途半端で腰が引けた態度を親が示していたら、子どもの人生は大学受験さらにその後の人生でもろくなことにならないと、私は思います。うちの場合、御三家は娘はうまくいかず、息子はうまくいきでしたが、その時一生懸命努力したことは、それぞれにとってその後の生き方に大きくプラスになったと思います。入試に限らないけど、死力を尽くして頑張ることの得がたい学びは、やったものにしかわからない境地を教えてくれることです。それは「どんなに努力しても勝てない相手が世の中にはいる」と知ること。受験だけでなく、社会に出てからを考えても「上には上がいる」とわかるのは、全力で努力したことがある人間のみです。これをしたことがない低レベルのひとたちがイヤなのは、「どうせ人生どっこいどっこい。あなたも私もみんな結局同じようなもんよ」と本気で思ってるらしいこと!そういう人物に限って馴れ馴れしい態度で接近してくるので、虫唾が走ります。「控えおろう!この無礼者が!!」です。その点、そういう努力をした経験があるひとは基本的に謙虚です。色々な場面において自分がまったく無知なことあるいは未経験なことを教えてくれる人が必ずいると知っているからですね。ぼーっと生きてるひとたちの目は節穴なので、みんなが自分と同じように怠け者にしか見えないのでしょう。ましかし、私のようにそろそろ人生終盤に近づく年になってようやく頑張ることの大切さがわかっても、今更人生取り返しつきません。世をはかなんでいっそ早く死んでしまいたいと思うかもしれないから、放っておくに限ります。

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