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夏目雅子の死(1985) 〜「クールスーサン」から

ポワール

(夏目雅子 カネボウ化粧品CMから 1977年)




NHK朝ドラ「あんぱん」の「なめたらいかんぜよ!」から映画「鬼龍院花子の生涯」に飛び、夏目雅子について述べました。今は亡き「クールスーサン」さんのブログで夏目雅子の死去について述べていたので、紹介したいと思います。


女優・夏目雅子の死 昭和60年(1985年)


 昭和52年4月、夏目雅子(19)がカネボウ化粧品の夏のキャンペーン・ガールになり、大ブレークした。芸名の夏目雅子には、「夏の目玉商品」という意味が込められていた。灼熱(しゃくねつ)の太陽と青い空、青い海を背景にした小麦色の素肌、はちきれんばかりの肢体、そして澄んだ瞳のポスターに多くの若者は引きつけられた。


 夏目雅子(本名=西山雅子)は昭和32年12月17日、東京・六本木の輸入雑貨商の子として生まれた。小学校から短大まで東京女学館で学び、短大在学中に日本テレビのドラマ「愛が見えますか」のオーディションに応募、募集者486人の中から見事ヒロインに抜てきされてデビューした。その後、短大を中退して女優に専念することになった。


 昭和53年、日本テレビのドラマ「西遊記」に三蔵法師役で出演た。西遊記は孫悟空(堺正章)、沙悟浄(岸部シロー)、猪八戒(西田敏行)といった豪華キャストで、この番組は外国でも放映されて話題になった。テーマ曲を歌ったのはゴダイゴで、オープニングが「Monkey Magic」、エンディングが「ガンダーラ」でともにヒットした。


 昭和59年、五社英雄監督の映画「鬼龍院花子の生涯」で、彼女が言い放った「なめたら、いかんぜよ」という、火のような啖呵(たんか)が流行語になり、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。夏目雅子の魅力は、洗練された都会的な雰囲気、柔らかな表情の中に隠された芯の強さ、屈託のない笑顔とスタイルの良さであった。


 テレビドラマでは、昭和53年のNHK大河ドラマ「黄金の日々」、56年の「おんな太閤記」で多くのファンをとらえ、「鉄道公安官」「騎馬奉行」「ザ・商社」「野々村病院物語」「徳川家康」などに出演した。


 映画は「俺の空」でデビュー、「二百三高地」「時代屋の女房」「南極物語」のほか、昭和59年には「瀬戸内少年野球団」に出演した。この「瀬戸内少年野球団」は、出演者の中から、夏目雅子、渡辺謙など大病を患う人が数人出たことから、後に「呪いの映画」と呼ばれた。


 夏目雅子はこの映画の後、甲状腺疾患で入院したが、昭和59年には作家の伊集院静と結婚。翌60年2月、東京・渋谷の西武劇場で「愚かな女」で主役を演じたが、極度の疲労を訴え慶応病院に運び込まれた。本人は「はってでも舞台に戻る」と泣き叫んだが、医師はそれを制して入院となった。


 本人には極度の貧血と告げられたが、病名は「急性骨髄性白血病」だった。 慶応病院での闘病生活で病状は回復に向かい、病院の廊下や屋上を散歩することもあった。ところが特ダネ写真を撮ろうと、カメラマンが白衣を着て医者に化けた潜入するなど、過激な報道にさらされた。そのため夏目雅子は病室にこもり、やがて病状は8月頃から悪化した。9月9日未明から危篤状態に陥り、9月11日併発していた肺炎によって午前10時16分、27歳の若さで息を引き取った。夏目雅子のひつぎが帰ってきたとき、自宅前に押しかけた報道陣に、母親は「これであんたたちの思い通りになったでしょう」と叫んだとされている。


 白血病は白血球ががん化する病気で、悪性腫瘍全体の3%以下であるが、若年者では死因の上位を占めている。白血病は血液または骨髄の中でがん細胞が増殖する疾患で、急性白血病と慢性白血病に分類される。


 急性骨髄性白血病の有病率は人口10万人当たり2〜4人とされ、白血病全体の約6割を占めている。成人の場合40歳以下の発症は少なく、40歳以上では年齢とともに頻度が増加する。治療は多剤併用療法の進歩により改善し、最近の完全寛解率は約70%になっている。死亡例は少数派になっているが、腫瘍の増殖速度が速く、週日単位で病状が変化し改善しないケースもある。


 夏目雅子が亡くなる1年前に結婚した作家の伊集院静は、夏目雅子と209日にわたる闘病生活を共にし、その闘病生活を書いた「乳房」で直木賞を受賞している。書かれた文章には、「背後からパジャマを着させると、妻は私の手を両手でつかんで、その手を自分の乳房にあてた」との1節がある。死を前にした彼女の切ない心情が伝わってくる。


 女優・夏目雅子の若すぎる死は、急性骨髄性白血病の恐ろしさを教えてくれた。医学の進歩や新薬の開発により、治癒率は確実に上がっているが、抗がん剤の副作用である脱毛は精神的苦痛を与えるものである。


 夏目雅子の実兄小達一雄さんは、夏目さんが闘病中の頭髪を特に気にしていることを知っていた。女性の場合、脱毛による精神的ショックは大きい。そのため小達一雄さんは、夏目さんの遺志を継ぎ、「夏目雅子ひまわり基金」を設立した。ひまわり基金は、かつら300個を無償で貸与し、骨髄移植を啓発するとともにドナー登録を呼び掛けた。その他、エイズの正しい知識啓発などを続けている。


 夏目雅子のポスターは日本骨髄バンクのキャンペーンに使われている。骨髄バンクには10ccの献血で登録でき、16万人が登録している。1人の患者さんに適合する骨髄ドナーには30万人の登録が必要とされ、夏目雅子の悲しみを繰り返さないため登録に協力したい。


 白血病は不治の病のイメージがあるが、俳優の渡辺謙、女優の吉井怜らがこの病気を克服している。歌手の本田美奈子さんは残念ながら亡くなったが、本田美奈子さん、夏目雅子さんの明るい笑顔は私たちの心の中にいつまでも輝き続けている。

夏目雅子演じる三蔵法師が馬上から、「悟空よ」と堺正章演じる孫悟空に呼びかける端正な姿も思い出します。


 ついでに書くと、夏目雅子の実兄小達(おだて)一雄は、キャンディーズのメンバー故田中好子の夫としても知られています。恋多き男で、あまり評判がよくないです。しかし田中好子の葬儀の時は真剣に向き合っていたと信じたいですね。スポニチから引用します。

“3分20秒のラストメッセージ”スーちゃん肉声に涙…


[ 2011年4月26日 06:00 ]

 「キャンディーズ」の元メンバーで、21日に乳がんのため55歳で死去した女優田中好子さんの葬儀・告別式が25日、東京都港区の青山葬儀所で営まれた。アイドル時代からのファンら約2200人が参列。出棺前には、死期を悟った田中さんがキャンディーズの仲間や東日本大震災の被災者にあてて病室で録音していた肉声が紹介された。デビュー当時の歌声が流れる中、ファンは霊柩(きゅう)車に向かって次々と紙テープを投げ、往年のコンサート風景を再現しながら天国への出発を見送った。


 田中さんは、会葬者を想定して自身の肉声を残していた。夫の小達一雄さん(56)が喪主のあいさつで、映画で使うカチンコを持ち出し「女優田中好子の第1章は幕を下ろしましたが、第2章第1幕を本日、スタートさせてあげたい。第2章シーン1、テーク1。用意!」と合図をすると、「こんにちは、田中好子です」と語りかけた。


 亡くなる23日前の3月29日に病室で録音。自分を愛し、支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝え、「特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした」。この日、弔辞を読んだキャンディーズの仲間の伊藤蘭(56)と藤村(現・尾身)美樹さん(55)に特別な思いを寄せた。また、「もっともっと女優を続けたかった」と無念さもにじませた。


 演技の時とは違い、消え入りそうな細い声。死期を悟り「天国で、被災された方のお役に立ちたい。それが私の務め」と、震災の被災者を気遣う言葉も。義妹で女優夏目雅子さんが急性骨髄性白血病のため85年に27歳で亡くなった後、「夏目雅子ひまわり基金」が設立されたことに影響を受けたようで、「義妹のように、社会に恩返しを」と遺志を託した。


 遺言のような声は3分20秒続き、小達さんの「カット!OK!」の声で終了。式場では、すすり泣く声が漏れ、ハンカチを当てても涙を拭いきれない参列者が見られた。


 棺に花を入れる最後の別れでは、約10分の予定を大幅に上回り40分続いた。1人でも多くの人に、じっくりとお別れをしてほしいという遺族の意向からだ。伊藤と美樹さんは棺を閉じるまで遺体に寄り添った。


 この間、晴れていた式場上空に黒い雲が広がり、15分にわたって大粒の雨。そして、棺が運び出される際は晴れ上がった。青い棺を乗せた霊柩車が発車すると、「せーのっ!」の合図とともに「スーちゃあーん!」の野太い声が響いた。応援組織「日本キャンディーズ協会」のメンバーを中心としたファンたちが往年のコンサートの様子を再現し、一斉に青い紙テープ300本を投げた。


 車道はキャンディーズ時代の田中さんのイメージカラーだった青一色に。じゅうたんのようになったその上を霊柩車が通り、田中さんは旅立った。法被に鉢巻き姿の50代の男性は「スーちゃん、ありがとう!」と泣き叫び、78年4月4日、旧後楽園球場での解散公演を想起させた。


 この時、73年のデビュー曲「あなたに夢中」も流れた。田中さんがメーンボーカルを務め、もっとも気に入っていた曲。♪あなたのため 生まれたのよ 別れは来ないで…。歌に込めた思いのように田中さんの笑顔と伝説は仲間やファンの心の中で永遠に生き続ける。


 ▽キャンディーズ解散公演 77年7月の公演中に「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言し、78年4月に開催。当時の後楽園球場(東京都文京区)に5万5000人を集め、「本当に私たちは幸せでした」との言葉を残した。キャンディーズ公演では客席から舞台に紙テープを投げるのが恒例で、ファンは芯をあらかじめ抜いてメンバーがケガをしないようにした。投げるタイミングも決まっていた。ラストステージでは、それまで以上に大量に投げられ、最後は3人の足元が見えないほどだった。


 ◇主な参列者 伊藤蘭、藤村美樹、渡辺裕之、佐野史郎、岩崎宏美、綾戸智恵、別所哲也、国仲涼子、山田優(以上タレント)、鳩山由紀夫前首相、鳩山邦夫元総務相、酒井政利(プロデューサー)、湯川れい子(作詞家)、藤島親方(元大関武双山) (順不同、敬称略) 


佳人薄命。合掌。

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