8月15日 〜鈴木貫太郎と水木しげる
今から80年前の今日、正午から昭和天皇の「玉音放送」が流され、ポツダム宣言受諾による日本の無条件降伏が決まりました。本日も朝から外でミンミンゼミやクマゼミが忙しくなく鳴いており暑い晴天となっていますが、当時の東京も同じような天気だったのでないかと思います。昨日8月14日は、長年茶の湯を通じて世界平和を訴えてきた裏千家大宗匠(前家元)の千玄室氏が亡くなりました。千氏は同志社大学生時代に学徒出陣で海軍に入隊し、特攻隊に志願したものの終戦によりからくも生き延びることができた話は有名です。そういう方の訃報が本日の各紙朝刊の一面に取り上げられるのも、偶然とはいえ感慨がありました。
読売新聞朝刊の一面で終戦時の首相だった鈴木貫太郎が取り上げられています。ご存じのように鈴木貫太郎は海軍大将まで上り詰めたものの、英米協調派とみられ皇道派の青年将校には目の敵にされていました。その結果1936年の2.26事件では自宅で襲撃され、瀕死の重傷を負いました。夫人がかばってかろうじてとどめを刺されるのを免れましたが、もしもこの時鈴木が暗殺されていたなら、日本の終戦もどうなっていたかわからないと言われます。1945年8月15日は徹底抗戦を主張する陸軍の一部が反乱を起こし(「宮城事件」)、皇居で銃撃戦の末に近衛師団第一団長などを殺害しましたが、最終的には鎮圧されました。また厚木飛行場では海軍一部が無条件降伏に反対して反乱を起こしましたが(「厚木航空隊事件」)、これも鎮圧されました。「宮城事件」で目論まれた玉音放送録音のレコード奪取はかろうじて免れ天皇の詔勅は放送されましたが、まことに危うい局面だったと思います。
鈴木貫太郎の孫の鈴木道子さん(93歳)がインタビューに答えています。実は文京区千石にあった鈴木貫太郎の私邸にも宮城事件の襲撃隊が訪れ、鈴木貫太郎を暗殺しようとしたのですね。初めて知りました。8月15日の早朝先に襲撃があった首相官邸からの緊急電話で鈴木貫太郎やその家族は逃げおおせることができましたが、襲撃隊の放火で自宅は全焼したそうです。この事件から2年後の1947年に新しい日本国憲法が発布され、それを見届けるかのように翌年80歳で鈴木貫太郎は亡くなります。「永遠の平和」と2回唱えて息を引き取ったそうですが、本当にご苦労様ありがとうございましたと言いたい気持ちでした。
8月14日の読売朝刊では、同じ「戦後80年」シリーズで、漫画家・水木しげる氏の長女と次女がインタビューに応じています。「ゲゲゲの鬼太郎」など妖怪もので知られますが、南太平洋ラバウルの激戦で左手を失ったこともよく知られています。実は水木さんが戦争中の残酷な体験を語るようになったのは随分後年のことだったと知りました。腕がないだけで「陽気なお父さん」と子どもたちは思っていたようですが、戦後30年近く経った80歳になってから戦地の記憶を語るようになったと言います。NHK朝ドラ「あんぱん」でも出て来た「初年兵可愛がり」で古参兵たちに散々に殴られた水木氏。「畳と初年兵は殴るほど良くなる」か。ラバウルの前線では偶々歩哨番で部隊本隊から離れていたために、全滅した部隊の中でかろうじて助かります。しかし、帰還して報告した上官に言われた言葉「なんで逃げ帰ってきたんだ。皆が死んだんだから、お前も死ね!」でした。あまりに残酷で直視できない現場が、その後「総員玉砕せよ!」として1973年発表されましたが、読んだ水木氏の次女・悦子さんは「打ちひしがれた」と述懐しています。さぞ強い衝撃を受けたことと思います。
本日靖国神社には高市早苗、小林鷹之そして小泉進次郎といった保守派政治家たちを中心に超党派の国会議員たちが参拝しました。靖国神社に戦没者たちが祭られているのは事実ですが、戦前の国家神道の流れを汲むことを考えると、千鳥ヶ淵の「戦没者慰霊墓苑」を差し置いて靖国神社で祈ることが正しいことなのか私は疑問です。そして昭和天皇がもっとも嫌ったのは、戦後極東軍事裁判で絞首刑となった東條英機を始めとする7人の政府責任者が合祀されたことです。アメリカ始め戦勝国が勝手に決めた裁判はおかしいといっても、彼らが第二次世界大戦に参戦した日本の首脳として重大な責任を負っていたのは事実です。少なくとも彼らは自分達が命令して戦死させた兵士たちへの責任がある。自分達は戦勝国から処刑されたから戦死したという扱いでいいのか?1978年にこれらの人物たちが合祀されてからは、昭和天皇は一度も靖国神社に出向かなかったことはよく知られています。昭和天皇は自分にも戦争責任があることは強く自覚していたと思います。戦前の政治家や軍人たちの意見に引き摺られて自分の意思を貫くことができなかったことに、昭和天皇には悔悟の念があったことでしょう。戦争指揮を執った責任者たちと命じられたことで戦死した兵士たちを同列に扱うことは、到底肯んじ得なかったと推測します。高市早苗とか勇ましい発言ばかりで目立っているが、本当にこういった歴史的経緯をよく理解しているのか?「八紘一宇」とか大して理解もせずに、「世界はみんな仲良しで助け合おうという精神」と無邪気に能天気な発言をしていたことを近い人物から聞いております。次期首相にだれがなるのか知りませんが、歴史的に深い洞察と識見を持つ政治家に務めていただきたい。切にそう思います。
*自分が小学校5年だった11歳の時から50年以上連綿と考えてきたことをここで初めてはっきりと述べ、すっきりした気持ちです。
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