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「科学の女王」数学 〜圧倒する京大数学のすごさ

ポワール

京都大学数学科卒 〜「大学の数学は難し過ぎて全然意味がわかりません」


間もなくするとノーベルウイークが始まりますが、今年はその前に日本人数学者のアーベル賞受賞というニュースが7月にありました。数学の世界的賞というとフィールズ賞が有名ですが、「4年に一度」「40歳未満」「2名以上4名以下」とかなり厳しい制限があります。アーベル賞はその点功成り名を遂げた数学者が受賞します。今年京都大学の柏原正樹特任教授が日本人として初めて受賞しました。もっとも子どもに言わせると、京大理学部では柏原先生は以前から有名で、今更感があるそうですが。さてこの柏原京都大学教授受賞を受けての日経の記事です。


「科学の女王」数学、日本の研究水準は高いが…AIなど産業応用は後れ


情報科学や物理学などの研究分野の基盤になる数学は「科学の女王」と呼ばれる。京都大学の柏原正樹特任教授が5月に「数学のノーベル賞」とされるアーベル賞を受賞するなど日本の研究水準は高い。だが人工知能(AI)など向けの産業応用では欧米に後れを取り、産業競争力の向上につながっていない。優れた研究を応用に生かそうと政府や企業が動き出している。


「50年以上にわたる研究全体に対する評価で、とても光栄です」。ノルウェーで開かれたアーベル賞の授賞式で柏原特任教授はこう話した。「D加群」と呼ばれる数学の理論を確立した。日本は数学界で最高峰とされるフィールズ賞でも世界で5番目に多い3人の受賞者を輩出してきた。


さてここに日本人の数学者の受賞歴が出ていました。

一見して驚いたのは、京大が東大を圧倒していることです。ここまで差があったとは知らなかった。ノーベル自然科学3賞も京大勢が強いですが、数学はそれ以上です。今はそれほどでもないですが、以前京大入試の数学はとても目立っていました。東大と違ってごり押しの計算力は問われないが、エレガントな発想を要求される問題が多かったです。小問による誘導が全然つかないので、閃かないと手も足も出ない。文系受験者だと「数学0点」で撃沈される者も結構いました。ああいう入試も数学研究者の選抜に影響していたのでないでしょうか。


 この表で最古となる東大・小平邦彦先生の前には岡潔(おかきよし)という有名な京大出身の数学者がいました。この先生も凄かったです。

岡 潔(おか きよし、1901年〈明治34年〉4月19日 - 1978年〈昭和53年〉3月1日)は、日本の数学者。理学博士(京都帝国大学、・論文博士・1940年)。奈良女子大学名誉教授。奈良市名誉市民。従三位勲一等瑞宝章。 


数学者としての挑戦


フランス留学時代に、生涯の研究テーマである多変数複素関数論に出会う。当時まだまだ発展途上であった多変数複素関数論において大きな業績を残した。一変数複素関数論は解析学から数学的解析に至る雛型であり、そこでは幾何、代数、解析が一体となった理論が展開される。本来あるべき数学はこれを多次元化する試みであると考えられる。一変数複素関数論の素朴な一般化は多変数複素関数論であるものの、多変数複素関数論には一変数複素関数論にはなかったような本質的な困難が伴う。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡である[3]。


具体的には三つの大問題の解決が有名だが、特に当時の重要な未解決問題であったハルトークスの逆問題(レヴィの問題ともいう。および関連する諸問題)に挑み、約二十年の歳月をかけてそれを(内分岐しない有限領域において)解決した。岡はその過程で生み出した概念を不定域イデアルとするが、アンリ・カルタンを筆頭としたフランスの数学者達がこの概念を基に連接層という現代の数学において極めて重要な概念を定義した。また、解析関数であるクザンの第2問題を解くためには、非解析関数である連続関数の問題に置き換えるべきであるとする「岡の原理」も著名である。


その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず「岡潔」はニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともある[4]。 

ブルバキとは、1930年代にフランスの若手数学者たちによって結成された、架空の数学者ニコラ・ブルバキを名乗る数学者集団のペンネームです。この集団は、数学を構造概念に基づいて一般化(抽象化)し、『数学原論』という一連の体系的な書籍を共同執筆しました。それに匹敵する偉業を、オカ・キヨシはたった一人でおこなったのです。

なお岡潔は教育に関する深い洞察をともなう一般書も多数出しています。またあまりに数学研究に打ち込んだため、我を忘れたような奇行があったことも知られています。

岡潔が数学の魅力に取り憑かれたきっかけは、旧制粉河中学(現在の県立粉河高校)3年の時である。たまたま父の書棚に『数理釈義』(クリフォード著作)を発見。ここで説かれているクリフォードの定理に彼は熱中した。毎日、画用紙と定規とコンパスを使い、本当にそうなっているかどうかを調べたという。数学の「奥深さ」を感じ始めた最初であった。

 また、京都大学時代、試験に出た数学の難問と格闘し、その証明法を発見。試験中でありながら、思わず「わかった!」と叫び、周囲を驚かせた。その後、残りの試験を全て放りだして、公園のベンチで仰向けに寝そべり、感動の余韻に浸っていたという。この喜びを彼は「発見の鋭い喜」と呼んでいる。彼を数学への道に進ませる体験となった。

岡潔といえば奇行で知られているが、いくぶん変わった挙動が見られるようになったのは、この頃からであった。京都の河原町の路地にかがみ込んで、一心に何やら図形を描く岡の姿がしばしば見受けられた。三高生(旧制第三高等学校)の後輩たちは、先輩のこうした姿を見て、畏敬の念に襲われたという


そういった岡潔をモデルとしたと言われる映画が、「好人好日です。

『好人好日』(こうじんこうじつ)は、1961年(昭和36年)8月13日に公開された日本映画。監督:渋谷実、主演:笠智衆・淡島千景・岩下志麻。配給:松竹映画。

概要

奈良の大学の数学教授[1]である初老の男、その男を陰から三十年にもわたって支え続けてきた妻、そして奈良市役所に勤務する娘と婚約者である娘の男の同僚(及び彼の姉や母)との間の家族模様を描く。父娘の情愛がテーマの物語である。

数学者を主人公とした映画やドラマは幾つかありますが、実在の数学者をもとにしたのはこの映画が嚆矢でしょう。


京大の数学研究の牙城は「数理解析研究所」です。京大の大学院の数理科学となると、理学研究科数学専攻もありますが、なんといっても難関なのは数理解析研究所(RIMS)の大学院です。子どもが理学部にいた時様子を見に行ったついでにここも行ってみました。非常に狭っこい。敷地内の東山の山傾斜が始まるところに立っており、もっと広々とした「学者の楽園」を想像していたので拍子抜けしました。しかし、内実はすごい。Google AIさんによると

京都大学数理解析研究所(RIMS)の大学院入試の難易度は非常に高く、特にnoteによると、本来の定員が少なく、東大との併願者もいるため、合格倍率が約2.4倍程度になる年も見られます。また、noteでは、1次合格者が大幅に絞られ、難しい問題が複数受験者にとって大きな難関となること、さらには例年と異なり内部生も容赦なく落とされている状況が見られることから、難易度は例年以上に高い傾向にあると推測されます。


ここにはかの有名な望月新一教授がいます(上の望月拓郎教授とは別人)。数学好きの大学時代の友人たちと話すと、「京大数学といえば望月先生」」と決まってこの方の話題が出ます。

望月 新一(もちづき しんいち、1969年〈昭和44年〉3月29日 - )は、日本の数学者。自らのホームページでは「宇宙際幾何学者」を名乗っている[1]。学位は、Ph.D.(プリンストン大学・1992年)。京都大学数理解析研究所教授。研究分野は数論幾何学、遠アーベル幾何学。

本籍地は東京都世田谷区[2]。数論における重要な未解決問題であるABC予想を、自身が考案した宇宙際タイヒミュラー理論を用いて証明したとする論文を発表した。 

宇宙際タイヒミュラー理論・・・何かわからんがすげー名前の理論だな。そもそも「宇宙際」って何?のレベルの私。

人物


メディアの取材に応じない意向を示しており、ABC予想に関する論文の学術誌掲載決定に際する京都大学の会見にも出席しなかった。


またNHKの制作によるドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」で「数学者は宇宙をつなげるか?abc予想証明をめぐる数奇な物語」が放送された際も取材に応じない旨の望月の返信メールが紹介された[注 1][注 2]。同放送で、イギリス数理科学国際センター所長でウォーリック大学教授のミンヒョン・キムは「望月博士が人前に姿を現さないのは、数学に対する集中力と忍耐力を保ち続けたいと考えているからだろう」「彼は高い集中力で、高度に抽象的な数学の問題に立ち向かってきました。非常に難解な事柄に焦点を当て、考え続ける彼の忍耐力、それを尊重するべき」と述べている。また博士課程での同僚時代の会話で「シンは、問題自身はシンプルでも、その解決には非常な深さと構造が必要であるような根源的な難問を証明したい。そう話していました」とコメントした[8]。


京都大学数理解析研究所教授の玉川安騎男は「とにかく徹底的に何かをする。ゼロから理論を構築していくのが彼のスタイル」とコメントした[9]。 

サイト「京大の天才達」から引用します。

16歳という若さでプリンストン大学に入学。19歳で学部を次席で卒業。


23歳で同大学の博士号を取得する。そして32歳という衝撃の若さで京都大学数理解析研究所教授に就任。


経歴だけでも十分天才だが、彼は数学の超難問「ABC予想」を解決したとされる


注目すべきはその「」と「名前」である。こんなにも数学力を反映してることがあるだろうか。

これは岡潔先生も顔負けです。しかし、ここまで出てくる数学者の多くはいわゆる純粋数学を専門としており、物理などに通じる応用数学とは距離があります。日経の記事は数学の応用面での日本が置かれる立場を論じています。続きます。

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