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映画「国宝」 〜華麗なる上方歌舞伎の世界

ポワール

(映画「国宝」より )


上演時間3時間超えという大作です。18時半に始まり見終わったらもう21時をとっくに過ぎていてびっくりしました。最後まで飽きさせず確かに人気間違いなしの作品ですが、私が見て思った第一感想は「自分も結構歌舞伎を見てきている」でした。直近の観劇はもう10年以上前で、最後が中村勘三郎率いる平成中村座の2012年4月 の浅草公演です(隅田川続俤 法界坊:すみだがわごにちのおもかげほうかいぼう)。しかし、自分が高校生で初めて見た三宅坂の国立劇場(現在休館中)の「歌舞伎鑑賞教室」からこれまでそれなりの本数を見て来ているようです。「国宝」でも「あれも見た」、「これも見た」と懐かしい場面が展開されていました。しかし、本作の中心といっていい「曽根崎心中」だけは未見です。映画で何度も出て来た「天満屋の段」でお初が縁の下に隠れる徳兵衛に向かって足をならす場面は知っていますが、実際に見たことはありません。歌舞伎は大きく江戸歌舞伎と上方歌舞伎に分かれます。歌舞伎は京都に始まっているので元祖はもちろん上方ですが、首都圏に住む私には江戸の方が馴染みです。江戸歌舞伎が時代劇の立ち回り「荒事」が中心ですが、上方は「世話物」といって人情のやり取りが多い特徴があります。この映画では梨園役者の血みどろの関係性がこれでもかと描かれており、まさに上方歌舞伎が舞台としてふさわしかったと思います。それにしても歌舞伎はしろうとの俳優さんが演じているとは思えない迫真の演技でした。主役配役は

立花喜久雄(花井東一郎):吉沢亮
大垣俊介(花井半弥):横浜流星

と、当代きってのイケメン俳優たちですが、女形役者の中村鴈治郎が演技指導をおこなったそうです。鴈治郎の父「中村扇雀」は「曽根崎心中」のお初を当たり役としてましたから、まさに打って付けです。ちなみに鴈治郎は「国宝」に大物役者「吾妻千五郎」役でも出ていて、娘を手玉に取った花井東一郎(吉沢亮)を無茶苦茶ぶん殴ってましたね。しかし歌舞伎の隈取りをすると、吉沢亮と横浜流星はもうそっくりでどちらがどちらかさっぱりわからない。美形のムダ遣いでしょうか(笑)。「京鹿子娘二人道成寺」の踊りは二人の息が合っていて、見事な出来映えでした。あれ演じた後は膝が痛くてしばらく立ち上がれなかったのでないだろうか。二人の役者人生にとって今回の出演は得がたい経験になったと思います。


 幾つか印象に残った場面を述べます。まず花井東一郎が吾妻千五郎の次女と駆け落ちして、ドサ回りに転じた暗転場面。酔客相手の演芸場で藤娘を演じた東一郎は懸想したイカれた若者に追いかけられ、連れ合いのちんぴらたちに衣装をはがされる。そこで出た背中の派手な倶利伽羅紋紋に「男じゃないかい!」とイカれ者たちに散々殴られる。血みどろの顔となりはだけた衣装でウイスキーをラッパ飲みする東一郎。これ、中国映画「さらば、わが愛/覇王別姫」にそっくりの演出でした。レスリー・チャン演じる京劇の女形役者・程蝶衣が文化大革命で裏切りに遭い、紅衛兵たちにむちゃくちゃに暴行を受ける場面です。

「さらば、わが愛/覇王別姫」から


チャンの化粧が溶けた泣き顔は吉沢亮とそっくり!調べてみるとやはりそうでした。

先日行われた上海国際映画祭に登壇した李相日監督が、『国宝』を手掛けるにあたって『さらば、わが愛/覇王別姫』から影響を受けたことを公言していたように、かたや中国の伝統的な演劇である京劇、もう一方は日本の伝統芸能である歌舞伎。時代や国が違えば各々の世間一般からのそれらの位置付けも異なって然るべきであるが、“芸道”という根幹は通じている。ゆえに、『国宝』のレファレンスとして『さらば、わが愛/覇王別姫』が用いられることは極めて自然なことであるし、そもそも50年間というあまりにも長い年月を一本の映画に集約する方法論から考えて、構成的に似てしまうのも仕方あるまい。


 そして「曽根崎心中」の天満屋の段。実は大垣俊介=花井半弥(横浜流星)と花井半二郎(渡辺謙) 親子は糖尿病の家系なのですね。ドサ回りから花井半弥に呼び返されて梨園に戻った花井東一郎は、再び二人で息の合った演技を見せます。しかし「京鹿子娘二人道成寺」のクライマックスで釣り鐘に上ろうとして転落する半弥。その左足の指先は紫色に変色しています。糖尿病による壊疽です。医者からみてその壊疽の外見が実にリアルでした。その結果左足を切断するも、右足にも血管閉塞の徴候が出始めた半弥。「両足切断の前に最後の願いや」と「曽根崎心中」の天満屋の段を東一郎と演じることを希望する。お初演じる半弥が縁の下に差し出した右脚は爪が黄色くなり、ガサガサの足指になっていました。まさに糖尿病壊疽の寸前でメイクがあまりに現物そのものの凄みでした。その汚くなった足を愛おしそうに抱く徳兵衛演じる東一郎。糖尿病で足や腕を切断した患者なら涙なしに見られない場面だったと思います。その後しばらくして花井半弥は死にます。


 しかし、現実にはあり得ないと思ったのは、やはり花井東一郎(立花喜久雄)の刺青です。大きくはばたくミミズクが背中いっぱいに描かれています。実は東一郎は長崎のヤクザ立花組長立花権五郎の息子です。花井半二郎が歌舞伎公演で長崎に来た時、立花組の正月の宴席に挨拶に来ます。そこで見た余興の歌舞伎を演じた喜久雄の見事な役者ぶりに驚嘆するも、対立するヤクザが殴り込みを掛けてきます。そこで父親・立花権五郎を無惨に殺される喜久雄。「俺の姿をしっかと見届けよ」と言って倒れる権五郎に降り注ぐ雪。この長崎には珍しい降り舞う雪のイメージこそが花井東一郎(立花喜久雄)の生涯を貫通します。ミミズクの刺青は父親の復讐を誓った喜久雄が彫り師に彫らせたもので、それを背負って兄貴分と相手に殴り込みに行く。結局親の仇は取れず少年院送りとなった喜久雄は出所後、頼る者もなく花井半二郎に引き取られ役者としての道を歩き始める。まあ歌舞伎役者なんてヤクザ者が多いと思ってますけど、本当に倶利伽羅紋紋を背負ってるのはさすがにいません。


 喜久雄は花井半二郎の実子大垣俊介と同い年で同じ高校に通うことになります。この場面で二人は実に初々しく、この喜久雄の背中に倶利伽羅紋紋があるとはとても想像できません。

この短い高校生活を送ることになる花井半次郎邸宅の周囲がまことに関西らしい風景です。この映画ロケ地は以下のようです。

びわ湖大津館/滋賀県

先斗町歌舞練場/京都府

上七軒歌舞練場/京都府

出石永楽館/兵庫県

玉手橋/大阪府

今宮神社/京都府

ウェスティン都ホテル京都/京都府

ホテルいとう/和歌山県

南座/京都府

まさに関西尽くしです。私にも懐かしい場所が幾つかあります。ああ、私も阪神間に住んで谷崎潤一郎みたいな生活をしてみたかった。


 花井東一郎は二代目花井半次郎の名跡を継ぎますが、上記したように波乱というか修羅の人生を歩みます。しかし、苦難の末に功成り名を遂げた東一郎=三代目花井半次郎は重要無形文化財の保持者として文化庁認定の「人間国宝」となります。「悪魔さんと取引した」甲斐がありました。でも現実には倶利伽羅紋紋背負った人間国宝はさすがにいないでしょう。この映画の監督は李 相日(イ・サンイル/リ・サンイル)といい、在日三世です。wikiによると

1974年、新潟県に生まれる。在日朝鮮人三世で、父は新潟朝鮮初中級学校で教師をしていた。4歳の頃、一家で横浜に移り住み、横浜の朝鮮初級学校、中級・高級学校に通った。高校3年に進級するまでは野球部に所属した。神奈川大学経済学部卒業間際に、アルバイトでVシネマの製作に参加したのがきっかけとなり、卒業後、日本映画学校(現・日本映画大学)に入学。 

人間の葛藤や社会の闇を深く掘り下げた作風で知られる。監督作品は数多くの映画賞を受賞しており、代表作には、第30回日本アカデミー賞で作品賞、監督賞に輝いた『フラガール』(2006年)、そして第34回日本アカデミー賞で作品賞を受賞した『悪人』(2010年)がある。日本を代表する映画監督の一人として高い評価を得ている。

「国宝」は邦画として近来稀に見る傑作だと思います。しかし、そこに描かれる歌舞伎の世界は日本というよりも東アジア全体に拡がる芸事の気風を色濃く反映しているように感じました。

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