NHK「こころの時代」和泉唯信 〜医師かつ僧侶にして柔道家
全身の筋肉が痩せ衰え、やがて呼吸不全に至る難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)。30年間で700人、日本で最も多くのALS患者と向き合ってきた専門医・和泉唯信さんは、意思表示も難しくなった患者の家を無償で訪ね、全国各地を奔走している。そんな和泉さんは故郷・広島の寺の住職でもある。やがてすべての人に訪れる死をどう考えるのか。医師にして僧侶である和泉さんは、そこにどんな「生きる意味」を見出してきたのか。
和泉唯信(ゆいしん)先生は徳島大学医学部神経内科の教授を務めています。専門とするのはALS(筋萎縮性側索硬化症)で神経変性を起こす難病です。私が驚いたのはALS患者で人工呼吸器を希望するのは3割ほどだということです。ALSは通常発症後数年で呼吸能の低下が始まりますが、人工呼吸器を使用しなければ早晩呼吸不全で死に至ります。「勝ち負けでいうと、今まで全敗」と和泉先生は言いますが、自ら延命を断る患者さんがそれほど多いとは知りませんでした。しかし一度人工呼吸器を装着したら、患者本人の意思ですらはずすことができないというのは重い意味があります。人工呼吸器を装着してても次第に呼吸能は低下するので苦しくなります。それに全身の筋が麻痺していき、最後に残る外眼筋すら動かせなくなると、意思の表出は不可能になり無言無動になります。しかし大脳は冒されないので意識清明。いわゆる「Locked-in」(閉じ込め)症候群の状態になりますが、これはものすごく苦しいです。窒息するより苦しいかも。それがいったい何年続くのか。改めてこの病気の残酷さを考えました。
和泉唯信さんには浄土真宗西本願寺系の僧侶という別な顔があります。24歳で得度されてますが、広島県三次市に江戸時代初期から続く佛久山法正寺の第19代目住職も務め、檀家の法要も務めています。その上先代で父親の和泉恵雲師が開いたビハーラ花の里病院の医師も務めています。この病院は終末期患者を受け入れるホスピスなので、亡くなった時の法要も和泉さんがおこなっています。和泉さんのご家族はこの三次市に住んでこれらの施設運営に従事し、唯信さん自身は単身赴任で徳島大学に勤めています。これだけの活動をするだけでもものすごいエネルギーですが、和泉さんはさらに週末も全国のALS患者の訪問診療もボランティアでおこなっています。
一体これだけの活動を支える原動力は何なのか?和泉さんの経歴はAIGoogleによると以下となります。
学歴
北海道大学理学部数学科卒業
徳島大学医学部医学科卒業
広島大学大学院修了
2001年:広島大学から医学博士号を取得
職歴(徳島大学)
医学部附属病院 助手:(2001年度〜2002年度)
医学部 講師:(2003年度)
大学院ヘルスバイオサイエンス研究部 講師:(2004年度〜2005年度)
大学院ヘルスバイオサイエンス研究部 臨床教授:(2014年度)
特任講師:(2020年~)
教授:(2024年度〜)
いつから柔道を始めたのかわかりませんが、和泉さんは北大時代に柔道でならしています。この時代のエピソードは、同じ柔道部で後輩だった増田俊也(としなり)氏が自身のブログやXでくわしく述べています。。和泉さんが徳島大学のサイトでインタビューに答えているので、引用します。
---研究に没頭できるのは学生の間だけと分かっていても、どうしても興味がよそに行ってしまうこともあると思いますが。
和泉先生 遊びたいでしょう、それは。遊ぶのは悪くないんですよ。私はね、2つ、大学へ行ってますから。1つは北大。北海道というのはいいところでね。良すぎて留年してしまったんですけど。それはもう徹底して遊んで・・・。遊んだといっても柔道ばっかりしていたんですが、後悔はないです。その反動で徳島大学に入ってからはかなり勉強しましたね。だから徳島時代の学生生活は勉強漬けの毎日。それはそれでまた良かったですね。ただ2つも大学に行っているからそんな贅沢なことができたわけで、1回の大学生活を遊んでかつ勉強してとなると、時間が足りないでしょう。じゃあ、どっちをするかというと研究も面白いんですよ。遊びを選ぶ人を否定はしませんが、ずっと遊んでいて知的好奇心が満たされるかっていったら、満たされないんじゃないかなと。知的好奇心はやっぱり無限大ですよ。そこが大事なんじゃないですかね。・・・といいつつ、私は柔道ばっかりやりまくってね、漫画になっているんですよ。これ、私(イラスト中央)。
和泉先生、なんかすごくかっこよく描かれておりますが、増田俊也氏のブログによると実物もこの通り。
---マンガになるほど柔道されていたんですか!?
和泉先生 『七帝柔道記』という小説がマンガ化されて。増田俊也君という私の柔道部の後輩が作者なんですが。インターネットで私の名前を入れたら、柔道の方が医師よりも上に出てくるかもしれない。
---柔道から研究へ興味が移ったのは、どうしてでしょうか?
和泉先生 それは柔道より面白かったということです。柔道は・・・結局、私のときは負けたんですけど、最終的には増田君ら後輩が連敗を脱出してくれたんですよ。私が柔道にかけた思いは後輩たちに繋がったと感じました。
私もまだ医師として現役なので「もっとやりたい」という気持ちはありますが、やはり時間に限りがあるんですよ、人生にはね。そういう中で後輩がちゃんと繋いでいってくれたら、嬉しいなと思いますね。柔道は思いを繋げた最初の体験。自分は達成できなくても、後に続く誰かが夢を叶えてくれる。より良い研究をしてもらい、より治療法を見いだしてもらうためにも、学生のみなさんにそのバトンを受け取ってもらいたいと願っています。
しかし、「こころの時代」では、この北大柔道部時代にあった重大な事案を和泉先生が語っています。
七帝戦は上記の本で増田氏が詳しく述べています。
苦闘と不運にあえぐ北大柔道部
苦心の末に自分の柔道を確立する部員たち
主人公・増田俊也の苦闘と集大成
だそうですが、万年最下位とはいえ北大柔道部に集う部員のものすごい練習は僕も以前から知っておりました。北大柔道部は旧帝大としては異色で、今までも数々の格闘技プロ選手を輩出しているのです。なんか北大柔道部自体が、求道家の修行僧の集団みたい。北大柔道部のサイトをみると今もモロおんなじ雰囲気のヒグマ部員ばかりで、その昭和なアナクロニズムに頭がクラクラ。
(増田氏の代表作のひとつ「シャトゥーン〜ヒグマの森」を漫画化したもの)
和泉先生の父・和泉恵雲師は生前ビハーラ花の里病院に扁額を掲げましたが、そこに書かれているのが
「一切恐懼 為作大安」(いっさいくく ためさだいあん)
という大無量寿経の教典から取った文句です。
「一切恐懼 為作大安」(いっさいくく ためさだいあん)は、『仏説無量寿経』に出てくる言葉で、「すべての恐れおののきに対して、大きな安らぎを与える」という阿弥陀仏の誓願を表します。これは、人が生死の苦しみや不安を抱える中で、阿弥陀仏が大きな安心をもたらしてくれるという教えです。
出典:
『仏説無量寿経』の「讃仏偈」のなかに説かれている、法蔵菩薩(後の阿弥陀仏)の誓願の一部です。
意味:
漢字のままでは「一切の恐懼(恐れ)のために大いなる安らぎを作らん」と読みます。
解釈:
阿弥陀仏の永遠の存在(無量寿)や光明(無量光)によって、人間が抱える不安や恐れが消え去り、大いなる安心を得られるという教えにつながります。
浄土真宗との関連:
浄土真宗においては、この誓願が念仏を信じる人への救い、特に「大安慰」として捉えられ、根本的な教えとされています。
私が以前から思うことは、「ひとは必ず死ぬ時が来る。医師は命を救うというが、必ず訪れる死とどう向き合うべきか」です。和泉唯信先生は僧として「ひとは生きている間にいろいろなひとと縁を結ぶ。その縁がひとの死後も、死者と生者をつないでいく」と述べています。
ここで和泉さんは北大柔道部時代の重要な思い出を語ります。4年生となり柔道主将となった和泉さんですが、その年も北大は最下位に沈みました。しかし、後輩に柔道部の未来を託します。その時の一人が当時1年だった吉田寛裕(のぶひろ)さんです。「かんゆう」と和泉さんは呼んでいますが、血を分けた兄弟のようだったそうです。
進むんじゃ
後ろを振り返りながら
進みなさい
繋ぐんじゃ
思いはのう、生き物なんで
思いがある限り
繋がっていくんじゃ
今日からは
わしらの代にとって
あんたらが分身になった
わしらはあんたらで
あんたらは
そのままわしらじゃ
(増田俊也「七帝柔道記」から)
吉田さんが柔道部主将となった4年後、長年の雪辱をそそぎ、北大はみごと優勝します。ところがその2年後に吉田さんは自死するのです。増田さんが「俺たちは一体化していた」と言うように、和泉さんは深い衝撃を受けます。それを忘れたいのかひたすらに働く和泉さんですが、41歳のとき脳梗塞に倒れます(番組に出た画像からすると小脳梗塞)。駆け付けた上司の梶龍兒教授にいの一番に言ったのは「仕事を続けさせてください」で、ベッド上で土下座したそうです。それから20年。昨年(2024年)和泉先生は仕事の集大成としてALSの新薬を出します。「ロゼバラミン」は高濃度のビタミンB12注射薬です。ビタミンB12不足は貧血だけでなく亜急性連合性脊髄変性症を起こすことが知られており、逆に増やせばそういう効果がありそうな気がします。
「ALS患者のどうしようもない死は、どうしようもないでいいのか」と問う和泉さんは、ひとはだれもがだれかの分身と言います。自分は父恵雲師の分身、ALS患者の分身であり、自死した吉田さんの分身でもあると言います。そして和泉さんは吉田さんの死後30年にして初めて墓参に訪れました。雨が降る墓前で「おまえはずっとおれの伴走者だった」と語ります。吉田さんがなぜ自死したのかわかりません。しかし、遺品の中に残された和泉さんの写真はお二人の深い繋がりを感じさせます。和泉さんが日々ALS患者と向き合い伴走していく姿は、そのまま吉田さんとの対話に繋がっている気が私はしました。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。