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「地には平和を」小松左京 〜軍国主義の怨念

ポワール


今週の日経土曜夕刊の「文学周遊」では小松左京の「地には平和を」の作品舞台となった長野県松代町と志賀高原が取り上げられていました。自分は高校時代SFが好きだったため、小松左京も愛読しました。新潮など文庫本に収められた小松左京の作品はあらかた読んだと記憶します。その中でもっとも強く印象に残った作品の一つが「地には平和を」という短編でした。日経の記事を読み、久しぶりに思い出しました。

小松左京「地には平和を」 長野・志賀高原


俺を信州へつれてってくれ。どうせ消えるなら、陛下のおそばで…


1945年8月15日に太平洋戦争が終わらなかったら。日本SF界の巨匠が初めて世に送った小説は「もしも」の世界の本土決戦を描く。終戦から15年後、戦禍の記憶がまだ広く残る中で執筆した。

1945年8月14日昭和天皇を迎えておこなった御前会議で、ポツダム宣言を受けて無条件降伏受け入れを決めた鈴木貫太郎首相を首班とする政府首脳。しかし、直前まで「本土決戦」を主張し、受諾に猛反対する勢力が陸軍を中心にあったことはつとに知られています。


海軍大臣、総理大臣を歴任した米内光政のwiki記載から引用します。

原爆投下・ソ連参戦以降、米内はポツダム宣言受諾による戦争終結を東郷外相とともに強力に主張する。受諾に反対し本土決戦を主張する阿南と閣議・最高戦争指導会議で激論を展開した。「戦局は依然として互角である」と言う阿南に対し「陸相は互角というが、ブーゲンビル、サイパン、レイテ、硫黄島、沖縄、みんな明らかに我が方は負けている。個々の戦いで武勇談はあるやもしれないが、それは勝敗とは別の問題である」と米内は言い返した。さらに「戦闘には負けているかもしれないが、戦争そのものに負けたとはいえない。陸軍と海軍では感覚が違う」と再反論する阿南に対し米内は「あなたがなんと言おうと日本は戦争に負けている」と言い、両者の話に決着はつかなかった。


8月9日の御前会議で、東郷茂徳、米内光政、平沼騏一郎は、「天皇の地位の保障のみ」を条件とするポツダム宣言受諾を主張。それに対し阿南惟幾、梅津美治郎、豊田副武は「受諾には多数の条件をつけるべきで、条件が拒否されたら本土決戦をするべきだ」と受諾反対を主張した。天皇は東郷、米内、平沼の見解に同意し、終戦が原則的に決定された[107]。しかし連合国側から条件を付す件について回答文があり、ふたたび受諾賛成と反対の議論が再燃する[108]。


8月12日、軍令部総長・豊田副武大将と陸軍参謀総長・梅津美治郎大将が昭和天皇に対してポツダム宣言受諾を反対する帷幄上奏を行う

帷幄上奏(いあくじょうそう)とは「陸海軍大臣や参謀総長などが、軍事に関する重要な事項を内閣総理大臣を経ずに直接天皇に上奏」することで、軍が政府を飛び越して権力を行使する時しばしば使われました。「地には平和を」では、8月15日の天皇詔勅のラジオ「玉音放送」直前に「事件」が起こります。玉音放送に代わる臨時ニュースで鈴木貫太郎の死亡がアナウンスされ、陸軍大臣阿南惟幾を首班とする臨時内閣が組閣されます。これを聞いた国民の多くはその「事件」が陸軍徹底抗戦派によるクーデタと察知しますが、「本土決戦」が宣言されます。


 日経記事から引用します。

作品の下敷きに歴史の事実がある。作中で描く玉音放送阻止と戦争続行は半ば実現しかけた(半藤一利著「日本のいちばん長い日」)。決戦は中学生の戦闘参加を織り込んでいた。長野市の松代には大本営や政府機関を移すトンネルが今も残り見学できる。空襲に耐えるよう堅い地盤をくりぬくため、難工事から多くの死者が出たようだ。

この夏に訪れた時、小学生の団体や若者グループとすれ違った。伝わるのは戦争の愚かさか、軍人の熱意か。天皇が移るはずの建物は地震観測施設に転用されている。

移転計画や犠牲の全容ははっきりしない。秘密作戦だった上、関連書類は多くの案件と同様、責任回避のため焼却されたという。籠城ではなく政府や司令部だけ安全なこの地に移り、沿岸の戦闘後、終戦交渉に入るはずだったとの証言も。真相は霧の中だ。

本土決戦で沿岸から攻め込まれた時、敵からもっとも遠い場所に日本政府の機能を移す必要が論じられ、選ばれたのが長野県松代町でした(現 長野市松代)。


「地には平和を」では、15歳の旧制中学生だった主人公・河野康夫の視点で語られています。本土決戦のために組織された本土防衛特別隊「黒桜隊」に入隊した河野は、沿岸域へ斥候任務を遂行します。しかし、本隊に帰還しようとすると康夫が所属していた部隊は連合軍の機銃掃射を受けて全滅してました。生き残りの兵士たちが集結しているという長野県松代町への山道を、敵兵の襲撃を潜り抜けながら進んでいきます。極限の空腹で行き倒れになりそうな康夫を助けてくれたのは、志賀高原に入る山間の村の年老いた住民でした。


白い米、野菜の煮付け、魚の干物、絞めたての鶏。


久しぶりの人間らしい食事を貪る河野でしたが、実は決戦を強行する日本軍を憎悪する村人のワナで密告されていたのです。油断して寝ていて襲撃に気づいた河野は黒桜の徽章を握り締めて慌てて逃げ出しましたが、そのバッジを何処かで落としてしまいます。そして突然異国の服装に身を包んだ男たちに捕まりました。連合軍の捕虜になったと思いこんだ河野は手榴弾で自害しようとしますが、彼らは「Tマン」といい遠い未来から来たことを告げます。そして日本が無条件降伏した正しい歴史に従い、間違ったこの世界はあと数時間で消滅すると河野少年に伝えますが、河野は到底信じることができません。消え行こうとするTマンに、康夫が言ったのが冒頭の文句。

俺を信州へつれてってくれ。どうせ消えるなら、陛下のおそばで…


 あってはならない世界を生み出したのは歴史研究所の若き逸材、アドルフ・フォン・キタ博士。日独ハーフで天才的頭脳の持ち主キタ博士は、時間旅行を繰り返して歴史改変を目論んだ動機をこうぶち上げます。

キタ「この歴史のどこがまちがっているんだ? 鬼畜米英と闘って、一億玉砕する。日本帝国の臣民は、すべて悠久の大義に生きるんだ、どこがまちがっている?」

 時間管理局捜査員

「そういう意味でまちがっているんじゃないんだ」「これはそうあってはならない世界なんだ」

捜査員はキタが精神に異常を来していると言います。狂人扱いされて怒り狂うキタ博士に、捜査員は静かに告げます。

「あなたはさっきから紀元20世紀の意識で話されていますが、今は紀元30世紀ですよ。時間旅行のし過ぎであなたの精神は完全に狂っています」


 河野少年はパラレルワールドから戻ると同時に過去の記憶を失います。戦後康夫は大学へ進学し、学生運動に熱中します。卒後就職・結婚を経て、現在では2歳半の長男の父親ですが、商社に務めているために家族との時間がなかなか作れない。これ、まさに戦後昭和に青年時代を駆け抜けた者の典型です。左翼学生となって学生運動に熱中したのに、就職後はそれをかなぐり捨てて企業戦士になりきり、がむしゃらに働く。河野が久しぶりの長期休暇を取得することにして妻子3人で向かった先が、志賀高原でした。初めて訪れたはずなのに何処か懐かしさが湧いてくる。涼しい高原で学生時代からの愛読書であるプルーストの「失われた時を求めて」を読んでいると、草原の中を走り回る息子の康彦が何かを拾ってきて渡します。黒い桜のエンブレムが刻まれた徽章に冷たい嫌な感覚を覚えた康夫。そうそれこそが「黒桜隊」のバッジでした。河野康夫は不吉な黒いバッジを草むらの向こうへ投げ捨て、康彦を抱き上げると滞在中のホテルへと帰るのでした。


 再び日経から引用します。

(志賀高原は)スキーで名高い国際観光地だが夏の観光客も多い。点在する池に映る花と緑。戦前からの老舗ホテルのひとつは歴史記念館となりリゾート地の歩みを伝える。平和が育む風景と流れる血の対比が戦争のむごさを浮き彫りにする。少年は作家の分身だ。軍国主義教育の影響を真っすぐ受けた昭和ひとけた生まれ。特攻兵器の生産に動員され、大人らは「お国」のための死を称揚した。だが終戦でその言は180度変わる。「玉砕だ決戦だと勇ましいことを言うなら、一度くらい国を失くしてみたらどうだ」と作家は思う(新潮新書「SF魂」)。好景気に浮かれる日本人を、虚構の中であれ国を失う危機に直面させようと「日本沈没」「日本アパッチ族」など滅びの物語を繰り返し紡いだ。原点が本作だ。

今のNHK朝ドラ「あんぱん」では、歴史に翻弄される主人公の「のぶ」。師範学校の女教師の猛烈なしごきに遭って軍国主義に洗脳され、「お国のために」生徒、家族を次々と生け贄に捧げました。敗戦後、自分を恥じて小学校教師を辞めるのぶ。しかし、あの時代まじめな若者こそその純真さを大いに大人たちに利用されました。私が好きな作家・田辺聖子も戦時中は「軍国少女」となって、懸命に奉仕したことを述懐しています。戦後茫然自失となった田辺聖子は病で死につつあった父親にその屈辱感をおしつけるかのように、軽蔑しその死から目を背けていました。しかし、それを悪いことと責める気にはなれません。自分が信じ込まされた軍国日本が「実は間違いでした」と否定され、口を拭ったかのように民主主義を高らかに宣言する戦後日本。だれも過去の責任を取ろうとしない。中国の戦地からようやく復員した柳井嵩を出迎えたおばさんが、「ご苦労様でございました!」と叫んで嵩の前で土下座していました。あれは国民をゴミ屑のように扱う政府に翻弄された兵士たちに、代わってお詫びする日本国民の真情だったと思います。かろうじて助かったのなら、運がいい方。柳井千尋や原豪、田川岩男のように戦火で散った無数の若者たちを思うと、胸が苦しくなります。


 最後に日経を引用して、この項を結びます。

そもそも作中の戦史はなぜ実際のそれと違うのか。未来の学者が時間旅行の技術で改変したためだ。「日本はもっと大きな犠牲を払うべきだった」と学者は説く。悲惨さが中途半端だったから平和憲法も空文化したのだ、と。


それは間違いだ。私たちはあの犠牲から十分な教訓をきちんと引き出した。――そう胸を張れるだろうか?

日常考えたことを書きます