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「握り寿司の名人 」 〜北大路魯山人


「スーサン - クール・スーサン」さん 〜サイト消滅していた!


私が尊敬するクールスーサンさんは、すでにお亡くなりになったと思われる医師です(更新記録を見る限り、2015年には亡くなっていた)。ご自分のサイトに興味深い随筆や医学的記録を多数載せていました。一度お目に掛かってお話をじっくりうかがいたかった。さてその今は亡きブログですが、私が集められた範囲で興味深い内容を逐次紹介してまいりたいと思います。今回は「お勧めの本」の項目から。クールスーサンさんの序文を下に転記します。

文学とは言葉によって綴られた審美的な作品であるが、この定義はあまりに曖昧である。文章による芸術と非芸術のどこに線を引くのか、数学の定義とは違い文学の定義は曖昧でかつ厄介である。そのこともあって、文学に対する苦手意識、尻込みが起きている。

 小説には「生きるための宗教、哲学、人情や人生的側面」が含まれ、これら高尚な内容を文学と評価している場合が多い。しかし忘れてはいけないのは、人間は言葉を話す動物であり、言葉や話し方で感情を表現し、さらにその感情を聴力で判断できることである。すなわち文学には、言葉による意味や感情の伝達だけでなく、言葉の流れやリズム感が心を躍動させるのである。音楽や美術が人の心を捉えるように、文章も言葉の選択や配置によって洗練され、芸術になるのである。しかし、現在の国語教育、現代文学はこの言葉音楽的リズム感を無視している。あるいはそのことを知らないでいる。


 私たちは自由である。これまで多くの人に愛されてきた文学作品を、自由に読むことが出来る。しかし何が良書なのかを教える者がいないので、文学を知らず、その良さを知らず、本を読まない者が大部分になっている。


 ストーリーの意外性だけを追求する現代文学は、すでに審美性を失っている。本屋の棚に並ぶハウツーもの、カタログを集めただけの書籍、表紙の題名だけで内容がゼロの本、これらは単なる享楽的娯楽本であり、出版社の商業主義に踊らされた欲望追求本にすぎない。


 人生とは何か、愛とは何か、このような答えのない問題を、答えがないまま考えさせるのが文学である。しかし答えがないと最初から考えず、避けて通る者がほとんどである。これでは人間は思考しない動物、欲に左右される動物になってしまう。軽薄と知性、知識と知恵、この違いは思考の深さであり、それを形成するのが文学である。音楽や美術がなくても生きて行けるように、文学がなくても生きていける。人の生き方に押し付けがましいことは言いたくはない。しかし本能に左右される動物ではなく、思慮深い人間らしい時間を過ごしてほしい。

さすが、クールスーサンさん。知性の高さが滲み出る文章です。


 さてそのリストにあった一つが下の北大路魯山人の文章です。私も北大路魯山人に傾倒しており、今までありとあらゆる文章を読んできました。狷介な人物としてもよく知られており、お友だちにはあまりしたくないですが、食に関する感覚にはずば抜けたものがあります(私がいちいち言うまでもないが)。スーサンさんが紹介した魯山人の寿司に関する随筆は、第二次世界大戦後比較的日が浅いころでないかと思います。少し長いですが興味深い内容なので、青空文庫から転記します。「久兵衛」近年はホテルオークラの出店を巡って裁判沙汰になったり、あまり良い噂は聞きませんが、魯山人はとても贔屓にしていたのですね。魯山人の女性に対しての蔑視的発言もてんこ盛りで、今の時代は受け付けられませんが、あの頃は仕方なかったのかな。


握り寿司の名人   北大路魯山人


 東京における戦後の寿司屋すしやの繁昌は大たいしたもので、今ではひと頃の十倍もあるだろう。肴と飯が安直にいっしょに食べられるところが時代の人気に投じたものだろう。しかし、さて食える寿司となるとなかなか少ない。これは寿司屋に調理の理解がないのと、安くして評判をとるために粗末になるからだろう。

 現に新橋付近だけでも何百軒とあるであろう。この中で挙げるとなると、昔、名を成した新富その弟子の新富支店、久兵衛(きゅうべえ)、下って寿司仙くらいなものだろう。安田靱彦(ゆきひこ)さんが看板を書いてるのもあるが、これは主人が作家でないらしくすべての上で私の気に入らない。

 いったい寿司のウマイマズイはなんとしても魚介原料の問題で、第一に素晴らしいまぐろが加わらなければ寿司を構成しない。その他、本場ものの穴子の煮方にかたが旨いとか、赤貝なら検見川の中形赤貝を使うとかで、よしあしはわけもなくわかるが、とにかくまず材料がよくなくては上等寿司には仕上がらない。海苔もよくなければいけないのは勿論である。海苔も部厚なものが巻きに適するが、厚いものにはよい物がないが部厚でありながらよい物を備える必要がある。「米」これは福島辺あたりが一等で、新潟のも使える。しかしその炊たき方――程度がむずかしい。酢は米酢と称するものが一番で、関西寿司の用うる白酢ではだめだ、飯に三分づきくらいの色がつく酢が旨い。それから飯の味付けは、上方かみがた式に米の中に昆布、砂糖などでいろいろ加味しては江戸前にはならない、塩、酢、だけの味付けが本格である。また飯の握りの大きいのは安物である。大きく握るものにろくなすしはない。小握りが上等品となっている。一等品は贅沢屋ぜいたくやの食べるものだから。

 寿司に生姜をつけて食うのは必須条件であるが、なかなかむずかしい。生姜の味付けに甘酢に浸す家もあるが、江戸前としての苦労が足りない。さてこんなことをつぶさに心得てる寿司屋はなかなかあるものではない。ただし先に挙げてみた三、四軒の中にはある。しかし、これにもまたいろいろ長短があり一概いちがいにはいえぬが、実はこれを見破みやぶるほどの食通もいないので、商売繁昌、客にも判わかる人はきわめて少ない。

 寿司通と自称他称する連中もたいていはいい加減な半可通はんかつうで、それならこそまた寿司屋も息をつけるというものである。

 寿司は結局寿司屋が作ってるか、客が作ってるかということになる。見ているといい客はいい寿司屋に行き、わるい客はわるい店に行く。寿司屋と客とは五分五分の勝負で、各店それぞれそれらしいのが来ている。

 近年は寿司屋も進歩して、久兵衛のごとき、人のうわさでは、鮎川義介翁が後援して近代感覚の素晴らしい店構えを作っている。それがために、従来にない客種をそろえて寿司王を思わせている。また再興した新富寿司本店も今までに見られないものを持って臨んでいる。これもまた、寿司王国を示している。こんなふうに寿司屋は体裁ではグングンと万事に改良し進歩を示している。しかし、これが一般向きの店となってはなかなかそうもいかぬ様ようである。第一に客種に問題があるのだろう。

 以下一々について各店主人の持つ寿司観の長短を俎上そじょうに載せて見よう。


 終戦後、闇米屋という女性行商人が大活躍し、取り締まりなどなに恐れるところなく日々東京に入りこんで、チャッカリ商売したものであった。売り込み先は割烹旅館、特に寿司屋を当てにして新潟・福島・秋田などからたくましくも行商に来ていた。東京では首を長くして持ちこがれているという様子が、彼ら闇屋の目には鋭く映るのだろう。寿司屋を始めようが、料理屋をやろうが、カツギヤにさえ頼めば米に不自由する都会ではなかった。

 このころの東京は、見渡すところ寿司屋ばかりの食べ物横丁かと思わせるほどの軒並であった。雨後の筍どころのさわぎではない。しかし、われわれがいう寿司らしい寿司を作る店は、そうたやすく見当たるものではなかった。われわれとて、軒並食って歩いたわけではないが、通りがかりに横目で見て、上・中・下どんな寿司を売る店か分るのである。もちろん、こうなるまでには、大分だいぶ寿司代を払っている。心ある者は贅沢屋ぜいたくやの評判ある有名店に飛び込んで経験するほかに近道はなかろう。かといって、二十歳や三十歳くらいの青年期では、酢加減がどうの、まぐろの本場物もの、場違い物などとみてとれるはずがない。善よかれ悪あしかれ、なんでもかでもうまく食える。大方の青年層はふんだんに食えれば、それで大満足というわけだから、寿司屋の甲乙丙はまず分るまい。寿司談義は小遣銭が快調にまわるようになり、年も四十の坂を越え、ようやく口が贅って来てからのことになる。

 飯めしを少なく握れの、わさびを利かせの、トロと中トロの中間がよいのというようになって来るのはこの頃からで、その連中は昔だと、茶の熱いうまいやつをよろこんで寿司を味わったものだ。だが、今日このごろの者は、いきなりビールだ酒だと寿司を酒の肴さかなに楽しんでいる。寿司食いのアプレである。戦後、寿司が立ち食いから椅子いすにかけて食うようになったせいである。この傾向もなかなか勢力があって、上等の寿司屋はおのずから腹の張らない小形寿司を作って、飲ませるように技わざを進め、遂ついに一人前の料理屋になったからだ。今一つの新傾向は、女の立ち食い、腰掛こしかけ食いが驚くほど増えて来て、男と同じように「わたしはトロがいい」「いや赤貝だ」「うにだ」と生意気をやって、噴飯させられることしばしばという次第だ。寿司においては、いちはやく男女同権の世界に歩を進めたようだ。

 島田髷の時代には売物にならなかった御面相が、口紅、爪紅、ハイヒールで堂々と寿司通仲間に侵入し、羽振を利かす時代になってしまった。昔ならほとんど見られなかった風景である。この調子では今にトマトの寿司、コンビーフの寿司、サンドイッチの寿司、トンカツの寿司など、創意創作がむやみやたらと現われ、江戸前を誇った勇み肌の寿司屋など跡を絶たねばならなくなるだろう。サンドイッチの寿司だって本当に現われないとはかぎるまい。飯とパンと同時に賞味できるからだ。戦後十年くらいまでは、京橋、日本橋あたりの目抜めぬきの場所といえば、相当やかましい寿司屋もあり、やかましい食い手もあった。その当時、新橋駅付近に、千成(せんなり)と名乗る嵯峨野の料理職人が、度胸よく寿司屋稼業を始め、大衆を相手にして、いつの間にか職人十数人を威勢よく顎で使って、三流寿司を握り出した。千成はデパートに真似まねて寿司食堂を造り、数多くのテーブルを用意し、一人前何ほどと定価のつく皿盛寿司を売り出した。この手は安直本位なので、世間にパッと拡ひろがってしまった。そして遂には、東京中に寿司食堂が氾濫してしまった。江戸前寿司の誇りを失ったのはこの時からである。

 さて、寿司らしい寿司にはどんな特色があるだろう。寿司らしい寿司というからには、もちろん一流の寿司であって、気の毒ながら大衆の口にはいる寿司ではない。今でも一皿、握りが七ツ八ツ盛られて、五十円とか八十円とかの立看板もあるが、これから話そうとする寿司は、そんないかさまものを指していうのではない。ただの一個が五十円以上百円の握にぎりを指すのである。しかし、いかさまものの多いなかに、良心的な本物もなにほどかあって、わたしなどは盛夏の食べ物に困りきっている時など、大いにそれで助けられ、大船から暑さを意とせず、毎日のように新橋へと足をのばしたものである。一流のまぐろというものは、最高の神戸肉や最上のうなぎを何倍か上回るほど値段の高いものであるが、食べてみれば、それだけの価値をもっていることは、ひと等しく認めるところの事実なのだから、どうにも仕方がない。わたしなど、健康への投資と考えて、夏中一流のまぐろで暮らすことになる。ところで、その一流のまぐろを常に備えて、味覚の確かな客を待ちかまえている寿司屋というのははなはだ少ない。上物寿司屋を発見することは、お客にとってまた苦労のタネである。

 寿司の上等もやはり材料が問題である。

 1 最上の米(新潟・福島・秋田辺あたりの小粒)

 2 最上の酢(愛知赤酢・米酢)

 3 最上の魚介類、だいたいにおいていちばん高価な相場のもの。

 4 最上の海苔のり(薄手の草をもって厚く作ったもの)

 5 最上のしょうが(古しょうがの良品、新しょうがは不可)

 以上の材料さえ整えば、まずうまい寿司はできるのである。にもかかわらず、最高の一手を打ち得ないのが一般の寿司屋である。

 東京で見る寿司屋の看板のすべては(京阪地方においても同じ)握り寿司屋であるかぎり、みながみな「江戸前」なる三字を特筆大書とくひつたいしょしている。江戸前の寿司というものは、よほど注目に価あたいし、魅力に富むものらしい。握りが自慢になるのは、上方かみがた寿司の風情のみに堕だし、生気せいきを欠くところに比較してのことである。あえて「江戸前」と書くゆえんは、上方寿司と江戸握りとの相違をはっきりさせ、江戸前がだんぜんうまい点を認め、その寿司を食べさせるんだというところにある。とにかく江戸前寿司は日本中に有名になったわけである。

 江戸前寿司の上方寿司と異なるところは、材料、味つけおよび技法の相違にある。これはいうまでもないが、まず第一は生気のあるなしである。江戸前寿司は簡単で、ざっくばらんな調理法を用い、お客の目の前で生きのいいところをみせ、感心させながら食べさせるところに特色がある。それに、まぐろの脂肪がすこぶる濃厚のうこうでありながら、少しも後口あとくちに残らぬという特徴があって、まさに東京名物として錦上きんじょう花はなを添えている。このごろ京阪流箱寿司は、上方の何処どこの地方にもはやってはいるが、なれ寿司を基調とする調理に意気のない野暮やぼったさが、即興に生きる江戸ッ子には、とんと迎えられる様子もない。わたしは当然のことと、あえて訝しく思わない。蓋し江戸人と上方人との相違がある。

 しかし、今日どこにでもある東京の握にぎりを真似まねしたいかがわしいものは、江戸前が残念がる。みだりに「江戸前寿司」と看板に標榜する無責任さは叱責せねばなるまい。なにはともあれ、大阪の箱寿司が握りに圧倒されたのは、寿司食いの勝で、寿司屋の負けである。こんなあり様さまをくやしがり、片意地を張って京大阪名代(なだい)の寿司屋連が、握りなにものぞ、とばかりやり始めたのが、今日京大阪にみる大看板の握り寿司であるが、まるっきり問題になるものではない。猿真似というヤツで滑稽である。いわんや他の地方のものは、食えたものではない。なくてはならぬしびまぐろをはじめ、なに一つ材料になる適当な魚がない。その点が最大の原因となっている。だが、彼らにはそれが一向にわかっていない。

 わたしは京都に生まれた関係で、京阪のうまいものはおのずから知ってはいるが、江戸前寿司の気力あるうまさには、さすがのお国びいきもかぶとを脱がざるを得ない。とはいっても、江戸前寿司を専業としている今日の東京の寿司屋、必ずしもうまいというのではない。何事によらず一概いちがいの論はよろしくない。

 うなぎにしても寿司同様、東京名物中の名物であるが、今日このごろでは、むかし通りの日本一であるとはいい難がたい。とは申せ「東京のうなぎは蒸して焼くから、だしがらのようなもので決してうまいとはいえない」と、よく関西のうなぎ屋が貶しているが、聞くに耐えぬ我田引水だ。これは味覚の本領を衝ついた上での話ではなく、無責任にきいたふうなことをいっているだけのことで、論にならない。進歩を知らないうなぎ屋として、お気の毒なことだとしか思えない。うなぎ屋だからといって、決してうなぎがわかるものではない例といえよう。

 東京のうなぎにかかっては、大阪の原始焼きは無条件降伏せねばなるまい。それにもかかわらず、直焼じかやきを誇るがごとき、笑うに耐えたる陋習というべく、一刻も早く改めねばなるまい。のみならず、養殖のうなぎをもって、うなぎの論をぶつのは愚おろかと申すべきだろう。

 寿司にしても、うなぎにしても、その材料の良否いかんのみにたよることが必要であろう。

 よい材料を使う寿司すしは、高いのは当然だ。高価を呼ぶものにはそれぞれ理由がある。その理由をわきまえず、単に金高のみに拘泥して驚くのは野暮やぼである。高い寿司には高いだけの理由があって、むやみに金ばかり取るのは、どこにもないようだ。寿司の相場も実のところ味覚に通じた客人が決めているともいえる。

 店つきの風格、諸道具、材料および原料、衛生設備、その他職人、女中にしても一流好みを狙ねらい、すべてが金のかかった業態ぎょうたいをして、さあいかがと待ちかまえているかいないかがうまい寿司、まずい寿司、安い寿司、高い寿司のわかれ目である。

 ところで、かような高級道楽どうらく食いの店を、新橋界隈に求めていったい何軒あるだろうか。もちろん立ち食いそのままの体でよくできている店というならば、何軒でもあるにはあるが、実際には“羊頭を掲げて狗肉を売る”たぐいが大部分である。殊ことに近ごろ流行の、硝子囲いに材料を山と盛り、お客さんいらっしゃいと待ちかまえているような大多数の店は、A級寿司屋とはいい難がたい。

 さしずめ新橋あたりを例に、私の趣味に合格する店は二、三軒であろう。その一軒に近ごろ立ち上がった「新富本店」および終戦後ただちに店開きした「新富支店」がある。この本店はその昔、意気軒昂で名を成した名人寿司として有名なものであったが、キリンも老いてはの例にもれず、ついに充分の生気せいきは消え去ってしまった。

 それからみると、支店の主人みっちゃんは年齢四十の働き盛り、相当の腕を持っているところから、ようやく認められつつある。本店の方は前述のごとく昔日せきじつの俤おもかげはないが、支店特異の腕前は現在新橋辺あたりの寿司屋としては、まず第一に指を屈すべきで、本店の衣鉢は継がれたわけである。しかし、支店みっちゃんの方はうまいにはうまいが、旧式立食形なる軒先のきさきの小店で狭小きょうしょうであり、粗末そまつであり紳士向きではない。ただ口福こうふくの欣よろこびを感ずるのみである。

 しかし、本店のおやじがジャズ調であるのに反し、支店は地唄調というところで、いとも静かな一見養子風の歯がゆいまでにおとなしい男。毎朝魚河岸うおがしに出かけ、帰るやただちに仕込みにかかる。飯めしが炊たけて客を迎えるまでには相当時間を要し、正午に間に合うことはきわめて稀まれで、二時ごろ表をあけるのが日常となっている。一人の小僧も小女もいない一人きりの仕事だからである。妻女はあっても子供の世話かなにかで二、三時ごろでなくては出勤しない。茶を入れるくらいの手伝いで、おやじを助けるところが関の山である。

 しかし、一利一害あって、それなるが故ゆえにまったく一人芸の表われがあり、個性的な点からいえば申し分ないが、手が回らぬという恨みが伴い、その結果、大切な飯めしの出来がいつも不完全で、わたしは何度注意したか分からないが、今もってその弊へいは続いている。命取りだ。

 次が西銀座にすばらしい店舗を持つ「久兵衛」である。この店の主人は珍しく人物ができていて、寿司屋にしておくのには惜しいくらいの男である。幼少から寿司屋として育って来たため、それなりの寿司屋になっているが、もし大学でも出ていれば現在は少なくとも局長、次官はおろか大臣級になっていたかも知れない。ともかく、苦労を積んだ、頭のよいできた人物といえよう。その気骨稜々意気軒昂たる気構えは、今様一心太助といってよい。こちらがヘナチョコでは、おくれをとって寿司はまずいかも知れない。そんな男であるから、気むずかし屋で鳴っている鮎川義介翁あゆかわよしすけおうに早くから認められ、戦時中ことに戦後は鮎川翁のひいき大だいなるものがあったようである。

 寿司屋としての店頭は、古臭い寿司屋形式を排し、一躍近代感覚に富むところの新建築をもって唖然たらしめるものがあり、高級寿司屋を説明して余りあるものがある。しかし表構えはただ「久兵衛」と書いてあるのみ、寿司屋ともなんとも表現していない。なに知らぬ者にはちょっと飛び込みにくい様相を呈し、遅疑逡巡、終ついには素通りする者も少なくなかろう。それがため、店内に居並ぶ客種は普通の寿司屋にみるように、A級、B級、C級と混合していないのが特色である。

 A級にあらずんばB級といった具合で、夜となく昼となく、すさまじい勢いで繁盛この上もない。おそらく東京にある寿司屋をしらみつぶしに調べても、昼夜これほど一流人が店内に充満している店は「久兵衛」をおいてほかにはないであろう。これは寿司そのもののうまいこともさることながら、久兵衛の人間的魅力にひかれて来るんだとみて間違いない。頭がよく厭味のない久兵衛のひとそのものに惚ほれて通って来る者ばかりといって過言かごんではない。

 しかし、設備は充分、主人はおもしろいが寿司そのものの作品価値をどの程度持ってゆくかを検討すると――これをわたしはいろいろの点で究明しようとするのだが――まずどこへ出しても、決しておくれをとるものでないということは確かである。しかし、残念ながら新富しんとみ支店に劣る点なしとはいい難がたい。

 材料――主として魚介の目利めききの点においては、ある程度みっちゃんが優れているように思う。といっても、双方それぞれに特徴があって、米を炊たかしてはだんぜん久兵衛が優れている。海苔のりを買わせても彼が優まさっている。新富みっちゃんは魚をみることにわたしは感心している。なかなかの目利きであるが、どうも海苔の選定と飯めしの炊き方は久兵衛に劣るとわたしはみている。その理由は、みっちゃんという人物が元来大阪、京都で育っている人間であるため、海苔選定にはどうも目の利かないところがあって、玉に瑕というところである。用いるところの酢はというと、双方ともまず似たりよったりで大差はないが、酢加減となると、赤酢ばかり用いるみっちゃんに旗を挙げていい。

 そこで両者の甲乙を論ずるに当たり、なくては叶かなわぬまぐろの場合を注目してみよう。これはみっちゃんの独壇場である。ただ、飯の握にぎり方には遺憾いかんな点がみっちゃんにあって、第一大きすぎる恨みがある。久兵衛のは贅沢寿司ぜいたくずしとして文句なし。握り具合はほどよい特色を有し、酒の肴さかなになる寿司である。もし久兵衛がまぐろの選択をさらにさらに厳げんにし、切り方を大様おおように現在の倍くらいに切ったとしたら、それこそ天下無敵であろう。

 彼には彼の寿司観があって、結局まぐろはそう大きく切るものではない、という先入観を信念として、魚の切り方には、彼の気骨きこつにも似ず貧弱な切り具合が見られる。

 おそらくそれは、彼が幼少育ったみすじという寿司屋の影響によるところが大だいであると考えられる。このみすじという寿司屋は、かつて宮内省くないしょう等への出前、何百人という出前を扱った寿司屋であるというから、名人芸を云々するよりも、むしろ事業的に成功した寿司屋であったように思われる。そこで育ったのが久兵衛で、彼に名人芸があるとすれば、これは生得しょうとくで主人から教えてもらったものではあるまい。それで魚肉を薄く切る陋習が今に残っているものと思う。

 およそ先入観とは恐ろしいもので、誰であっても、一度身についた先入観は容易に改められないものである。ある時寿司台の前に座す客が、彼に「もう少し厚く切ってくれ」と希望をいった。彼は「寿司ですからね」といい切った光景を私は隣席で見たが、遂に彼は改めなかった。まぐろというものはむやみに厚切りするものではないという彼の信念が表われていておもしろい。

 そこへゆくと新富支店は、本店の主人に従っていたためかいささか、この方にイナセな名人肌はだというものを受け継いでいる。まぐろの切り方が第一それである。

 戦後のこと、魚河岸うおがしにまぐろが二本か三本しか来なかったといって、普通の店舗に入らなかった場合にも、この店には堂々たるまぐろが備えてあった。他の寿司屋すしやではそうはいかない。久兵衛もまぐろとなると平均してみっちゃんには及ばない。この一心太助にして、これはいかなるわけかといささか懐疑の念を抱かざるを得ない。

 しかし、寿司はよき飯めしあっての寿司だといえる。飯の水加減が悪かったりすれば、結果は寿司になるべき第一義が失われる。うなぎ屋の飯、寿司屋の飯は生命である。この飯をおろそかにしたのでは寿司にはならない。よき飯を炊たき、よき寿司を作らんとすれば、一人仕事ではだめである。毎朝魚河岸からもってくる魚、あなご、貝等にはいろいろ手のかかる仕事が多い。こはだのごとき、いずれも寿司のたねになるには、小さな魚に大そうな手数がかかる。これを一人で処理するのは所詮しょせん無理である。このように寿司屋の下仕事は沢山ある。支店みっちゃんのように下仕事する者皆無かいむで、それを処理せねばならぬところに無理がある。そのために、飯がうまく炊けないという結果が生じてくるのだ。誠に歯がゆいような話である。

 助手一人使わない。小女一人使わない。女房の手伝いすら大して受けない。これでは仕事の伸びようはずがない。これだけの技倆を持ちながら、このままで小さく終わってしまうのは惜しいように思われる。もっと多くの人を欣ばせ、もっと多くの人を楽しませたらどんなにいいだろうと思うが、人間の器量は別で、これ以上伸びなければ仕方がない。

 そこへゆくと久兵衛はまったく違い、性濶達であり、その明快な性格にひとはおのずから惚れ込んで、彼の店にお百度ひゃくどを踏みつつあるのが現状だ。寿司屋久兵衛の魅力は大したものである。寿司の魅力すなわち人間の魅力である。

 しかし、ここでわれわれが考えさせられることは、新富しんとみ支店みっちゃんの場合、遠慮のかたまりのごとく細々としながら、どぎった寿司を作るということ、ここがおもしろいところである。久兵衛のごとき堂々たる人間が必ずしもどぎった寿司を作らないという点を、われわれは訝いぶかしく考えるのである。か細く見える人間が、ふてぶてしい作品をなし、たくましい久兵衛のごときが細々としたみっちゃんに及ばないという一点があることは、ひっきょう彼ら両人を作った教育環境が大きく影響しているものと考えてよいであろう。

 しかし、かくのごとき酒の飲める寿司ができたのは戦後である。戦前は茶で寿司を食っていた。なにがそうさせたかといえば、それは寿司屋が椅子に変わったせいである。

 椅子がなければ昔のように立ち食いをしていたであろうが、現在では立ち食いの店構えを持ちながら椅子を置いている。椅子があれば酒が欲しくなる。これは終戦直後料理屋が不自由であり、いきおい料理が高額であったから、寿司で酒を飲むこと、ついでに飯めしを食うことを酒飲みが発見したのである。

 これならいろいろの魚が食えて、飯も食えるから料理として満点である。高級料理屋では、自分の好きなものばかり食うわけにはいかないが、寿司屋では、まぐろ、あかがいを食うというように、いろいろなものが食える。この点、食べ物の自由がある。従ってこれほど重宝ちょうほうなものはない。しかし、これは、寿司屋と呼ぶより、自由料理屋と呼んだ方がふさわしいように思う。従来とはまったく様式の異なった新日本料理が生まれたのだ。



底本:「魯山人の食卓」グルメ文庫、角川春樹事務所

   2004(平成16)年10月18日第1刷発行

   2008(平成20)年4月18日第5刷発行

底本の親本:「魯山人著作集」五月書房

   1993(平成5)年発行

初出:「独歩」

   1952(昭和27)~1953(昭和28)年

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2009年12月4日作成

青空文庫作成ファイル:

駿台全国模試・医学部偏差値推移 〜やはり東高西低の変化


国公立大医学部難易度の推移 〜東高西低の変化?


駿台全国模試の2025年 第1回全国模試の目標偏差値が出ました。以前から申し上げていますが、河合塾の全統模試による2次試験偏差値はまったく当てにならない。その点、駿台全国模試の偏差値は受験生が比較的ハイレベルなこともあって、まだしも信用できると思います(まあ東大理三や京医の評価は少し高すぎるのでは?と感じてはいますが)。


2026年度入試用の前期国公立大医学部の偏差値は以下となります。国立医学部後期は人数が少なくばらつきが激しいので、検討からはずしました。参考に東大 理一・理二と京大理学部を並べます。


2025 第一回 駿台全国模試 前期判定偏差値


78東大 理三

77京大 医

74阪大 医

73東京科学大 医

70九大 医

69千葉大 医

68東大 理一

67東北大 医、名大 医、神戸大 医

66北大 医、大阪公立大 医、東大 理二

65 筑波大 医、広島大 医、横浜市大 医、京都府医大、奈良県医大 京大 理

対してXに掲載されていた2020年 第二回駿台全国模試の偏差値は以下となります。




またインターエデュに過去掲載された、2004年 第二回 駿台全国模試の偏差値は以下となります。

2004 第二回 駿台全国模試 前期判定偏差値(理1以上限定)


78 東大 理三

74 京大 医、阪大 医

72 東京医科歯科大 医、九大 医

71 東北大 医、名大 医

70 千葉大 医、神戸大 医、岡山大 医、京都府立医科大

69 北大 医

68 横浜市立大 医

67 熊本大 医、名古屋市立大 医

66 金沢大 医、広島大 医、

65 筑波大 医、群馬大 医、浜松医科大 医、大阪市立大 医、奈良県立医科大、東京大 理一、京都大 理

駿台全国模試に関して、第1回と第2回で上位陣の大学偏差値が変化することはまずないので、比較に関しては問題ないと考えます。一見して気づくのは、東大理一より難易度が高い医学部が随分減っていることです。というより、東大理一はこの20年間で難易度がかなり上昇しました(この前東大理一、理二はこの20年でそう大きな難易度変化はないと書いたのは間違いだった!)。また理一は1000人超えの定員で、普通の医学部の10個分あります。東大理一の難易度上昇は、理系受験生の全体動向の変化がかなり影響していると考えていいです。学力上位受験生の間で東大の理工系への進学を希望する者が増加しており、実質的にも難易度が高い医学部は減ったということになるのでしょう。


 また医学部の東西動向でいうと、西日本を中心に各地の地方国立大医学部の難易度が低下傾向にあるのは確実と考えます。

岡山大(70→67→64)

熊本大(67→65→62)

京都府立医大(70→68→65)

といった所謂「旧六」(旧制六医科大学)およびそれに準ずる医学部が特に下がった印象です。

その点、

千葉大(70→68→69)

東京科学大(医科歯科)(72→73→73)

横浜市大(68→67→65)

といった首都圏の医学部や旧帝医学部の

北大(69→68→66)

東北大(71→69→67)

東大(78→77→78)

名大(71→69→67)

京大(74→76→77)

阪大(74→73→74)

九大(72→69→70)

はまだ踏みとどまっています。

ロシア前運輸相が自殺、プーチン氏による解任直後 〜処刑だろ!(嗤)

(協議するプーチン大統領と死亡したスタロボイト運輸相)


プーチンの終わりの始まり 〜たとえプリゴジンがカルロ・リッツィになろうとも

ついにカルロ・リッツィとなったプリゴジン氏 〜プーチンの狂気の哄笑が聞こえる


ロイターの配信を引用します。

ロシア前運輸相が自殺、プーチン氏による解任直後 連邦捜査委が確認

7/7(月) 20:35配信

ロイター


[モスクワ 7日 ロイター] - ロシア連邦捜査委員会は7日、スタロボイト前運輸相が自殺したとみられると明らかにした。プーチン大統領はこの日、同氏を解任していた。

連邦捜査委によると、スタロボイト氏の遺体が自家用車内で銃創を負った状態で発見された。


スタロボイト氏の解任は予想外で、プーチン大統領は解任理由を明らかにしていない。

そもそもプーチンはなぜスタロボイトを運輸相から解任したのか?

スタロボイト氏はクルスク州知事を務めた後、2024年5月に運輸相に起用された。クルスク州では、スタロボイト氏の後任だったスミルノフ前知事らが防衛予算横領の疑いで逮捕されており、運輸業界関係者は、運輸産業の問題ではなく、クルスク州の汚職に関連して、スタロボイト氏の立場が数カ月前から疑問視されていたと語った。


スタロボイト氏の後任の運輸相代理には、ノブゴロド州知事を務めたアンドレイ・ニキチン氏が指名された。ニキチン氏はプーチン大統領との会談で、物流の停滞を解消するため、運輸産業のデジタル化に取り組むと述べた。


ロシアの運輸業界では、航空会社がスペア部品の不足に直面。ロシア鉄道は高金利で利払い費が急増している。

スタロボイト氏の死に前任地のクルスク州での何かが関係しているのは間違いないでしょう。

スタロボイト氏についての日本語情報は乏しく、ただ下のニュースがありました。
プーチン大統領、権力と利権の「私物化」が次世代へ 側近や旧友らの子供、親戚を要職に 「隠し資産」握る一族も重用

2024.5/27 06:30



プーチン大統領の5期目の体制では、大統領の側近や旧友、親戚の関係者が閣僚などに起用された。側近らの子供が要職に就いており、権力と利権の私物化が「次世代」に引き継がれていることを示している。



会計検査院長官に就任したボリス・コワリチュク氏の父親は、プーチン氏に最も強い影響力を持つ旧友ユーリー・コワリチュク氏だ。父親はプーチン氏や側近らの隠し資産を管理する「ロシア銀行」の大株主で、メディアグループも統括。今後、会計検査院がプーチン氏の意向に沿って富豪や企業の不正を摘発することになりそうだ。


ロシア経済の生命線である資源を統括するエネルギー相になったセルゲイ・ツィビリョフ氏は、プーチン氏のめいの夫だ。石炭産業が盛んな西南シベリアのケメロボ州知事からの登用。


南西部クルスク州知事から交通相に抜擢(ばってき)されたロマン・スタロボイト氏は、プーチン氏の少年時代からの柔道仲間として知られる富豪アルカジー・ロテンベルク氏系の人物とみられる。

アルカジー・ロテンベルクとはプーチンの噂の1400億円超豪華別荘を買い取ったと言われる人物です

アルカジー・ロテンベルクは、ロシアの実業家であり、ウラジーミル・プーチン大統領の旧友です。彼は、南部保養地の「宮殿」の所有者であることを公表しました。この宮殿は、以前からプーチン氏の所有ではないかと噂されていましたが、ロテンベルク氏が名乗り出たことで、所有者が明らかになりました

このロテンベルクはユダヤ人ですが、ロシア国内ではエネルギー関係で巨大利権を握る政商(オリガルヒ)で、プーチンとも深い関係があります。

アルカディ・ロマノヴィチ・ローテンベルク(ロシア語: Арка́дий Рома́нович Ротенбе́рг, ラテン文字表記の例:Arkady Romanovitch Rotenberg, 1951年12月15日 - )は、ロシアの事業家でオリガルヒの一人である。弟のボリス・ローテンベルクと一緒にロシアのガスのパイプラインと電力の供給網の巨大な建設企業であるSGM(Storygazmantazh)グループの共同経営者となっている。フォーブス誌の2014年度版世界長者番付で621位に名前が挙げられている[1] 。ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンの親しい友人であるとされる。フォーブス誌は2016年1月時点で、彼が12億6000万USドル(*= 1,800億円超)の資産を保持していると推定している。


一方スタロボイト氏は正直あまり目立ちません。wikiによると以下です。

Roman Starovoyt


Starovoyt was born on 20 January 1972 in the city of Kursk. His father, Vladimir Aleksandrovich Starovoyt, worked at the Kursk Nuclear Power Plant.[2][3] In 1974, his father was transferred to the Leningrad NPP, in the city of Sosnovy Bor, Leningrad Oblast,[4] where Roman spent his childhood.


In 1995, he graduated from the D. F. Ustinov Baltic State Technical University, majoring in “Pulse heat engines”.[5] In 2008, he graduated from the North-West Academy of Public Administration with a degree in State and Municipal Administration.In 2012, at the Moscow University of the Ministry of Internal Affairs of Russia, he defended his dissertation for the degree of candidate of pedagogical sciences on the topic "Innovative methodology for training athletes in winter polyathlon".In 2019, he graduated from the program for the development of the personnel management reserve of the Higher School of Public Administration (ВШГУ) of the RANEPA. 

もともとクルスク州の出身ですが、経歴はあまり冴えない地方の工科大学出身の技術者です。

 

調べるとスタロボイト氏の死の数日前に関係者が死んでいました。

Andrei Badalov


Badalov was born 17 September 1962, in Krasnodar. In 1984, he graduated with honors from the Moscow Engineering Physics Institute (MEPhI) with a degree in engineering and mathematics. After working for several years in the private sector, in 2013 he headed the Voskhod Research Institute.[1]


From 2019 until his death, he was one of the vice presidents of Transneft.[2]

Death

On 4 July 2025, Badalov died at the age of 62 as a result of a fall from a height from his apartment on Rublevskoye Highway in Moscow.[3] The preliminary cause of death was suicide.

ほほぉ、7月4日モスクワ郊外の自宅高層アパートから「転落」して死亡か。自殺なのね!


はっきり、言います。だれが自殺なんて信じるか!この2人は何かプーチンの逆鱗に触れるヘマをやらかして、処刑されたに決まってる!それ以外に死の理由なんてないよ!テレ朝に続報が出ました。

ロシア前運輸相死亡情報が錯綜 解任の日よりもかなり前に死亡の情報も

7/8(火) 16:50配信

テレビ朝日系(ANN)


ロシア前運輸相死亡情報が錯綜


プーチン大統領から解任されたロシアの前運輸相の死亡について、死亡日時や場所などの情報が錯綜しています。


ロシア連邦捜査委員会は7日、スタロボイト前運輸相が死亡したと発表しました。銃で自殺したとみられるとしています。スタロボイト氏はこの日、プーチン大統領に運輸相を解任されていました。捜査当局に近いロシアメディアは、スタロボイト氏が昨年5月まで務めていたクルスク州知事時代に、汚職に関与していたことが解任の理由だと報じました。


当初、スタロボイト氏は解任後に自殺したと報じられましたが、ロシア下院のカルタポロフ国防委員長は、「死亡したのはかなり前だ」と述べました。プーチン大統領による解任以前に死亡していた可能性があります。死亡場所も、当初「自宅」と報じられていましたが、遺体は駐車場近くの草むらから発見されたとされています。


ヤフコメを一つだけ引用します。

佐々木正明

大和大学社会学部教授/ジャーナリスト

報告


解説関連はまだ不明だが、スタロボイド前運輸相が愛車テスラ内で拳銃自殺した前後に2人の運輸省高官が死亡している。詐欺事件の捜査の手が迫っていた前運輸相の自殺に伴い、後追いしたのかもしれない。

ウクライナとの戦争が始まって以来、露では政府関係者や官僚ら20人が自殺や不審死を遂げている。

死因が不確かな場合も多く、私的な会話でウクライナ戦争を批判した科学次官はキューバ発の旅客機内で不審死、与党「統一ロシア」で「最も裕福」とされた議員は滞在先のインドで、窓から転落死した。旅行先で亡くなるのも特徴だ。

職権を乱用して私腹を肥やしたうえに、「反プーチン」や「反戦争」などで虎の尾を踏んだ者たちは待っているのは「死の掟」。ソ連時代から変わららない露の暗黒史の実態を表している。

大臣クラスの自殺は、1991年のゴルバチョフ政権内のクーデター未遂後に自殺した内務相以来だといい、何かを暗示しているようで気味が悪い。


Xによると

Anders Åslund

@anders_aslund

This is important. Putin does not fire anybody because of corruption. Putin loves corruption. The real reason must be more profound.

Roman Starovoyt is considered to have been close to Putin's crony Arkady Rotenberg. Is this a blow to Rotenberg? Grateful insights!

なるほど、プーチン自身が汚職大好きなので、汚職を理由に解任なんてしないのか。それにこんな小者にわざわざ制裁を加える意味がわからない。つまり「敵は本能寺にあり」。本丸と目されるロテンベルクは何を企んでいた?私が邪推するに、ロテンベルクの事業とプーチンの政策に齟齬が生じていて、ロテンベルクはプーチンを邪魔くさく思い、抹殺したいと考えているのでないか?昨年のクルスク州へのウクライナ進軍には、ロシア側の同調者手引きもあったのでないかと言われています。昨年までクルスク州知事を務めていたスタロボイトが何らかの関与をしていたとしてもおかしくない。この2人の死は先手を打ったプーチンによる見せしめでしょう。しかしプーチンは、自分の裏切り者を一人残らず殲滅するまで、手を緩めるなんてことあり得ない。またまたオリガルヒの粛清が始まるのか?もう沢山の人間を殺してきたプーチンの手は血まみれです。彼にはもう地獄への道しかないけど、最後まで血まみれの道を歩んでいくのでしょう。しかし、ロテンベルクもただ座して死を待つなんてしないだろ!「バレちゃしょーがねーなー。じゃあ、殺られる前にオレがおめぇを殺ったるわ!」じゃないか?


ぷーちんろしあ、恐ろしあ!!