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昔の京大医学部受験生のブログ(4)〜私の感想

昔の京大医学部受験生のブログ(1)
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昔の京大医学部受験生のブログ(3)


「(有)伯商会」さんの実質3浪となった京大医学部受験の最後です。

そして数日後、まさに最後の最後、後期試験の日がやってきました。危機感、焦燥感はなく、私は一つの決意を持ってこの試験に臨むことになりました。この試験は俺の4年間の集大成、俺はこの4年間、普通の受験生よりはるかに大量の勉強をして来ただろうし、多くの回り道を進んできた、だから結果はどうあれ、全部終わった時後悔するような事だけは絶対にないようにしよう、落ちようが受かろうが、この4年に決着をつけられるような、そんな内容にしよう、そして、もしこれで不合格だったら俺は医学の道には縁がなかったんだ、薬学に人生を賭けよう、と。自分自身これで医学部再受験は最後にする事を決意し、朝日に輝く医学部講堂を見上げつつ、不思議にすっきりしたような気を持ち続けたまま、基礎第一講堂に入室しました。後期の一科目目は今まで散々私を裏切り続けてきた数学です。

そして数学の試験開始、1問目は…難しい…、この時点で、ああ、また同じだ、俺はやっぱりダメなのかなあ、と思いました、が、不思議とパニックには陥りませんでした。何回もこうした経験した事によるある種の悟りだったのかもしれません。とりあえずパスして2問目に進みましたがこれはなかなか簡単な問題、まずはこの問題を完答し、これで私は少し波に乗りました。続く3問目もその調子で完答、この2連続の完答で完全に波に乗った私は難問と言われた4、5問目も勢いに乗って完答、そして1問目も後で気付いて完答、6問目の果てしない計算問題のラストのラストで時間切れ、ほとんどパーフェクトの6問中5完1半で9割以上を確信、答案が回収されていくとき、完全に自分に波がきた現実が逆に信じられませんでした。そして徐々に心の奥底からこれはいける、今回こそいけるかもしれない、と4年分の鬱憤を晴らすがごとき静かな自信がわきあがってきました。この調子に乗って、続く物理、化学も物理で計算ミスがあったほかは全問完答、翌日の英語は難問でしたが無難な出来、そして小論文に関しては、設問の意図をすぐに見抜く事ができて、内容、論理性共に自分が書ける限り最高のものを書きあげる事が出来ました。終ってみれば、今まで模試ですら出した事のない最高の出来栄えでした。


あとすべき事は結果を待つのみです。最後の受験を終えた私はそのまま友人と遅い高校の卒業旅行として屋久島へ旅立ち、帰ってきて数日後が、後期合格発表です。出来自体は全く後悔する事がありませんでしたが、後期定員は10人、しかも京大医学部、東大理Ⅲ、阪大医学部前期落ちが集結する全国最難関、いくら出来たといっても他の受験生はもっと出来ているのかもしれない、もしかしたら簡単だったのかもしれない、と思考は悪い方に巡るばかりでした。合格発表は正午12時からでしたが、見に行く勇気が出ません。家で落ち着かないまま待っていると、ついにレタックスが到着。受け取って部屋の机の上に置きましたが、この中身で俺のこれからの人生が決まるんだなあと思うとこの薄い封筒がとてつもなく重く思えて開けられませんでした。


しばらく家でいろいろ考え事をしながら過ごしていましたが、そろそろ日も落ちてきました。もうこれ以上引き延ばす訳にも行きません。自分の人生の節目だ、自分で見に行こうと思ってレタックスは未開封のまま机に置き、午後5時過ぎ、自転車に乗って医学部掲示板を見に出かけました。医学部の北門から入構すれば掲示板は20秒もかからないのですが、私はまだ見に行く勇気が出ず、無駄に学部内を周回し続けました。今から10分後には自分の一生が決まるのだ、自分の4年間の結果がわかるんだと思うと、とてもじゃないですが怖くて掲示板を見に行く勇気が出ません。しかし、そんなことをしていても時間が過ぎるのみ、もう自分は薬学部で薬学の発展に尽くそう、そう自分を納得させて掲示板に近づき、後期合格発表者の番号を恐る恐る見上げてみると…8番、…ありました…。一番上に自分の番号を発見!合格…です。普通でしたら掲示板の前で「やったー」とか言って歓喜する所ですが、そのときの私はそんな余裕など全くなく、いまだかつて感じた事のない興奮状態で交通事故に会わないよう必要以上に気を使って帰宅、それでも信じられなくてレタックスを震える手で開封し、番号を確認し、自分の受験票をもう一度見て、夢でない事を確認し、ようやく合格の現実を受け入れる事ができました。そして一人、部屋の中で合格の喜びをしみじみとかみしめました。京大医学部を目指し、時には遠回りをし、自信をつけては打ちのめされ、自分自身が医師になることについて悩み、そして自分自身のあり方についても、そして将来についても悩みぬいた実に苦しい4年間がこれでようやく終わりを告げました。あきらめない努力は報われた、今までつらい生活を乗り切ってきて本当によかった、ようやくようやく京大医学部に合格出来たんだなあ、そしてそれ以上にようやく俺自身の夢であった医師になれるんだなあ、ともう涙、涙の一日でした。さっそく友達に連絡をし、そして実家に連絡し、今まで応援してくれた人たちに報告をしました。実家に連絡した時の母親の「本当に!?」というあの言葉が忘れられません。


3年の回り道は考えようによっては長かったかもしれません。しかし、多くの葛藤の中で自分自身が確かに成長した、少なくともタフにはなった3年間であったと思うし、辛かったことの裏には本当に楽しかったこともありました。素晴らしい人たちとの出会いもあったし、別れもありました。今ではその全てが本当に貴重な経験だったなと思っています。こうした体験を医師になる上で役立てていけたらいいな、今はそんな風に思っています。


そしてそれまで私自身、多くの方々にいろいろ応援していただき、大変励みになりました。恩師の方々、友人、そして家族など、時にはストレスなどから迷惑をかけることもありましたが、そんな私を受け止めてくださった方々には本当に感謝感謝です。応援してくれた方、本当にありがとうございます。こうした経験を糧に、優れた医師目指して頑張ろうと思います。


最後になりますが、再受験に成功するコツとは何なのでしょうか。月並みですが、私はまず「あきらめない事」だと思います。そしてあきらめないという信念を支えるものには、どうしても医師になりたい、という強い欲求があるのではないでしょうか。私のように回り道をしたとしても、医師になる、という前提さえ変えなければ、努力をしている限り目標を達成できる可能性は高まるはずです。そしてもう一つ、再受験をする中で私が学んだ教訓、今の私の人生教訓ともなっている事は、「超堅実な大冒険をしろ」、という事でしょうか。受験に限った事ではないかもしれませんが、身分不相応な夢を抱き、本気でそれにアタックできる大バカ者こそが成功できるのだと私は思うようになりました。大冒険をする勇気がない者に飛躍は不可能だという事です。しかし、奇跡を起こすためには、幅広く、かつ的確な情報収集、たんたんとした努力、こういった地味な作業が必ず必要となるはずです。大げさな夢と、冷静なアタマ、この二つのバランスをうまく取っていければ成功に近づけるのではないでしょうか。そしてもう一つ、常に「ポジティヴである」事。心配するより、開き直った方が楽です。終った嫌な事は早く忘れて、これからの「未来」をどうするか、それを考える方がよっぽど健康的です。どうせ同じ作業ならプラスの心意気の方が能率も上がるはずでしょう。自分の弱さを正直に捉え、常に自分を向上させようとしてゆく事、こういった事は受験に限らず大事な事だと思います。


まあ、ゴタゴタ言いましたが、結論は

本気で医者になりたいんだったら絶対にあきらめるな!

ってことでしょうか。手段、過程がどうであれ、目的が達成されればそれでいいのです。

少なくともチャレンジが正攻法である限り。

医学部に入るという前提は絶対に守り抜き、その他の事情については適時妥協し、その上で、正確に情報収集・分析し、勉強手段、効率について自分の頭を使って必死に工夫する、というのが正攻法の再受験生活のような気がします。


おまけですが今年から京大では希望者全員にに入試での得点開示を行うようになりました。それによると後期は私の成績はなんと合格者最高得点(1400点満点中1088.1点)でしたよく出来たとは思っていましたが、まさか最高得点とは思いませんでした。それにしても散々落とされた挙句、最後の最後の後期試験で最高得点で合格するなど、事実はドラマよりドラマティックだなあ、と思っています。

以上、私の再受験記でした。感想、ご意見などございましたら遠慮なく掲示板やメールなどでいただければ幸いです。管理人多忙につきメールの返信が滞る可能性がありますが、全通必ず読ませてもらっております。

これで終わりです。長かった!しかし「(有)伯商会」さんの奮闘は、今大学受験特に医学部受験する学生にはよくわかるでしょう。最後の京大入試で医学部最高点で合格するなんて、すごいですね。まさに有終の美。大学に受かった落ちたは長い人生ではあっという間のことではありますが、でも全力投球した受験生にはその成否にかかわらず一生の思い出となります。


 その後「(有)伯商会」さんがどうなったかというと、無事京大医学部を卒業し医師国試も合格します。初期研修は京都でない東のどこかの病院に行くところで終わりますが、実家のことが書かれているので静岡方面でしょうか。京大医学部の関連病院はかなり広大な分布で、東は静岡県、西は福岡県・熊本県にもあります。卒業して10年経つので、今は中堅どころですね。精神科に興味ありそうなことが書いてありましたが、その方面でしょうか。元気にご活躍されていることを祈ります。