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「冬菜味わう」 〜土井善晴氏の教えと昭和の風景

先月から日経夕刊一面の「あすへの話題」の執筆メンバーに土井善晴氏が入りました。僕が土井善晴氏をよく見るようになったのは、テレビ朝日で土曜毎朝4時55分から放映されていた「おかずのクッキング」です。土井善晴氏が柔らかい関西弁で洒脱に語りながら、次々と料理を仕上げていきます。基本さえ押さえてあればシンプルな調理でも美味しい料理ができると、よくわかる内容でした。次第に興味を持って月刊誌の方も購入するようになったら、いきなり放送終了。それが2022年4月1日でした。


 残念だな、もっと色々語ってほしかったと思っていたので、土井氏が「あすへの話題」メンバーに入ったことで、期待ワクワクです。1月20日(土)の内容が、表題の「冬菜味わう」でした。冬菜といっても、小松菜・水菜と色々ありますが、土井氏が力を込めて書いているのがホウレンソウです。ホウレンソウは根元の赤くなった茎が甘くて美味しいですね。土がついていることが多いので、茹でる前によく洗う必要があります。土井氏も

紫がかった赤い茎はしっかり太い、濃い緑の葉は厚みがあってゴワゴワする。シンクで水に浸し、根元に十文字に切り目を入れて、20秒ほどおいて、泥を緩めて洗う。待つ間(ま)の、ほうれん草は美しい。

と書いています。うちの家内はこの赤い根元を捨てる習慣だったことを結婚してから知り、びっくりした憶えがあります。さてここからが肝腎ですが、

熱湯で泳がせるように茹(ゆ)で、水にとる。アクが抜け、緑は鮮やかになる。さっとではなく、きちんと茹でる。火の通し方があまいとアクや歯にあたる繊維が気になる。完全に冷めるのを待って、水から引き上げ、器をチラリと見て、寸法を推しはかり、食べやすく切る。両の手のひらで労(いた)わるようにおさえて水をきり、器にのせる。軽く煎って水気を飛ばした削りかつおをそえる。

となっています。これ、よく失敗してしまうのですが、ついつい小松菜みたいに軽く茹でてしまうと、シュウ酸のえぐみが残ってしまいます。小松菜は茹ですぎるとシャキシャキ感がなくなってしまいますが、ホウレンソウはまずシュウ酸をゆでこぼして除くのが基本です。シュウ酸はエグいだけでなく、多量に摂取すると尿路結石の原因にもなります。土井氏の教えは肝腎なところを突いています。


 土井氏はおひたしにしていますが、僕はバターやソーセージと炒めるのも好きです。小学校の家庭科で「ホウレンソウには脂溶性のビタミンが多いので、油と調理すると吸収がよくなる」と教わったせいでしょう。

食卓で醤油(しょうゆ)を垂らり、慎重に箸をとる。するとほうれん草にまとわる水もまたおいしい。茹でたてのほうれん草は主役にだってなれる。ぎゅっとしっかり絞るのは、お弁当など、食するまでに間があるとき。


 なるほど。こういうちょっとした心遣いが美味しいものを食べるコツですね。

ていねいに料理するとは、手と食材が触れる加減を意識すること。素材をよく見て、手がすることを、細やかに認識し、作業に集中すること。忙しさの中でも――そんなことはできないと思うが――心身共動することで、料理、いや洗いものだっておもしろくなる。だれもが面倒に思う料理は、心整える場だと知り、ただ食材に向かう。心の置き方で料理は禅にだってなると思う。

いやー、忙しいのでいつもそのように精進して料理するのは難しいですが、心がけたいものです。


 今は色々な野菜が出回りますが、昭和時代は冬の青野菜といえばホウレンソウでした。あの頃は今よりもっとたくさんホウレンソウを食べていた気がします。youtubeに投稿されている映像で、「Japan in 1961. Changed life of a Kyoto family」を思い出します。アメリカで編集されたフィルムで、京都市で生活する中村家の日常を描いています。今からもう60年以上前の京都の風景です。架空の設定ですが、お父さんの中村氏はどこかの大きな会社のエンジニアみたいで、村田製作所か島津製作所あたりでしょうか?


娘のキミ子さんは高校3年生で、なんと京都大学医学部を受験する設定になっていて、願書をとりにお母さんと京都大学に行きます。1960年代でも京大医学部は今と変わらぬ難関ですから、キミ子さんは学業優秀だったのでしょう。この京大正門入り口は令和の現代とほとんど同じですね。あの頃の大学受験で国立大の入試は3月に入ってからですから、願書取りはまさに今の時期、つまり1月後半から2月前半あたりでしょう。

その後、夕飯の用意にお母さんが向かったのは近所の商店街で、魚屋でタイを買います。


かなり奮発してますね。タイなんて、僕が小学校時代に食べたのはお正月だけです。関西は関東と違ってタイに馴染みがあるのでしょうか。帰宅する自宅は何やら非常に立派です。京都市内でこんな立派な家に住めたとはうらやましい。


 帰宅した母親が夕飯の準備を始めると、キミ子さんも手伝いますが、そこでホウレンソウを茹でるのです。



ここでホウレンソウをくたくたになるまで、よく茹でています。なるほど土井善晴氏の教え通りですね。

そして帰宅した中村氏と一家団欒の晩ご飯となります。家の外観からすると、意外とこぢんまりした居間に感じます。みんなで夕飯を囲みます

タイは、塩焼きになっています。この時代の京都ですから、物流を考えると自宅で買うタイでお造りはありえず加熱一本だったと思います。タイの横にホウレンソウのおひたしと思われる小鉢が添えられています。


キミ子さんの弟のキヨシ君は小学生の設定ですが、育ち盛りのせいかパクパク食べています。

ほのぼのした映像ですが、ほんとに質素な食事です。当時のホウレンソウは土井氏が書くように貴重なおかずだったのでしょう。


 大寒の今、寒さで美味しくなったホウレンソウをたくさんいただきたいですね。僕は豚肉薄切りと一緒にしゃぶしゃぶにするのも好きです(いわゆる「常夜なべ」です。飽きが来ない)。レモンをたっぷり添えてね。ところでキミ子さんはその後京大医学部に無事合格したのでしょうか?肝腎な合格シーンが描かれてないところがもどかしいです。