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医学部学士編入がなぜ2年からになったのか 〜「外圧に左右されるままでいいのか日本」が招いた結果

東京医科歯科大学(3)〜医専の成立過程
医学部の修業年限 〜そこまで言うなら戦前のように2種に分けてはどうか?
大学教養課程はムダなのか 〜医学部の場合


医学部の学士編入試験が佳境に入った時期ですが、合格された方々は来年度から始まる医学部での学習に胸を膨らませていることでしょう。我々が大学受験の時代、医学部で学士編入試験をおこなうのは大阪大学しかありませんでした。医学部以外の学部に進学して卒時に学士編入を受けるなんて随分ハードルが高く感じられたし、阪大はもちろんその頃から難関でしたから、そんなので大阪大学に受かるよりはまずは普通の大学受験で医学部に進むことしか考えられませんでした。しかし、2000年代に入ってからは文部省の通達で医学部の学士編入が推奨され、急速に増えてきました。現在は千葉大や新潟大のように学士編入制度を廃止したところもあり、全体定員は2000年代の往時より減少しています。減少の理由として入ってくる学生の質に問題があった可能性もありますが、もう一つ重要なのは学士編入の大半が3年生からでなく2年生になったことでないでしょうか?ここに医学部を志すなら、学士編入の受験でなくてもだれでも知らなくてはならない重要な事実があります。


 以前医学部進学課程制度で述べたように、医学部の教育は2年間の教養教育と4年間の専門教育に分かれていました。ですから学士編入制度を導入した場合、専門課程からの学習となるのが普通です。大阪大学はかの有名な山村雄一先生の提唱で始まったようですが、理工学・社会科学と書いてあるものの、試験内容を考えると当時勃興していた分子生物学など生命科学の先端を知る人材の導入を目論んでいたように感じます。大阪大学のアドミッションポリシーです。

「近年の医学・医療の進歩と細分化によって、医学は従来の境界を取り去り、広く関連分野の学問領域と融合しつつあります。医学が密接に連携しなければならない分野は、生命科学のみならず社会科学にまで及んでいます。本制度は、これらの学問的要請に呼応して、医学以外の分野(特に理工学系並びに社会科学系)を既に専攻した者、並びにその分野について相当の知識を有する者に医学の今後の進歩に寄与し得る道を開き、あわせて医学とその他の関連学問分野との融合を図り、将来広い視野をもった人材を育成しようとするものです。」


2000年、科学技術庁との統合を目前に控えた文部省がある会議を開催します。「学士を対象とする医学・歯学教育の在り方に関する調査研究協力者会議」がそれで、ここで検討された結果医学部の学士編入が大阪大学以外でも積極的に進められるようになりました。この会議後出された文科省の通達は大阪大学とはやや異なる趣旨で、「良医育成のため、一度大学を卒業し、社会経験を積んだ人材を積極的に医学部に編入させること」となっています。しかし、じゃあどういうのが「良い医師」でどういうのが「社会経験」か?という像は漠然としています。そのためこの通達から増えた医学部学士編入制度では、大学によってアドミッションポリシーが異なります。大阪大学のように研究医養成を目論む大学から、臨床医として地方に根付く医師養成を掲げる大学まで多様化しました。いずれにしても、「専門課程の教育から」という点は一致しており、3年生からの編入だったわけです。


 ところが2010年代後半になってから、この学士編入の年次が段々と2年生に移行しました。なぜか?それは臨床教育の分量が増加してきて、専門課程の学習が下の学年に下りてきたからです。3年から開始は今ほとんどなくなり2年前期からが圧倒的です。大学によっては1年後期から始まるところもあります。従って「学士編入は2年生から」になったわけですが、それだと通常の医学部受験をして入った学生と1年しか違いません。たかだか1年間の修養年限の短縮しかない学士編入制度よりは一般入試でそういう枠の人材を採る方が合理的にみえます。折角多様な人材獲得を目論んだ制度だったのに、機運が盛り上がらなくなってしまいました。


 医学の進歩にはめざましいものがありますから、臨床教育が増えたとすればそれが原因だろうと、普通は考えるでしょう。ところがそうでないのです。実はアメリカの「USMLE」という制度が大きく関係しています。USMLEとはUnited States Medical Licensing Examinationsの略称で、アメリカでの医師資格取得試験のことです。日本で医師資格を取ることと何の関係もありませんが、日本でも上位大学を中心に多くの医師が海外留学をおこなう、特にアメリカに渡る者が圧倒的に多いです。そのためUSMLEは優秀な医師ほど取得を目指すことになるのです


 この試験の受験資格が2024年から変わります。今までは日本の医学部に在籍あるいは卒業した者なら誰でも受験できましたが、2024年以降はUSMLEの最終ステップであるstep 3の受験には「ECFMG」の認定書取得後に可能とされたのです。ECFMGとはEducational Commission for Foreign Medical Graduatesの略称で、アメリカとカナダの医学部以外の「外国大学卒業生」に対して両国での研修資格の認定をおこなう団体です。このECFMGが認定に先だって対象大学を決めると2010年公表し、その対象大学の条件をWFMEに投げたのです。WFMEとはWorld Federation for Medical. Educationの略称で、世界医学教育連盟と訳されます。その日本支部に相当するのがJACMEです。JACMEとはJapan Accreditation Council for Medical Educationの略称で、日本医学教育評価機構と訳されます。実質的にJACMEが対象大学を決めますが、USMLEから指定されている条件に従います。そのひとつが「臨床実習期間が72週以上であること」でした。これがかなり長い。大学の学期は15週構成ですから、少なくとも2年3ヶ月かかります。6年生の1月以降は国家試験が2月にあることを考えると難しく、4年生12月には始める必要があります(我々の時代、臨床実習は何と!6年生になってからでした。)。このため基礎医学を遅くとも2年生後期に開始する必要がありますが、2010年当時それを満たしている日本の医学部はなかったと言われます。そのため日本の医学部は慌ててカリキュラムの見直しを図り、結果として専門課程は2年前期開始がほとんどとなったのです。JACMEが認定している医学部はここに出ています。今3年生からの学士編入を認めているのは島根大だけですが、島根大はJACMEの認定校になってないことがわかります(2023年8月現在、全国88校のうち72校が認定済みもしくは継続)。
JACMEが認定している医学部


 このため医学部では教養課程が1年に短縮されただけでなく、基礎医学もかなり短縮されました。確かに臨床医学教育は充実できたかもしれませんが、その土台となる基礎教育が大変貧しいことになりましたこれで良い医師を養成できるのでしょうか?実はアメリカは痛くも痒くもないのです。というのもアメリカの医学部、すなわちmedical schoolは「大学院」なのです。4年制の大学(主にliberal arts and sciencesと称される教養学部)を卒業して初めて受験資格があります。生化学や生理学、遺伝学など基礎医学に相当する科目の幾つかは、medical school入学前の大学でも単位取得可能です。ですからアメリカのmedical schoolは安心して臨床教育に専念できるのです。割を食っているのは、日本など他国の医学部です。


 実は日本でも医学部を大学院相当にする機運はありました。二至村菁氏の論文「8 年制医師養成教育―GHQ サムス准将の提案」(医学教育2013,44(6):421~428)から引用しながら補足も加えます。


 第二次世界大戦の敗戦後日本に進駐してきたアメリカ軍を中心に編成されたGHQに、日本医科学審査委員会が設置されました。この委員会の責任者だった公衆衛生福祉局のクロフォード・F・サムス局長が「8年制医学部」を主張したのです。サムス氏は自身の医師になった経緯から、アメリカ流の4年間の大学教養学部と大学院相当の4年間の医学部専門課程を構想していました。日本人でも慶應義塾大学医学部予防衛生学の教授だった草間良雄氏のような同調派もいましたが、多くの委員会メンバーは賛成でなかったようです。しかしそれは無理もないことだったかもしれません。というのも、日本では旧制の大学医学部以外に「医学専門学校」があったからです。通称「医専」ですが、旧制中学の中等教育課程修了で入学して早いと3年間の医学専門教育で修了し、早いと21歳には医師資格を得られました。特に第二次世界大戦中は軍部の要請でそういう医専が臨時医専として多数できた状態で、そちらの整理も大変でした。そういう中で卒時26歳になってしまう医学部制度ではなかなか医師養成ができない、また医学部希望者が減ってしまう危惧もあったでしょう。それでも医科学審査委員会では、サムス氏の「8年制」案が通りました。その後もっとも強硬に反対したのが、医学教育審議会と合同で会議をすることになった文部省の教育刷新委員会の座長を務めていた安倍能成(あべ よししげ)氏です。安倍氏は東京帝大文科大学(文学部)卒業で、戦前旧制一高の校長も務めましたが、戦後幣原内閣で文部相も務めました。気骨ある人物だったようで、戦前の一高校長時代は高校の年限短縮に反対したり和平提案を近衛文麿にしたりして、軍の監視対象になっています。また戦後は文部相として、第一次アメリカ教育使節団の来日歓迎挨拶で、アメリカが力でなく「正義と真理」によって日本に臨むよう申し入れています。


 サムス局長は、「医師には深い人文科学の教養がなければならない」と確信しており,学部教育をとおして「人間らしい尊厳と誠実」を身につけ,「人を見る目をそなえ,患者の苦しみを理解する智恵」を培ってから,医師となるための大学を選ぶべきだと考えていました。人間の命をあずかる以上,法律家や化学者とおなじ年限で医師を養成することはできないということです。


 それに対して安倍氏は「門家教育は専門家集団の意見を聞くというならば,法学部教育は弁護士や検事の意見を聞けというのでしょうか,彼らも教育年数をひきあげろと言い出しかねないではないですか」と反論しました。二至村氏は以下のような感想を述べています。

安倍氏にとってサムス局長の提案は,日本の医学部教育を蔑視し,日本の教育を統制する文部省を飛び越えて各医学部に米国式制度を押しつけようとするもの、と映ったことであろう。敗戦ですべてを失った日本が豊かな米国の悠長な教育制度をそのまま受け容れることはできない,という信念のもと,安倍氏はサムス局長の意向に押し切られた医学教育審議会を歯がゆく思っていたにちがいない。

〜中略

日本は当時困窮のきわみにあり,敗戦後の医師不足をすみやかに補う必要があったこと,文部省が新しく監督する小学校6 年・中学校3 年・高校
3 年の教育制度とのかねあい,各大学にとって医学部入学試験は二度の手間となり,医学部間の格差をひろげる可能性もあり,8 年間の学資負担は
重く,そして人間の教養はかならずしも大学の学士課程教育によって培われるものではないこと,などが安倍氏の反対の理由であったにちがいな
い.日本の医師を蔑視して米国の制度を押しつけようとするサムス局長への反感もあずかっていたと推察される.


徹底的に抵抗する安倍氏を前に、サムス氏はGHQ参謀本部に医学部8年制について命令するよう願い出ましたが、却下されてしまいます。とうとうサムス氏が折れる型となり、医学部6年制が発足したのです。安倍氏の勝利に終わりました。しかしサムス氏はこう述べたそうです。

医学教育が6 年となれば,将来の日本の医師は[教養の低さゆえに]他国の医師から見下されることになるだろう」と予言した

歴史評価というのは、長期に渡って見ていかなくてはなりません。第二次大戦後70年近くは、「安倍能成氏に先見の明があった」ということでしたが、今まさに「サムス氏が危惧した通りの結果になった」のです。実は上の

確かに臨床医学教育は充実できたかもしれませんが、その土台となる基礎教育が大変貧しいことになりました。これで良い医師を養成できるのでしょうか?

を書いた時、上のサムス氏の予言のところまでこの論文を読んでおりませんでした。私が今感じている日本の医学部教育への危惧は、奇しくも70年前サムス氏が予言したこととまったく同じでした。


 ただ医学部を8年制にもしもしていたら、どうなったか?上で述べた

法学部教育は弁護士や検事の意見を聞けというのでしょうか,彼らも教育年数をひきあげろと言い出しかねないではないですか


に関しては、「法科大学院」構想が推進され、司法試験も様変わりしました。ものの見事に安倍氏の抗弁が覆されたわけですが、今また4年制の法学部を経て司法試験を受けるルートがもてはやされています。折角の法科大学院構想が形骸化しつつある現状を考えると、なかなか難しい問題です。