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自治医大の陥穽 〜部外者や受験生は知らない実情

自治医大の陥穽 〜ヤフコメで思うこと


自治医大といえば僻地医療を振興するためにつくられた医学部であることは、だれもが知っていることです。しかし、この大学に入った場合どういう問題が起こるのか、メディアなどで取り上げられることは少なかったと思います。「日刊ゲンダイ」で医学部の問題を連載している田中幾太郎さんが取り上げています。

どこが問題かというと、6年間の学費が支給される代わりに、卒後医師となると9年間出身都道府県が指定する医療機関に勤務する義務が生じることです。この大学は僻地に不足する医師を養成する目的で設立されました。ですから各都道府県ごとに選抜される受験生は当然それを承知して入学することになります。


 続く文章のまさにここが、この大学卒業者にある陥穽なのです。

「まさに貧乏人の頬を札束で引っぱたくようなシステム」とOBは振り返る。決して豊かではない家庭に育った同OBは、幼い頃からの夢である医師になりたい一心で東大理Ⅲと自治医大を受験。東大には合格できず、自治医大に進んだ。卒業後は出身地の自治体病院や山の中の診療所に勤めていたが、5年目に保健所への異動が命じられる。

つまり、自治医大にはお金があまりない家庭の子弟でも進める代わりに、卒後9年間自分の意志で進路を決めることができないのです。「あの病院へ行け」と言われてそれに従い、「この診療所に行け」と言われてそれに従い、今度は「保健所に行け」となったわけです。一般に公衆衛生や衛生学を志すわけでない臨床医にとって、若い研修医時代に保健所に行くのには違和感があるでしょう。保健所は地域医療の拠点として重要ですが、臨床の一線からは離れることになります。どれくらいの年数になるかわかりませんが、地域医療を知るには必須とはいえ、研修から離れることはキャリアからみてプラスとは言えません。何よりも問題なのは、こういう指示を出す都道府県の医療行政の責任者が自治医大卒の医師のキャリアパスを真剣に考えているか?という問題です。ある程度本人の希望は聞くでしょうが、奴隷よろしく自由な権利がないのをいいことに、都合良く使い回す可能性が多分にあります。また「1県1医大構想」を背景に各都道府県にできた医学部から県内の病院に派遣される医師達との棲み分けも問題になります。自治医大卒業生だけが割を食う、使い捨てにされかねない現状があります。ヤフコメ見ると、医者が見当外れなアホ意見を書いていて、呆れるばかりです


 今の自治医大学生にはRA(research assistant)制度はあるようだけど無論全員じゃないし、防衛医大と違って学生は公務員じゃないから給料なんか出ませんよ?そもそも、あんた市中病院の研修医なら昭和時代でも大学医局の研修医と違って、全員正規給与だよ?寝ぼけたデタラメ言うな!


 普通の医学部ですと、母校は卒業生に対して支援や配慮をおこなうのが当然ですが、自治医大の場合はどうでしょうか。基本的に卒業生は出身都道府県に戻り、そこで地域特に僻地医療に貢献することが期待されています。従って自治医大の卒業生が母校の医局に戻るのはかなり後にならざるを得ず、実際そうなりました。またさらに研究で大学に残ろうとすればそれこそ公衆衛生や衛生学など地域医療対策を研究課題とする部門が中心となります。今自治医大の教員がどういう大学の卒業生なのか資料がないのでわかりませんが、1972年の創立時から相当長期間、東大医学部の牙城でした。特に創立時の教員は東大医学部の卒業生が多数だったのでないでしょうか。その象徴的な存在が1996年から2012年まで、実に15年間も学長を務めた高久文麿氏でしょう。高久氏は東大助手などを経て1972年の自治医大創立時の教授に就任し(弱冠40歳)、その後1982年に東大医学部教授になります。高久氏が東大で教授に就任したのは当時の第三内科でしたが、東大医学部でも特に俊秀が集まることで昔から有名です。古くは有名な冲中重雄教授が主催し多数の弟子を輩出しましたが、高久氏の弟子としては宮園公平氏(東大教授)、石川冬木氏(京大教授)、平井久丸氏(東大教授、2003年急死)が有名です。しかしそれ以外にも沢山いて、自治医大にやたら多数できた血液内科関連の教授ポストはそれを専門としていた高久文麿学長との関係が大きいです。つまり自治医大は卒業生のための母校というより、東大医学部のために奉仕した期間が相当長いです。現在でも自治医大の学長は、これまた東大卒しかも第三内科出身の永井良三氏で、自治医大の東大医学部支配はずっと続いています


 日刊ゲンダイから田中氏の記事を引用します。

自治医大出身の30代勤務医は「離島の診療所にいた時は不安ばかり募った」と振り返る。

「医師としての技量を最もつけなければいけない時期に、指導してくれる先生もなく、ただ目の前の診療に追われる日々。このままでは取り残されると、真剣に一括返済を考えました」

 銀行とも相談したが、色よい返事は得られなかった。「医師に対する信頼度は高く、以前は融資もそれほど難しくなかった。しかし近い将来、医師数過剰が予想され、審査も厳しくなっている」と都市銀行の融資担当は話す。

「カネがないことがこんなにみじめなのかと悔しくなった。自己負担額ゼロで医学部に行けると自治医大を選んだものの、無理してでも国公立大に行ったほうがよかった。そこでかかる費用くらいは自分で捻出できる。自治医大は全寮制なので、アルバイトすらままならない」

 結局、そのまま離島生活を続け、数年前にようやく“年季が明けた”30代医師は逃げるように東京に出て、総合病院で働きだした。

つまり、30代になってからようやく奉公生活から解放されたということです。この年になって、医師が新たにキャリアパスを独力で拓くのはものすごく大変です。若い時の技量蓄積、また支援する母校の有る無しを考えると、きわめて不利といっていいでしょう。医学部の医局制度は研修医制度が始まって崩壊しました。一種のギルドみたいなものでよくなかった点が多々ありましたが、関連病院への派遣やり取りを通じて地域医療貢献と講座の人材育成という相反しがちな要請をうまく処理していた一面があります。上のヤフコメの続きですが、コイツラもわかってねえなあ!


 私も大学受験の時、自治医大を考えたことがあります。しかし自治医大に合格すると手続きに国立大学受験まで待ってくれません。第一自治医大を受けること自体一種の「専願制度」に近く、合格したら辞退という道がないです。ですから迷った末、受験はやめました。今になるとそれで「正解」だったと思います。自治医大は今も昔も医学部受験生としては割合優秀なひとがいくことが多いですが、卒時悔やむこともあると思います。


 新型コロナ対策で一躍有名になった尾身茂氏が自治医大の卒業生、それも一期生であることは有名です。尾身氏の場合、一般の自治医大卒業生とはかなり違う人生を歩んでいますが、彼が東京教育大附属駒場高校だったことも影響しているように感じられます。尾身氏自身がきわめて能力が高い人だっただけでなく、高校同窓生の支援もかなり大きかったのでないでしょうか。以下のヤフコメが、一般的な自治医大生の将来を示していると思います。


hat********1日前


医療関係者です。

自治医大の不公正だと思う点は、一旦合格してしまうと国公立大前期後期の試験日に自治体による拘束が掛かって他大学を受験できなくなること、それと県職員子弟の比率がやけに高いこと、ちなみに最終面接は各県単位で行われます。卒業したら、県の病院課の係長とかが、自分が金を貸したかのように威圧的に人事異動を告げられます。当県だけの事情かもしれませんが。

何よりも医師としてのキャリア形成の絵が全く描けないのが絶望的です。比較されている地域枠医師は、まだ県内にさえいれば、診療科の選択の自由があり大学院進学なども可能で、随分マシです。

偏差値の高い難しい大学に入ったのに、お気の毒としか言えません。