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「日本の学術研究」が危機的状況 〜論文数は多いのに「質の高い」論文が少ない

現代ビジネスの記事ですが、引用します。

日本の研究力低下が囁かれている。

 8月8日、文部科学省の科学技術・学術政策研究所が公表した「科学技術指標2023」によれば、引用回数が上位1%に入るトップ論文数を表す「Top1%補正論文数」が日本は319本となり、国別順位で12位。実はこれは過去最低クラスの記録なのである。

ちなみに1位の中国は5516本、2位のアメリカは4265本と二大国に日本は圧倒的な差を付けられており、スペインや韓国にも抜かれる結果となった。

これ、大学など理系の研究機関で働いているひとたちはとっくのとうに自覚してることで、今更感が強いニュースでしょう。日本は今年ノーベル賞受賞者がいなかったですが、今後はもし出てもごく少数にとどまると考える研究者が、ほとんだと思います。なぜかといえば、そういう革新的な研究に邁進できる状況でないことが、一番大きいです。


日本の研究力低下の一因として、研究環境の水準が下がっていることが指摘されているという。

「科学技術大国である中国、アメリカに比べて日本は、公的研究機関に投入している金額がはるかに少ない。そして他国の科学技術政策の発展により、相対的に日本の研究力が下がったと捉えることもできます。

 そのうえで選択と集中が進んでいるので、研究機関全体に研究費が行き渡っていないのです。国としては、社会保障など優先的に予算を使いたい項目がありまして、科学技術政策は後に回されがち。

要するに、国として研究費を切りまくっているのが大きな理由ですが、その元凶を成す問題は以下の通りで、間違いないでしょう。

 研究力低下の分水嶺は、2004年度の国公立大学法人化にあるという。


 「国公立大学の法人化が進み、基盤経費が徐々に削減されていきました。これは研究にかかる人件費や光熱費量などに充てる経費でして、使える金額が減るとなれば、当然ながら研究水準は落ちます。

前も述べた通り、国立大学法人で人件費に充てる運営交付金が1990年以前と比べて約20%減額されたままですから、当然です。文科省はその代わりに、競争的資金制度を導入したからちゃんと研究する大学教員が困るはずがないと、主張しています。ウソですね、まったく。



平成16年は2004年ですが、そこで比較すると平成末期〜令和で運営交付金は約1400億円の減額、科研費は約500億円の増額で、差額として900億円も少なくなっています。


 しかも科研費は数年以内の短期的コストパフォーマンスで査定・配分されるので、運営交付金のような長期的研究育成の視点はきわめて持ちにくいです。この点も引用します。

日本は論文数の割には質の高い論文がそれほど出ていない。長根氏は、自身の仮説をもとに次のように語る。


「近年では、任期の定めがなく長期的に在籍できるパーマネント職のポストが減り、代わりに任期制のポストが増えてきました。法人化前であれば、大学のほうで人件費を確保することができ、若手研究者をパーマネント職として採用する余裕がありましたが、現在は採用枠がどんどん狭くなっています。

そのため現在の若手研究者は、実績を作るためにとにかく論文を多く発表しようとするインセンティブが働き、ポストに就こうとする傾向にあります。こうした動向によって、じっくりと腰を据えて質の高い研究に取り組む余裕がなくなっているのでしょう」

ここでは任期付き研究者の待遇問題を論じていますが、科研費もまったく同じと言えます。これでは長期的なスパンに立った計画がきわめて実行しにくいのです。


 国別の研究費推移は以下のような状況なので、決して日本が少ないとは言えないのですが、配分の当て方がおかしいのでないでしょうか。

ただ中国の猛進は目を見張るものがあり、油断なりません。


記事に戻ると、ヤフコメにはこういう正論が出ています。

sou********3時間前


研究という分野に研究費獲得のための競争原理を持ち込んだことと研究者に任期制を持ち込んだことが質の高い(後世に残るという意味)研究成果が得られなくなったなった主要な原因です。これらの政策は、研究者たちが自ら望んだことではなく、一部のおかかえ研究者(もうこの世にはいない)と文科省の官僚上層部(もうこの世にはいない)が国立大学法人化の名のもとに始めたことです。これらの政策を止めないかぎり、これからも日本の研究力はますます低下していくのだと思います。若者にもそっそを向かれ、大学の研究者はもう魅力ある職種ではなくなって来てますからね。

ato********6時間前


研究なんていうものは、開始した段階では成果になるのかどうか分からない物が多い。それを無理矢理に、「成果の出る研究」を選択して集中投資するものだから、学者たちが予算確保の書類づくりにやっきになっている。


1000個の種に投資して2-3当たれば良いというものを、絞ってしまってるわけだから、「良い研究」なんてできるわけがない。


小柴先生たちが始めたカミオカンデの研究も当初は、別な目的のために作ったのだが偶然にもニュートリノ天文学の端緒になったように、広く予算を「ばらまく」方がいいのである。今のようなやり方と予算の少なさでは、もうノーベル賞は日本から望むべくもないし、新しい発見もなされないと思う。

man********4時間前


研究費の獲得は、有望な分野だから誰でももらえるわけではありません。どれだけ有望であることを伝えても、研究者に過去の関連分野の実績がないと獲得するのは厳しい状況にあります。また新しい分野は通常、施設や機器など当初に大きなお金がかかることが多く、なおさら獲得しようとすることに二の足を踏むことが多いです。何より、すぐに結果が出ないので多くの研究者は自分のやってきたことの延長線上で研究をすることになります。紐付きの予算が増えるということはそういうことです。何より有望であることが多くの人に見えているというのは、すでに研究としてある程度進んでいる研究です。


おそらくこれらの意見は、現場の研究者たちでしょう。実情を正確に述べています。しかしこんな意見もあります。

tak********6時間前


金目の活動家系研究より、医学など実用的な理系への研究費に多く使ってほしい。金目だから粗悪な論文しかできないのは目に見えている。

これまで、ある国会議員が科研費の問題を提起すると、前者の活動家連中が叩きに来たことあったよね。。

血税を食い物にされ日本国民が疲弊していくのは阻止しないと。

学術会議あたりを標的にしてるらしいけど、何言ってるのか意味不明(金目の活動家って何?)。あとこれは最悪かな。

adb********5時間前


何の役にも立たないニュートリノの研究に莫大な金を使うのは本当に無駄。それでノーベル賞とってもその後に何も残らない。予算は有限なので医学、工学、化学の分野に投資すべきですね。

これ、書いたひと医学部か医者のようなバックグラウンドらしいですが、恥ずかしいなあ。こうなんですよ。

n_y********5時間前


それは臨床医学論文の割合が多いからだよ。

昔は医者は、医学博士という肩書を求めた。

この場合、それなりに学術的な興味を持って研究を行い論文を書いた。

だが近年、指向が医学博士から専門医に変わり、ただ専門医受験資格に必要なポイントの稼ぎのために書かれる論文が極めて多くなった。

特に興味もなくポイント稼ぎのためだけに書いているから質はお察しな感じなのが非常に多い。

その結果が数は多いが質の高い論文が少なくなった理由だと思う。

あと、引用回数が多いと質が高い論文なのか?という点については重要なコメントをしている方がいました(後半でいう「実績に基づく配分」はちょっと意味を取りかねますが)。


*******6時間前


引用数は単なる指標であって、研究の質とは本来関係がありません。例えば世界中から一斉に批判されるひどい研究でも引用されますし、仲間内の論文でお互いを引用しても引用件数は加算されます。雑誌も一部に偏っているので、気をつけた方がいい指標です。


文部科学省の「選択と集中」の施作の誤りであることはその通りですけどね(たぶん誰に聞いてもそうです)。他国では黙っていても配られるような雀の涙の研究費や大学への予算を奪い合わせるために、研究者に論文何本もの労力を割かせて、落ちたら1円にもならないような構造です。こうした研究者の時間を無駄に使うのを止めて、同じ競争なら実績に基づく配分にでもすればよほど良いのにと思います。


正直申して、数年間の研究で結果とおぼしきものを出す論文ばかりでは、大きな進展は図れません。こういう状況で、例えば理学部に進んで将来も基礎研究に進むというのは、相当な勇気と覚悟が必要です。大学受験で医学部志向が相変わらず高いのは、こうした研究界の苦境が色濃く反映されている結果とも言えるでしょう。とても残念だと考えますが。