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学術論文の査読 〜日本人研究者は全員苦しんだ経験あり

最近QuoraというQ & Aのサイトから定期的に興味ありそうな話題が、メールされます。これどうやって解析して、自分の興味ありそうな話題が自分のメールアドレスに届くようになったのか、全然わかりません。友人でもQuoraの案内が多くなっているので、どこかでそれぞれの個人が検索している対象が調べられているのでしょう。そしてメールする内容はAIのようなもので解析された結果でないかと推測しますが、ちょっと不気味に感じます。しかしどう対処すればいいのか今のところよく判らないし、興味ある話題が提供されるのは一応便利なので、適宜アクセスして読んでいます。


 さて今回送られて来た話題のひとつは「学術論文の査読結果で一番ショックだった返答はなんですか?」でした。これは興味を持つ研究者が多いでしょう。理系研究者が投稿して意味あると思うジャーナルは、欧米を中心とした英語学術誌です。その中でもインパクトファクターがつくジャーナルで点数が高いものほど重視される傾向は、ここ60年以上変わってないです。第二次世界大戦前ですと、フランス語やドイツ語ジャーナルでも世界的に権威ある学術誌がありましたが、今は英語ジャーナル一択です。自然科学は普遍性があるので、世界何処でも読まれ、かつその内容が検証されることが望ましいからです。しかし、日本からそういう学術誌に投稿した経験がある人なら、投稿した論文の査読(レビュー)で嫌な思いを経験しなかった人はまずいないでしょう。少し回答を拾ってみます。


こんにちは。エナゴアカデミーです。

私が今までもらった中で最もショックだった査読コメントは「リサーチクエスチョンは新規性があるし、原稿も申し分ないが、このジャーナルに掲載するには不十分である」というものでした。こうした方がいいというアドバイスもなければ、改善点も示されていなかったのです。もう1人の査読者はリバイズを提案してきましたが、結局、この論文はエディターの判断でリジェクトされました。


でも私はあきらめませんでした。2人目の査読者のコメントに従って原稿を修正し、1人目の査読者に対する自分の考えを礼儀正しく記した反論の手紙を添えて、エディターに送りました。手紙には、この研究がなぜ重要なのか、その分野の進展にいかに貢献したかも付け加えました。また、修正した原稿に自信がなかったので、英文校正サービスも利用しました。

最終的にエディターは私の要求を受け入れ、改めて査読者を選びなおしてくれました。おかげでマイナーな修正を経て論文はアクセプトされました。

あるあるです。本当に木で鼻をくくったような門前払いで、特にインパクトファクターが高いジャーナルほどこの傾向が強いです。あとEnglish nativeでなさそうとわかると、「English is poor. 」を判で押したかのように返してくる。私も初期の投稿論文はよくなかったと思いますけど、英文校正サービスを受けるようになってからもしばしばありました。

一言ではすまない恨みがあります。今からすでに35年も前の話です。

ヨーロッパに移動後、実験流体力学の新しい計測法(超音波を使った時空間流動場の捕捉)を開発して最初の論文を投稿しました。自分では十分に自信があってこれからのImpactを考えると重要な結果だと思ったので、かなり難しいJournalに送りました。一つ目は物理系でしたがRejectされました。ChiefEditorから丁寧な手紙が来て物理が少ないと言われ、仕方ないな、と。

二つめに実験系のJournalに出しましたが、そこもRejectされました。その際についてきたReviewerのうちの一人から、「こんなことは出来る訳はない。どこかにFlawがあるはずだ。」「どこかでCheatingしているはずだ」というコメントがありました。これに対してCheifEditorはコメントしていませんでしたが、二人がRejectなので、ダメと却下されました。(このコメントは今でも忘れることができません。)(数年後に学会で、この人だな、と見つけることができました。もちろんお互い、顔には出しませんでしたが。)

三回目の挑戦では、仕方なく少しレベルの低いJournalに出しました。そこでは判定が1:1:1で別れたのですが、ChiefEditorが何とか通してくれて掲載になりました。

一つ論文が出ると、次からはそれをReferするので、それがCreditになって(実際そう言われたことがある)、次からは比較的楽に通るようになりました。


この話は学生には良くしました。Rejectされたら戦わなければいけないと。

これもあるあるです。とにかく非常に意地悪な見方をするreviewerがしばしばいます。crtical readingとはまったく違い、鵜の目鷹の目であら探しをする感じです。従ってちっとも建設的なコメントでなく、イライラすることもしばしばです。

指導教員が他の大学から依頼され、指導教員と私とそれぞれ一稿ずつ提出しました。依頼があった直後に、分野が違うから提出しても・・・と指導教員に反抗したのですが、断行されて提出しました。結果は、Reject。Rejectの理由が「Out of Area」だったことでしょうか。

即、指導教員にRejectになったことと理由を伝えたところ、指導教員も同じ理由でRejectされていました。相手側はこちらの分野を知っている訳ですから、依頼する前から分かっていたと思いたいのですけどねぇ。


採択率のためなんでしょうけど。。


確かに採択率が低いジャーナルほど、「精選した論文ばかりを掲載」という印象を与えます。しかし、そのために当て馬行為までするジャーナルなんてあるのかいな?大学教授選でもあるまいし。


 しかし、そういう嫌な思いをするのは、日本人研究者ばかりでないと知りました。

これは自分の経験ではないですが、国際研究会でご一緒させていただいた、その分野では世界的に著名なケンブリッジ大学の先生が嘆いてというか、呆れていたことです。研究会の後の夕食会で、いかに最近の「査読」とやらが酷いかという話になった時に、その先生は「私も最近、怒るというよりも、呆れてものも言えないような体験をしました。ある国際的な専門誌に自分の論文を投稿したのですが、『この分野における基礎的な知識と理解に欠けている。このテーマで論文を作成するならば、最低でもA教授の○○と××ぐらいは目を通してから執筆すべきであり、論文を書く前に、まずそれらを読むことを強く勧める』というコメントで、リジェクトされたんですよねぇ・・・もう、何を言って良いのか・・・」とこぼしていました。そう、その方はA教授ご本人です。「私が書いた論文を、私が『読んでいないに違いない』と言われても・・・困りますねぇ。おそらくこの査読者はそう言いながら、本人は私の論文を読んでいないのでしょうね。読んでいれば、こんな的外れのコメントはしないはずです。私の新しい論文は、当然ですがこれまでの私の研究成果を踏まえたうえでの発展なのですから」とため息をついておられました。私は「こんなコントみたいなことが実際にあるんだ」と、ちょっとおかしくなってしまいました。


これはさすがに苦笑しました。論文を書いた当人に向かって、「お前自分の論文読まないで投稿したろ?」と喧嘩でも吹っかけているのかな??


 しかし論文のreviewerも楽でない

査読とは色々な意味で一種の奉仕のようなものです。私が現役のころは、内外合わせれば、数百件に上る論文の査読をしました。


査読者、レフリーの仕事は、人の書いた論文の原稿に間違いや矛盾点はないかを調べて指摘して、アクセプトできるような論文にするのにはどうしたらよいかを考えてあげることです。


もちろん、そこにある原稿が、そのジャーナルの論文としてふさわしいかどうかだけを判断し、採否を決め、ダメな場合はその理由を述べるだけで最低限の義務は果たせるわけで、それで文句はないはずですが、やはりそこにある原稿は、それを書いた著者の血と涙と汗とが染みついたものであるとすると、そんなに簡単にダメ出しはできず、ダメなものは何処がどうだめで、どうしたら、アクセプトされるようになるかを書いてあげたくなるのが人情です。したがって、私の場合、殆どリジェクトすることはないようにしました。条件付き採用とういものですが、その条件を書くのが大変でした。しかし、それに対し、全く無視をする著者がたまにいました。そう言う場合は、救いようがありませんので、リジェクトとなりました。尤も、レフリーは複数人いるので、他の多数のレフリーがアクセプトなら多数決で採用されます。


レフリーをやっていて疲れるのは、その存在はあくまで、マスクマンであって、名前や顔が出ることがないことです。レフリーやいくらやっても業績にはなりません。したがって、奉仕活動になります。そして、レフリーを精力的にやればやるほど、レフリーを決める編集委員会(学会員の中から選ばれた人が当番で担当します)の中での「あの人に頼めばレフリー作業を期限内にやってくれる」と言う評判となり、レフリーの仕事は数多く回ってくるようになるものです。どうせマスクマンだからと考えて、締め切りを守らないレフリーもいるような気がします。学会によっては、多少(数千円程度)の査読量を出してくれることもありますが、中小の学会ではまず無料奉仕です。

私も今でもお世話になったジャーナルを中心に、ある程度の頻度でreviewを引き受けています。報酬がわずかでもあるジャーナルはほぼ絶無となり、完全な奉仕作業です。でも読むことによって自分の頭も整理されるし、そうかこんな見方もあるのかと興奮することもあります。ですからreviewは大変でもなるべく引き受けるようにしています


最近、英語ジャーナルはオンラインジャーナルの普及もあって随分増えたし、20年程前から紙ベース投稿は完全に廃れ、オンラインで手軽に投稿できるようになりました。従って査読される論文数も幾何級数的に増加していると思いますが、reviewできる研究者の数はそれほど増えていません。勢い同じような研究者に大量の論文reviewがいき、疲れてきているのかもしれませんね。


 しかし、今後AIが進歩してくると、少なくとも投稿論文の1st screeningはAIがおこなうようになるのでないか?と思います。そうなってくると、投稿する研究者もAIを駆使して「如何に採択されやすい論文執筆の労を削減するか」いそしむようになる予感がします。今後10年ほどで急速に変わると思いますが、そうなってくると論文投稿とそのreviewはAI対AIの対決になる???