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「京大合格高校盛衰史」 〜東大とはかなり違う

「旧制高校物語」―難関大受験事情はここ100年以上ほぼ変わらず
鉄緑会に陰りが見え始めた理由 〜ほんとに陰ってきたの?
「京都大とノーベル賞」 〜脈々と続く京大医化学教室の伝統


「京大合格高校盛衰史」は昨夏発刊された「東大合格高校盛衰史」の続篇といってもよく、著者も同じ小林哲夫氏です。しかし、本の構成が「東大合格高校盛衰史」とかなり違う気がします。


 話は旧制の京都大学が新制の京都大学に変わった1949年から始まります。入学者は旧制高校卒業者が1119人に対して新制高校が383人と、圧倒的に旧制卒が多いです。女子が53人と少ないのは、受験資格を得られた女子は主に新制高校卒だったからでしょう。


 翻って、今の京都大はどうでしょうか。SAPIX-YOZEMIがまとめた表だと合格者に占める女子率は全般に理系で低く、理学部・工学部の低さは群を抜いています。そこから引用させてもらいました。



何故なのか?東大を同じくSAPIX-YOZEMIでみると、理科一類が一番低く京大理学部と互角です。総じて言えば、数物系を専攻とする方向は女子が少ないです。女子率の高低は、偏差値難易度や科目配点の問題だけではなさそうです。



 話は本書に戻ります。戦後の出生数増加で増加の一途をたどった大学受験生の数は、1960年代後半にピークを迎えます。1967年に京大入試は文系は理科1科目、理系は社会1科目となりました。東大が1979年の共通一次試験開始まで文理とも理科2科目社会2科目を堅持したのと(東大では一次試験)、対照的です。一大転機を迎えたのが1969年で、言うまでもなく大学紛争による東大入試中止の年でした。東大を狙っていた関東の受験生が京大に殺到したと聞いていた憶えがありますが、本書で合格者状況をみるとそこまでではなかった印象です。この年の京大合格者数上位6位までが関西圏の高校で、関東勢としては7位に日比谷(42人)、10位に東京教育大附属(今の筑附)(34人)くらいです。東大入試が復活した1970年はもう元の関西勢優位に戻りました。関東勢の京大入学者で翌年度東大を再受験した者は、かなり多かったのでないかと思いましたが、大学に届け出が必要だった再受験組は60人と意外と少なかったです。1969年の東大志望者は、同じ関東の東工大や一橋大、医科歯科に流れた受験生も多かったはずです(東京教育大は東大と同じく中止)。もし再受験を考えるなら自宅から通えるこれらの大学に在籍した方が有利だったでしょう。京大まで流れてきた受験生には、ある程度「東大でなく京大でもいい」と考える人が多かったのでないかと思われます。


 1970年代に入ると、京都や大阪の公立高校の合格者が低迷していきます。これは学区細分化や学校群制度のせいでしょう。政治で革新派の勢力が増すとともに、公教育でなるべく差別を減らしたいという意識が全国的に強まった時代です。結果として学力のある受験生で希望する公立高に進めない者は、私立や国立校への進学に流れました。そういう公立低迷の中でも、唯一大阪の北野高校だけが上位を継続しています。1980年代後半は京大にとって衝撃的な事態が起きます。それは1987年、1989年に実施された国公立大入試のAB日程です。この2年だけ東大・京大の両方を受験し、合否が決まった後でどちらかを選べたのです。結果としてどうなったか?東大の圧勝でした。東大と京大のダブル合格者のかなりが東大を選びました。特に打撃を受けたのが、京大理学部です。理学部合格者数が465人で、235人が辞退。つまり合格者の半分以上が辞退したわけですが、東大合格者が318人いたことを考えると、辞退者のかなりが東大に進学したと推察できます。我々の受験時代、「東大と京大の理系入試難易度は互角かやや東大が上」くらいでしたが、ここでついた差は2023年現在まで続いていると感じます。


 ただ言えるのは「入試は通過点に過ぎないこと。真の実力勝負は入学後も卒業後もずっと続く」です。東大・京大ダブル合格者で東大を選んだ受験生は、特に西日本では「親の意向」が大きかったと思える記載がされています。下宿させてまでも東大がいいのか。拙宅でしたら京大を勧めたでしょうけど、関西人でも「お上」に弱いひとが多いのかな?しかし親の意向で志望がぐらぐらするようでは、如何に高校生といえども少し情けない。今50代半ばの彼らの人生がどうなっているのか興味があります。


 本書ではノーベル賞の自然科学系3賞や数学のフィールズ賞の受賞者が、京大卒など京大関係者に多いことが触れられています。京大の場合入学時点で学部(農・工では学科も)が決まってしまうので、進振りに追いまくられて半強制的に勉強に励む東大の理一・理二と大分環境が違います。実際まったく勉強しない京大生も少なくないようですが、ピンの方はそういうこととは関係なさそうです。


 1990年代に入り公立高低迷の間に進出してきたのが私立校をもみると、洛星、灘、東大寺学園や甲陽学院といった老舗だけでなく、大阪桐蔭、西大和学園、洛南といった新興が伸びました。


 1990年代の最大の事件は1995年の「阪神淡路大震災」です。この年センター入試は1月14日15日の土日実施で、例年より早かったです。そして1月17日(火)の早朝にこの震災が起こりました。約6千人が亡くなった大震災ですが、もしこれが1日か2日早く起こったらこの年の大学入試に重大な支障が出たでしょう。歴史にIFはないと言いますが、それでも運命の偶然性を考えさせられます。この年、京大始め東大、阪大、神戸大など主な国立大学は被災地の受験生のために、3月中旬の特別二次試験をおこないました。


 2000年代に入ると、京都や大阪の公立校の入試形式が変わり、学区の広域化や進学に特化した学科の設置をおこないました。その結果、再び優秀な生徒を集めるようになります。公立高で唯一京大合格者数上位を維持した北野高校だけでなく、関西の公立高の京大合格者数が増えていきます。中でも有名な京都市立の堀川高校です。京都市立なのに京都府全域から受験できるようになったことも、大きいでしょう。なお本書ではほとんど触れられていませんが、京大入試における公立高の復活には、他にも
1 京大が他の旧帝大と同じく、後期入試をほぼ廃止した
→後期入試で多かった関西以外からの受験生が減った
2 私立の進学校で特に関西を中心として医学部進学が増えた
→医学部に入るなら他の大学でもよいと考える学力上位層が関西で増加した
の2点も、相当関係している気がします。つまり、京大合格者での公立校出身者の増加は京大のローカル化が進んだ影響もあるのでないかということです。


 また京大に限りませんが、最近の大学進学は現役進学が顕著です。2023年には京大でも合格者の7割以上が現役ということに驚きました。現役合格が多いのは全般としては近年の少子化の影響が相当大きいと思いますが、東大・京大に関しては現役生の予備校「鉄緑会」の伸長も大きいと思われます。予備校といえば、「近畿予備校」についても記載されています。かつて京大受験といえば、「キンヨビ」だったそうですが、駿台予備校・河合塾の関西進出でシェアを減らしたと聞きます、


 本書では、旧制三高の入学者についても触れている点が興味深いです。基本的に京都や大阪を中心として関西公立の旧制中学からの進学者が圧倒的に多いです。特に京都一中など京都の中学からの入学者が多かった点が、戦後の新制京都大学とかなり異なります。しかし、関西には旧制の大阪高校、浪速高校、姫路高校などもあり、また私立の甲南高校もありました。大阪や神戸からわざわざ三高まで通うのも当時の鉄道事情では大変だったはずで、帝大進学を考えるなら三高に拘らなかった中学生(旧制)も多かったのでないでしょうか。


 現役受験生には関係ない本書ですが、なかなか興味深い歴史書として楽しめました。


 「京大合格高校盛衰史」 小林哲夫著 光文社新書  2023.12.30