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昔の京大医学部受験生のブログ(3)

昔の京大医学部受験生のブログ(1)
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昔の京大医学部受験生のブログ(4)〜私の感想


いわゆる「冠模試」という特定大学に特化した模擬試験は、我々の大学受験時代に初めて出現しました。もっとも早かったのが河合塾の「東大オープン」で、今から50年近く前です。私は何も知らなかったので友だちから「東大オープンの試験がある」と聞いて、「えっ、東大が事前に模試してくれんの?」と思いました(→何もわかってないおバカ)。その後ほどなくして駿台の「東大実践」が始まり、京大の実践やオープンも始まりました。考えてみると、それまでの一般模試で例えば駿台の全国模試なんて、東大の試験スタイルそのままでした。ですから駿台の全国模試を受ける受験生も東大を狙うひとたちが中心で、学力レベルが今と比較にならない位高かったです。理1、理2でも全国模試の合格ラインの偏差値は、63前後でした。理3だけ70近かったか70ちょっとと記憶します。


 それはさておき、「(有)伯商会」さんは冠模試であれだけの成績を叩き出しながら、京大医学部は不合格となり、後期入試で京大薬学部となりました。この時代、東大・京大でも後期で医学部以外の学部に合格した者は、翌年また医学部を再受験する者がかなりいたと思います。私が聞いた話でも、知り合いの息子さんが京大工学部に入学したが、2年生で中退し医科歯科大医学部に再入学したなんてのがありました。「東京からわざわざ京大に進学したのに、中退して医科歯科とは?」と思いました。しかし、今となると本当は京大医学部を希望していたが、難しすぎるのでいったん工学部に進んで仮面浪人を考えたのでないかと想像します。しかし京医にどうしても受からず、断念して医科歯科大に進路変更したのでしょう。歯科医の息子さんだったし。工学部の場合、3年生(3回生)から「桂キャンパス」に移行します。3年になったら再受験なんてもう考えられなくなるので、2年のラストチャンスでぎりぎりの判断だったと思います。実は医科歯科医学部と京医を天秤にかける受験生は、関東出身者では意外と多いです。


 こういうこともあって(理系限定ですが)、後期入試を旧帝大系のほとんどの学部が撤退したのでないかと思います。では今前期試験しかない東大や京大で医学部以外の学部生に医学部再受験組はいないのか?となると、一定数います。京大だと理・工・農・薬万遍なくいますが、特に多いのは薬学部でないでしょうか。一般に国公立大の薬学部、そして歯学部は医学部を断念してくる学生がかなりの数いると聞きます。しかし、京大ですとその雰囲気は偏差値上は近い阪大とはまったく異なります。折角のその自由な雰囲気や京都という環境を謳歌しないでいるのは勿体ないし、京大を諦めた受験生たちには申し訳ない気もします。


さて、京大薬学部に入学しておよそ2ヶ月後、私の中で、再び医学部再受験する、という気持ちは薄らぎかけていました。京都大学と医学部、二つの目標のうちの一つは達成したわけですし、私自身、正直に言ってもう疲れたということもありました。一つの目標を達成した事で目的意識が薄らいでしまう、そんな状態だったのだと思います。たった1ヶ月かそこらの間に経験したことのない失意と高揚の両極端を経験し、逆に無気力になっていたのでしょう。それに加えて、初めての一人暮らしという生活の変化、実家では考えられなかった自由を得て、しばらくはこの環境を楽しみたい、そんな思いもありました。あれだけ頑張ったんだから少しは遊んでもいいじゃないか、と、京大生として、「普通」の生活がスタートしたのでした。


入ってみれば京都大学はまさに私が夢見ていた大学そのものでした。まさに人種のるつぼ、今までであったこともない強烈な人たちとの出会い、ほとんどの授業に出席義務のない自由の学風、大学自体のブランド名、そして自転車で行ける距離にある修学旅行でしか訪れた事のない京都の名所旧跡、大学周辺に広がる学生街、そしていつでも大阪に遊びに行けるこの距離。静岡での勉強漬けの生活からこの最高に楽しい世界に放り出されて、私は最初は再受験の事を忘れて、授業にサークルにと楽しい大学生活を送っていました。


しかし、やはり私は頑固者だったようです。京都大学に入学し、薬学部の目の前に自分があれほど入学したいと思った医学部があって、医学部生も普通に見かけるようになると、普通にコンプレックスを感じたのです。コンプレックスと言っても単なる学歴から来る劣等感ではなく、やはり自分の中で「俺は医者になりたいんだ」という思いが、蓋をしていたけれども押さえきれずにまた持ち上がってきた、という感じでしょうか。薬学部に入学したから医学部のことは忘れよう、忘れようと思っても、医師物のドラマなんかもなかなか見る気にならない、など、明らかに不自然な医療、医者に対する重度のコンプレックス。それを自分の中に押し込めてそのまま平気でいられたらいいんですが、やっぱりコンプレックス抱えたままずっと生活するのは俺にとっては耐えられないほど辛いものでした。またしても再受験をすること、このままコンプレックスを抱えて生きること、どちらを選ぶかですが、チャレンジできるのは今しかありません。とりあえずもう一度受験してみよう、受かっても落ちてもこれで最後、だめだったらおとなしく薬学の発展に尽くそう、と2度目の再受験を決めたのが夏になった頃です。ちょうど俺がもともと医学部希望だったのは薬学部の友人が知っていたので(京大型模試のランキングで名前を知られていたためでしょうか)、今年は、周りの友達にも「俺来年もう一回ここの医学部受けてみるわ」と普通に話す事ができましたし、再受験を公言しても受け入れてくれる友達の応援も私には大きな力となりました。今回は京大に在籍し、例え医学部落ちても京大生だという安心感から、以前のように医学部一直線、というような悲壮感はなく、現役から数えれば4年目、そして再受験仮面浪人としては2回目の受験生活が始まったのでした。


そして受験を決めて数週間、私のなかにはつい数ヶ月前までの目標に向けてのイメージというものが徐々に戻ってきました。4年目に入ったと言う事でもはや「習慣」になってしまったのかも知れません。しかし今回は現役、一浪、そして県立大時代とは決定的に違うものがありました。それは、いわば「楽天的さ」です。今年入らなければまた京都に行けない、というプレッシャーが今回の挑戦では消えたのが自分にとっては大きなプラスでした。このプレッシャーが消えた事によって、無用な不安感からは開放され、受験自体もある程度突き放して眺める事が出来るようになりました。習慣の力か、受験勉強はまたたんたんと進んでいましたが、かつてのような焦燥感、不安感は不思議と感じないまま、鴨川沿いの桜は緑勢を増し、梅雨が明けて一斉に蝉が鳴き出し、初めての京都の夏を迎えました。


夏、ツテでやっていた家庭教師をやりながら受験した京大OPはB判定、まあ、数ヶ月受験勉強から離れていたにしてはそこそこの成績です。私にとって幸いだったのは、それまでの勉強で、十分な学力は残っていたということでしょう。油断とは違う、ある種の楽天的さを抱えて、九月からはあるホテルでアルバイトを始めました。ホテルでのアルバイトでは連日現場現場の重労働、週3日、一日7時間ほど働いていましたが、ここでもいろいろ考えさせられる事はありました。学歴など全く関係ない、「現場」で実際に働いてみると自分がいかに狭い世界からものを見てきたのかという事が痛感されました。「高学歴」と言われる人たちほど、自分の世界でしか物事を見れなくなりがちです。閉じこもっての勉強だけではなく、ホテルといい県立大といい、様々なフィールドで実際に時間を過ごした事は私にとって大きな財産となりました。夏も終わり、11月の京大OP、実戦はともにB判定、どちらも数学は大したことなかったのに、平均的に標準以上、数学でこけても理科や英語、国語が充分上がっていることを実感し、まずは安心しました。

そして年末年始はホテルでアルバイト漬け、年が変わって急いで帰省し、センターの勉強を始めたのがなんとセンターの3日前、ちょっと楽天的過ぎたかなという気もしましたが、センターの勉強はしなければならぬ、ほとんど売り切れていたセンター対応問題集でしたがかなり遠い書店でようやく発見し、必死で過去の知識と勘を取り戻す事に必死でした。


そんな感じで3日で必死に勘を取り戻して、自分の大学のしかも授業を受けている教室で受験したセンター試験は800点中731点でボーダークリア。これは運がよかったとしか言いようがありません。今年は俺に運がきている、そう感じながら大学の一般教養の試験も終わり、過去の復習を中心に二次試験の勉強もコツコツと進めていました。去年に比べてこの危機感のなさは何なのだと自分でもビックリしましたが、逆に不安やプレッシャーに押しつぶされそうな去年よりははるかに健康的な時を過ごす事ができました。。それがなんとも言えない余裕につながっていたのは自分にとってプラスだったと思います。試験が待ち遠しい、そんな風に感じたのは今回が初めてでした。


落ちても京大生の今年は前後期ともに京大医学部に出願、2月中旬になり、迫った前期試験に向け、ラストスパートが始まりました。とは言いつつ、受験勉強一本ではなく、相変わらず日数は減らしてもアルバイトにはちゃんと入り、サークル活動も並行して行なっていました。

そしてついに訪れた前期試験の日、俺にとっては4度目の京大医学部チャレンジです。またしても受験生の集団を横目に見つつ、少なくとも俺は京大生なのだ、というある種の余裕を持って去年と同じ、医学部基礎第一講堂に入室、試験が始まりました。今回も国語は及第、そして勝負の数学ですが…終ってみればかなり微妙な出来でした。去年よりは解けましたが、それでも医学部合格を考えるとかなり微妙です。翌日の理科、英語は可もなく不可もなくでしたが、全体的に自分の得点を概算してみても、ボーダーか、それか足りないかくらいのできばえ。ただ今回は後期にもチャンスがあるという点で、前期で受かったら嬉しいけど、まずは結果待ちだな、という感じでした。そして2週間後、合格発表の日、一人暮らしのアパートにレタックスが届きました。受かっている事を祈りながらレタックスを開封し、中を確認しましたが私の番号はなく不合格でした。しかしなぜか不思議と去年のようなショックはありませんでした。もちろん一番大きな要因は、まだ後期にラストチャンスが残っている、という事だったでしょう。普通に考えて、倍率4倍ほどの前期よりも倍率10倍を越える後期のほうがはるかに難しいはずなのに、前期の不合格でさすがに楽天さも消えた私は、不安感を感じる事もないほど集中して勉強し、ラストの後期試験を迎える事になりました。