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「世界史の考え方」シリーズ歴史総合を学ぶ① 近年稀にみる悪書!

「地理と地形でよみとく世界史の疑問55」 〜図が良い


高校の学習指導要領が令和4年度から改訂になりました。国語や社会などの主要科目で重要な変更があり、また「情報」が必修科目として加わりました。そういった中で僕が興味あったのは「歴史総合」の登場です。ご存じでない方に簡単に説明しますと、従来18世紀以降の近代史を扱っていた「世界史A」と「日本史A」を融合させ、さらに発展させた科目です。「近代化」「国際秩序の変容と大衆化」「グローバル化」の3つの項目を視座に置き、我々が今後世界の中でどう生きていくべきか考えさせる科目だそうです。必修科目ですから、普通科の生徒は全員学習しますし、大学入試「共通テスト」でも重要科目です。


僕の大学受験は理科系で、社会科は大学入試「共通一次」の2科目でした。2科目で地理Bは勉強しなくても9割以上楽に取れましたが(ま、共通一次ですから)、世界史は一生懸命勉強しても毎回7割強くらいしか取れませんでした(「毎回」と書くと何年も浪人してたことがバレますね)。本当はもっと軽量級の倫社政経とかとればもっと得点できたのかもしれませんが、世界史が好きだったのです。私の高校は受験進学校でなかったので、それぞれの教員が好き勝手に教えていました。世界史は古代史のオリエント・ギリシャ・ローマで終わり。仕方ないので、あとは駿台予備校でいちから勉強し直しました。今となると、高校・予備校どちらの教え方もよく、またそれぞれに重要な事を学べたと自覚します。高校で歴史のロマンを知り、予備校では絨毯爆撃で通史をくまなく知ったという感じ?ですから子供の大学受験でも、センター入試や共通テストの世界史は勉強指導することができました。しかし、教える過程で気づいたのは、問題傾向が40年前と随分違うことです。地政学的側面も重視した出題が多くなり、単なる暗記物でなくなっていることを実感しました。


 そのようなわけで、今回の高校歴史教育の改訂には大変に興味を持っていました。その改訂の立役者たちが出版した本ですから、さぞかし新しい理念に燃えて熱く語っているのでないかと、大いに期待して読み始めました。結論、肩透かし。ものすごくがっかりした。こんな教師たちが今回の学修指導要領の改訂の旗を振っていたのか!あまり非難すると著者のひとりは現役の高校校長先生ですから、もしこの文をそこの生徒達が読んだらショックを受けて動揺するかもしれません。しかし、それでも書かずには済ませられないくらいの憤りを僕は感じています。


 まず言いたいこと。「ひとりよがりもいい加減にしてくれ!」です。成田さん、小川さんは何が良くてそんなにはしゃいでいるのかわかりませんが、読者を理解させようという姿勢がまったく見えません。「わかる人だけ理解してもらえれば、それで結構」と言わんばかりに、歴代の歴史研究書の紹介とその思想変遷が延々と述べられています。膨大な数ですが、どういう内容なのかほとんど触れられず、論評ばかりがそれぞれの章でのゲストと座談会スタイルで述べられています。第二次大戦後に、日本で「歴史学」という学問がどう展開してきたのかは「ある程度」わかりました。しかし、それと今の高校生が学ぶ歴史教育がどう関係するのか、さっぱり理解できません。高校で学ぶ社会や理科は大学受験では試されるものの、多くの学生はその後それらの研究者にはなりません。一般社会人として高校で学んだ勉強の知識を、その後の生活にどう役立てられるだろうかという視点が高等学校の教員にはとても大切だと思います。中学生までに学んだ初等教育、そして大学・社会人と成人になるまでの途中過程で、どういう橋渡しを高校教育はおこなうのか。この本にはそういう視点が完全に欠落しています。
 おおよそ「高校で世界史を教える教員」を対象にしたとおぼしき編成にはなっています。各章の終わりには、
「歴史総合」の授業で考えたい「歴史への問い」
「歴史総合」の役立つブックリスト
が掲示されています。しかし、その前に書かれている内容とあまりにかけ離れていて、「歴史」と「歴史学」のギャップに驚きます。高校の先生は歴史学研究者なのでしょうか?違うと思います。


 あと、著者独特な用語の使い方があって、読みづらいです。「接合」、「接続」とかがやたらに出てくる。「接合」というと、生物学でいう受精に始まる細胞同士の融合を思い出してしまいます。またやたら難解な表現が好きです。「桎梏」くらいは教養の一環でしょうが、「衒学」とか「アポリア」、「トリクルダウン」とかいちいち調べないと、意味がわからない。こういう書き方は自分専用の日記でもない限り、避けるべきと私は考えます。


 長野県立蘇南高校での授業かと思いますが、小川さんは「ロベスピエールの「殺人」はやむを得ないものだったか」という問いを生徒とともに考えたそうです。ロベスピエールは政治家としてきわめて優秀だったものの、その一直線で融通が利かない発想が同志の大量処刑を生んだと思います。僕だったら、この問いは日本の「連合赤軍事件」とか「オウム真理教テロ」と結びつけて議論しますね。もともと優秀は優秀だったのでしょうが、他者の気持ちを想像できない独善的で幼稚な人物が野放しになると、如何に危険なことになるか、いつの時代にも共通した課題だと思います。ところが、小川さんは明治維新のプロセスを革命と捉えて、日本では合議制が発達していたために、テロルの暴走があまり起きなかったというようなことを論じています。ほほぉ、それでは後世起こった「連合赤軍事件」とか「オウム真理教テロ」とかは、何だったのでしょうか?


 高校教科は一般の国民が共通で受ける最後の教育機会で、そこでの教育の成果は日本人としてのコンセンサスを育てる上で、きわめて重要です。ですから、慎重の上にも慎重を期して設計するのが、国家百年の大計として重要なことでないでしょうか?高校学習指導要領で理科教育が大々的な改訂をおこなってから、10年近く経とうとしています。私と関係が深い生物学でいうと、「生物基礎」という共通科目ができました。内容が前身の「生物I」と比べてかなり薄くなってしまったのですが、その中で免疫学が残り発生学は除外されました。「一般人としての最低限の知識に免疫が必要であっても、発生は要らないのか?」と大学での生命科学関係の教員たちから、嘆きの声が多数出ました。しかし、医療という面からみると、現在急速に発展する免疫療法を国民共通に理解させるという意味で、仕方ないのかもしれません。iPSに代表される再生医療は、その次かという印象です。しかし、本当はどちらもわかってほしい。そういう究極の選択を検討しながら、理科基礎の構成がなされたのだろうと想像します。翻って、今回の社会科の改訂はいかがなものか?そこまでとことん突き詰めて取捨選択をしたというより、単に「衒学」の徒たちがお遊びでこねくり回したのでないかと、非常に失望しました。ウクライナ情勢や台湾情勢に代表される第三次世界大戦の危機。そして急速に進む世界経済の変化の中で、日本がどんどん沈没していく窮状。こういう中で、中等教育をどう建て直していくのか、もっと先見の明がある方々に歴史教育の展望を担ってほしかったと思います。


「世界史の考え方」シリーズ歴史総合を学ぶ① 小川幸司編・成田龍一編 岩波書店 2022.3.18