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「置かれた場所で咲きなさい」1 〜渡辺和子氏の生涯

「置かれた場所で咲きなさい」2 〜渡辺氏を真似できないこともある
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(5)〜慶應医学部生理学教室の源流(4)
諦めることで道は拓ける 〜出口治明さん
龍土軒 〜また行きたいフランス料理名店


この本は2012年に刊行され、すぐベストセラーになりました。著者の渡辺和子氏が二・二六事件で凶弾に倒れた渡辺錠太郎・陸軍教育総監の娘だったことは有名です。というより、彼女の心から生涯この二・二六事件が離れることがなかったのは、疑いようがありません。父親が50発近い銃弾を受けて蜂の巣となり、さらに日本刀で切りつけられた上に後頭部にとどめの銃弾を受けて惨殺される光景を間近に見て、普通の精神状態でいられる方がおかしいでしょう。


 渡辺和子氏は2016年12月30日89歳で亡くなりましたが、2012年に出版されたこの本は彼女が晩年自分の人生を振り返って、その思いを語った集大成だと思います。私は天邪鬼なところがあるので、人口に膾炙されるものは遠ざけてしまう傾向があります。この本は今月(2024年2月)、偶然田舎の本屋で埃をかぶった状態で並んでいたのを、購入しました。老眼になっている私には、「大きな字で読みやすい」は眼が疲れず有り難いので。


 渡辺錠太郎が二・二六事件で殺された時、渡辺和子氏は9歳で吉祥寺にある成蹊学園の小学生でした。成蹊学園は良家の子女が通う三菱財閥系の学校として知られており、旧制成蹊高校は中学から一貫の珍しい7年制高校です。都内では同じく7年制の旧制武蔵高校と並んで人気があったと思います(蛇足ながら、成蹊学園出身は私の大学同級生や上司にも何人かいますが、皆さん上品な方ばかりですね)。ただ第二次大戦前、旧制中学は男子のみで、男女共学は小学校まででした。渡辺さんは四谷にある雙葉学園の雙葉高等女学校に進みます。雙葉学園はフランスのサン・モール修道会が設立したカトリック校ですが、その影響か戦後すぐ渡辺氏は洗礼を受けてカトリック教徒になります。この間、母親とはこの改宗を巡って確執があったようです。1948年に同じくカトリックの聖心女子大に入学して卒業。さらに同じくカトリックの上智大学大学院で修士課程を修了した後、1956年、29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会して修道女になります。31歳でアメリカボストンの修道院へ派遣され、1962年ボストンカレッジ大学院で教育学博士号を取得したのち帰国、ただちに岡山のノートルダム清心女子大学教授に就任。1963年に36歳という異例の若さで同大学の学長に就任します。


 この本はこの女子大での経験を軸に、自分の生き方や考え方を率直に語っています。wikiによると、

(学長として着任した渡辺和子氏は)歳が若いだけでなく、同大学における初の日本人学長であり、地元とは縁のない人物の抜擢であったことなどから古参職員の反発にあう

と書かれています。ナミュール・ノートルダム修道女会が設立したこの学校は、明治時代中期に始まっており(1886年)、渡辺さんが着任するまで既に80年近い歴史がありました。この本でも書かれていますが、いかに有能だったとしても縁もゆかりもない地の大学で30代にして学長就任となれば、相当な反発があったことは容易に想像できます。アメリカだと大学人事でそういう大抜擢それも学外からは珍しくないですが、何と言ってもこの時代の日本です。岡山のような地方では好奇の目もあったでしょう。いかに清貧な暮らしをしてきたとはいえ、東京のお嬢様育ちには堪えたと思います。しかし、89歳で生涯を終えるまでこの異郷の地で過ごした渡辺さんは、並々ならぬ精神力をお持ちだったことは間違いありません。アマゾンなどの書評を読むと、渡辺さんを「厳しい性格」とか「きつい性格」とか貶してるのが散見されますが、それで何が悪いの?当たり前じゃん?柔な性格でこんな人生歩めませんよ。大体そういう発言で渡辺さんを貶めるヤカラは、男・女に関わりなく「男尊女卑」の差別観が強いひとだと思います。「すべからく女はか弱く、男から守られるべきもの」という固定観念から脱してないのでしょう。今ですらこんな状況ですから、ましてや60年前ならもっと酷かったでしょう。つくづく同情いたしますが、渡辺さんには私如き者の同情などまったく不要だったと思います。


 第一章の「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」には、こうした学長就任当時の苦労が反映されています。私が注目するのは、ノートルダム清心女子大の入学者に向けた言葉です。「不本意な入学をした人に「置かれた場所で咲きなさい」と言います」と書いてあります。受験で首尾良く本命に受かるひとはいいですが、そうでない受験生の方が圧倒的に多いでしょう。「こんなはずじゃなかった」と思う時にも、「咲く」努力をしてほしいと渡辺さんは言っております。同じようなことは、慶應義塾大学医学部教授だった加藤元一先生が仰っています。人生でチャンスは1回だけじゃない。挽回するチャンスは何度もやってくると、人生を振り返って言っております。


 続けて第二章の「一生懸命も大切だが休息も必要」も、その通りだと思います。今の自分もただただ忙しく感じる毎日で、ゆっくり熟考する時間が取れません。週末も働いていると、心がすり切れてきます。余裕のなさが相手のこころもざわつかせ、事態をますます悪くする。若い時にはどうしようもない時期もあります。しかし、ある程度の年齢になればそういう休息をとることも、一種の義務かもしれません。あとの方の章で出てくる「これまでの恵みに感謝する」で、渡辺さんがボストンの修道院の生活に触れています。年末の3日間は「静修の日」として、その年の反省、その年の恵みに感謝、来たる年への決意に一日ずつ使うそうです。これは是非実践してみたい。自分はもうそういうことができる年齢、というかしなければならない年齢になっていると感じます。「それは休息でない」と言われそうですが、休息のひとつの役目に「内省」があると僕は思います。


 このこころのゆとりを説く渡辺和子氏の言葉は、この本で繰り返し出て来ます。