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空腹にさせれば、狂ったように血を吸う…! 〜ペストの恐ろしさ

「病原体の世界」 〜感染症を学ぶ医学生は是非読んで


ペスト」という病名を知っているひとは多いと思います。特に14世紀から15世紀にかけてヨーロッパで大流行し、「黒死病」と呼ばれました。地域によっては人口の1/3くらいが命を落としたと言われます。後世まで恐れられたペストですが、文化にも影響しました。死と生がごく身近となり、生者と死者が一緒に踊る「死の舞踏」は絵画だけでなく音楽にも影響しましたね。またボッカッチョの有名な物語「デカメロン」は14世紀ルネッサンスのイタリアでペスト大流行となり、田舎に逃避した市民たちが10日間語ったものという体裁を取ったと、駿台予備校時代、世界史の大岡先生の模試解説で知りました。ペストはラテン語起源だそうで、「壊滅」の意味で文字通りです。英語ではPlagueで、これは中世オランダ語の「疫病」から来ているそうです。


 講義ですとグラム陰性桿菌の項目で取り上げますが、消化管感染が主体の大腸菌とかサルモネラ菌とは異なり、ペスト菌は体液など外表からの感染が主体で、その最も多いのがノミによる吸血です。これに関してネット上できわめて興味深い記事が出ていたので、ご紹介したいと思います。「現代ビジネス」の記事で、滋賀医科大学の旦部幸博教授と北川善紀講師が書いています。


 まずペスト菌が属すYersinia属ですが、元々はやはり消化管感染が主体だそうです。その中でペスト菌Yersinia pestisは節足動物の消化管感染(つまりノミとか)と哺乳類に対してのみ働く毒素遺伝子とか変わった形質を持って進化したそうです。しかも北欧起源とのこと。この辺は細菌も遺伝子がゲノムレベルで解析できるようになった成果かなと感じます。その後何処をどう流れたのか知りませんが、ペスト菌はヒマラヤ山脈北部に棲息するネズミの仲間マーモットを自然宿主とするようになりました。そしてマーモットを吸血するノミとの間を行き来するようになったのです。マーモットの棲息域はステップみたいな乾燥した草原だけですから、そのままだったら例えヒト感染しても局所的な流行に留まったでしょう。おそらくヒマラヤ北部の中央アジア・シルクロードの交易を経て徐々に拡がっていたペスト菌が、「クマネズミ」に出会って宿主を乗り換えたことが一大転機となったのでしょう。クマネズミはインド原産のネズミで、主として穀物食でその性質から人家にも入り込むようになりました。ドブネズミと違って樹上性と言いますか、家屋でも梁などを伝って屋根裏など高いところに棲みます。このクマネズミと共生関係にあったのが「ケオプスネズミノミ」なのですが、ヒトにとっては不幸なことにケオプスネズミノミはヒトなど他の哺乳類も吸血する性質があったのですね。この結果ペスト菌の感染回路が大きく拡大することになりました。


 ところでペスト菌はネズミに対しても致死性となる毒素Ymtを持っています。一般に宿主に対して高度の致死性毒を持つ病原体は大流行となりません。それはコロナウイルスを振り返るとわかります。高毒性だったSARSMERSといったコロナウイルスはその致死性が高いため、感染した人がすぐ重篤症状あるいは死を迎えることとなり、かえって拡がりにくかったのです。そのためどちらも世界的流行の気配をみせたものの、あっという間に絶えてしまいました(無論消滅したわけではありませんが)。その点今の新型コロナウイルスすなわちCovid-19はほどほどの毒性だったために感染した人がすぐには死なずに動き回って、世界的な流行になりました。ではなぜ宿主に対して高毒性となるペスト菌が大流行できたのか?この疑問に対して旦部教授達の解説は答えを用意してくれていました。

実はペスト菌はヒト(37℃)よりもノミの体温(26℃)を好むため、ノミの前胃で活発に増えるのですが、このときYmtのもう一つの作用として、ノミの胃内で凝固塊が形成され、消化管を塞いでしまうのです。このため保菌ノミは、いくら血を吸っても空腹がおさまらず、狂ったように吸血を繰り返します。さらにこのとき同時に、前胃で増えたペスト菌が宿主に逆流して、効率よく感染するのです。

なるほど!そういうことだったのか!ペスト菌の毒素Ymtはネズミやヒトに対して致死性があるだけでなく、ノミに対しても強い毒性があるのですね。その毒性でノミの消化管をふさいで栄養を取れなくしてノミに強い飢餓感を与え、吸血行動を盛んにさせる。さらに前胃に詰まった細菌を含む凝固塊が、吸血時に吻へと逆流して哺乳類への感染率を上げる。まさに一石二鳥の効果があります。


 この恐ろしいペストの流行が近年下火となったのは、もちろん衛生環境の整備があります。しかしもう一つの理由は宿主となるクマネズミが、より大型で凶暴なドブネズミの棲息域拡大で駆逐されたことが大きかったのは、初めて知りました。しかしドブネズミがいない地域、たとえば農村などでは依然としてペスト流行の可能性はあります。


 検疫の英語quarantine(キャランティーン)はイタリア語の40のことで、ルネッサンス期のイタリアの港で地中海貿易で主に東から来た船をすぐ着岸させず、沖に40日間停泊させてペスト発生の有無を確認した話。および北里柴三郎が香港で初めてペスト菌の存在を掴んだことは私にとっては既知でした。しかし、この毒素Ymtの効果は初耳でした。「強毒性の病原体はパンデミックになりにくい」は必ずしも成り立たない仮説なのだと知りました。