gillespoire

日常考えたことを書きます

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

栄養学を拓いた巨人たち 〜栄養学・医学の学生に読んでほしい

留置場の弁当が原因で「脚気」 〜すぐ診断できてよかった
ペラグラ 〜「ファミリーヒストリー・草刈正雄」


著者の杉晴夫氏はこのブログで随分述べた「日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか」を書いた先生ですが、父上は杉靖三郎(やすさぶろう)氏といい、医師だったのですね。杉靖三郎氏は東大医学部を卒業した後橋田邦彦教授に師事し、生理学の研究に入っています。橋田邦彦は第二次大戦中東條内閣の文部大臣を務め、敗戦後責任を取って青酸カリで服毒自殺をしています。橋田邦彦に付いて文部省にも勤務した杉靖三郎氏は公職追放に遭い、その後医学雑誌JAMAの編集部で働き、のち東京教育大学教授となっております。2002年杉靖三郎氏が亡くなった後、杉晴夫先生が父の蔵書から「ライフサイエンスライブラリー」というアメリカの医学入門書シリーズの翻訳を見つけたことが、本書を書く切っ掛けだったと、最後の方に記しています。


 ビタミンの発見の歴史を中心に、18世紀からの栄養学、それと関連した生理学・生化学がとても手際よく整理され紹介されています。僕はビタミンを英語で書く時、VitamineだったかVitaminだったかいつも迷ってしまいます。ビタミンはもともとアミン(amine、-NH2アミノ基を持つ低分子)の一種と考えられてVitamineと命名されたものの、実はアミンでないビタミンも見つかったためVitaminに変更されたと、本書で初めて知りました。


 ドイツを中心に勃興した生化学の研究が実に人間くさい対立や出し抜き、イヤガラセなどのドラマを経て形成されていったかよく判ります。生化学の教科書に延々と書かれている代謝経路にうんざりしている学生も、この本を読めば俄然興味が湧くでしょう。ワールブルグやセントジェルジは特に有名で、本書だけでなくあちこちにその逸話が出ていますね。


 水溶性ビタミンで特にB群はATP産生に必要な物質代謝で補酵素として働くことが、その発見の歴史も含めて丁寧に解説されています。生化学で代謝経路の化学反応式を憶えるのは辛気くさい作業ですが、この本を読むと数々のノーベル賞受賞とも関係する発見過程に興味が湧きます。ただビタミンB12はちょっと説明が不足しています。貧血に効くといっても通常の鉄欠乏性貧血でなく、核酸合成障害に起因する悪性貧血にビタミンB12が関係すると言わねばなりません。もっとも私は逆にビタミンB12が脂肪酸代謝から他のB群と同じく、ATP産生にも関係することを忘れていました。ただしそちらの作用は葉酸があれば要らないのですが。


 量子力学を応用した化学者としてノーベル賞を受賞したライナス・ポーリングは「ビタミンC万能説」を晩年掲げたことでも有名です。ビタミンCを大量に服用すれば万病に効くということでしたが、ポーリングはがんに罹った夫人にそれをおこなって結局夫人をがん死させています。「ノーベル賞まで受賞したというのに晩節を汚した」と散々な評価で、私も哀れな人という印象でした。しかし杉先生によればこのビタミン大量服用は、あながち間違っているとも言えないようです。ビタミン特に水溶性ビタミンは補酵素として機能するから微量でよい(分解ではないから)はずなのですが、その必要量は個人、体調などでかなり変わるとのことです。特にストレスがかかるような病態では、ビタミンが大量に必要になるとのことで、ポーリング説にも一理あるとなっています。


 第二次大戦後の低栄養状態だった日本に対してクロフォード・サムス准将の貢献についてもページを割いています。サムス准将はGHQの一員として日本の医学に関して教育から医療制度まで広範な改革をしており、現在の日本の医療のあらゆる場にその足跡を残しています。のみならず敗戦後間もない日本のひどい栄養状態をみて、LARA物資の運用もおこないました。通称ララ物資ですが、これもサムス准将が児童への給食制度設立を要請したのに対して、非協力でにべもない態度をとり続けた文部省や大蔵省に業を煮やしたからです。杉先生の言を待つまでもなく、もしこのララ物資支給でアメリカから食料が入らなければ、戦後日本の青少年育成は大幅に遅れたでしょう。「アメリカが余剰生産で困っていた農産物の放出はけ口にしただけ」という悪口を聞いたこともありますが、決してそんなものでなく、寧ろ日本の官僚は戦前と変わらず国民無視の硬直した思考だったことがよく判りました。


 最後に紹介される昭和時代の三重県沿岸部の村落を調査した近藤正二氏の「長寿率調査」は、以前別な本の紹介で知っていましたが、それを読んだ時「?」と思ったことを思い出しました。確か「魚など栄養価の高いものを摂る村は短命で、魚をあまり摂らない粗食の村落の方が長命」と解説され、過剰栄養は短命につながるという評価だったからです。魚を摂り過ぎることが過栄養なの?とずっと思ってました。本書でも「漁業が盛んな村落は魚を豊富に食べ、儲けた金で白米食中心だったため短命になった。野菜や海藻が中心で粗食だった村落はビタミン・ミネラルをよく摂り長命になった」と紹介されています。うーん、これはどうかなあ。戦前の昭和初期から昭和中期まで地方の村落でそんなに栄養過多になるところはなかったと思います。第一今の栄養学でいえば不飽和脂肪酸が豊富な魚食の方が長生きできそうなものです。私が思うに、金回りがよかった漁業中心の村落は、儲かったお金で飲酒や喫煙など不摂生な生活をする者が多く、生活習慣の乱れから色々な要因で短命になったのでないのでしょうか?特に昭和30年代まで日本人の死因として非常に大きかった結核は気になる因子です。近藤氏の調査はその辺を探ってないようなので、これ以上はわかりませんが、上の解釈は何となく今も釈然としません。興味深かったのは同じ沿岸部の村落でなぜ漁業が盛んなところとそうでないところがあったのかを解説した部分です。「〜浦」とつく村落は古来からの定住民で漁業を生業としていたが、「〜竈(かま)」とつく村落は平家の落人と言われ後からこの地域に入った住民だったこと。そして「〜竈」の住民は「〜浦」の住民から漁業を営むことを禁止されていたとのこと。もしそれが事実なら(多分事実でしょうが)、1000年以上も長命・短命の差がついて、人口構成もよほど変わってしまったのでないかと思うのですが。蛇足ですが「〜竈」の住人は塩田業もしていたとのことなので、「」とは「塩竃」の意味(海水を煮て塩をつくるかまど)なのでしょうね。


「栄養学を拓いた巨人たち」 杉晴夫 講談社ブルーバックス 2013.4