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60才で医師免許取得の東大卒元キャリア官僚 〜水野隆史さん

中高年での医学部入学 〜年齢で合否を決めるのは間違い


ヤフーニュースに紹介されていた記事ですが、この方は今までも何度かメディアに取り上げられてきました。マネーポストwebの記事です。


 経歴を検索すると、1955年、福井県生まれ。1978年、東京大学農学部卒業後、農林水産省に入省。長崎県農業技術課長、名古屋消費安全センター所長、農研機構企画部長等を歴任。2009年末に退官、金沢大学医学部に入学。2015年から十和田市立中央病院に勤務となっております。金沢大学医学部は学士編入で入学しています。


 学士編入試験での医学部入学試験は、2023年度現在全国で国公立大と私立大を合わせて29の大学(うち国公立大学が27校)がおこなっているようです。圧倒的に国公立大が多く、私立大2校のうち北里大は1年後期からの編入となっています。学士編入は社会人入試とは本来趣旨が違うと私は思います。学士編入で求められるのは大学での医学以外の学問の学修経験で、社会人のような就労での社会経験とは本来別でしょう。実際学士編入で試されるのは学科試験が第一で、AO(今は総合型選抜)で実施するような学力以外の経験についてのインタビューはその次です。日本の学士編入制度はアメリカのメディカルスクール制度が反映されていると思われ、広い学問視野を持つ学生を受け容れたいというのが基本的理念だと思います。


 河合塾のKALSという医学部学士編入に特化した予備校サイトをみると、受講生についてこんな統計があります。


前卒は理系が多く、現状は社会人が多い。ただ合格者の比率がどうなっているかわかりません。しかし恐らくですが、合格者は理系卒が圧倒的に多く、現状に関しては社会人は半分行くか行かないかでないかと想像します。


水野隆史さんが医師になることを考え出したのは、他の記事で書かれています。

50代で医師を志した理由は。

40代の終わりに、ある新聞記事を読んだ。55歳で医学部に入学し、当時64歳で研修医だった女性の記事で、その年齢からでも医師になれることを初めて知った。

もともと50歳を過ぎたら役所を辞め、違う仕事をしようと思っていた。じかに人と接し、人や社会の役に立てる医師はきっとやりがいがあると考え、勉強を始めた。


 なるほど。これも想像ですが、東大に入る前後から医者になるという考えはある程度お持ちだったのでないでしょうか。


 しかしここからが大変だったようです。マネーポストwebの記事を引用します。
 

水野さんが目指した医学部への道もまた、長く険しいものだった。

「2種類あった試験科目のうち、特に苦労したのは生命科学。その範囲は生化学、生理学、細胞生物学、分子生物学、遺伝学など多岐にわたり、ほとんどゼロから始める状態でした。20冊以上の参考書を買ってマーカーを引き、単語帳を作り、ボイスレコーダーに参考書のポイントを録音して繰り返し聴きました。

 平日は夜11時に寝て朝3時から7時まで勉強し、仕事に行って休日は朝から晩まで机に向かう日々でした」


「勉強に集中できたのは妻のおかげ」

 50才の初受験から55才で金沢大学医学部に合格するまで、北は北海道から南は鹿児島まで延べ50校近くを受験。受験費用だけで1年あたり60万円以上もかかったという。

「合格通知が届いたときは、妻と久しぶりに寿司店に行きました」

東大理系でしかも生物系の農学部卒なら、学士編入試験の生命科学の問題はそれほど難しくないと思いますが、そうでもないのか。金沢大学入学後も大変だったようです。

 実際、お金のやりくりは大変だった。大学時代の4年間と国家試験浪人中の1年間は「収入ゼロ」。退職金と奨学金の借り入れ、銀行やカードローンの借り入れなどで生活を賄い、水野さんの妻は値引きされた総菜や食材を買い、食費を切り詰めて出費を減らすよう努めた。


「医師を目指すと話したとき、妻は“医者になるなら世界一の医者になって”と激励してくれました。勉強に集中できたのは妻のおかげです。

 学費はともかく、生活費を全部まかなうのは大変でしょう。ここらへんのご苦労は、今ご勤務されている十和田中央病院のインタビューに書かれていたので、引用します。

私 は 兵 庫 県 尼 崎 市 で 生 ま れ ま し た が 、 半 年 く ら い で 福 井 県 三 国 町 に 引 っ 越 し 、 そ の 後 高 校 卒 業 ま で そこ で 暮 ら し ま し た 。 尼 崎 に は 小 さ い 頃 何 度 か 行 っ た よ う で す が 全 然 覚 え て い な い の で 、 出 身 地 を 聞 か れる と 、だ い たい 福 井県 と答 え て い ます 。そ の後 は、東 京 で 浪 人生 活 1 年 を経 て 東 京 大学 に 入学 し 、4 年 後国 家 公 務 員上 級 甲種 試 験 (古 め か しい !) に合 格し 、卒 業 と 同時 に 農林 水産 省 に 入 省し ま した 。その 後 は 、優 秀 な 上 司や 部 下に 恵 まれ て 厳 し いな が らも や りが い の あ る公 務 員生 活 を送 っ て い まし た が、 49 歳 の 時赴 任 先 の 金沢 で 、偶然 ふと 目 に し た新 聞 記事 で 、あ る 女 医 さん を 知り ま した 。普 通 の主 婦 が 50 歳頃 に 医者 に な る こと を 目指 し て苦 労 の末 55 歳 で 医学 部に 合 格 し 、記 事 掲載 時 には 62 歳 で 研修 医 とし て頑 張 って い る と い う 内 容 で し た 。 こ の 人 を こ の 記 事 で 知 っ た の を 契 機 に 、 そ の 後 の 生 き 方 を 真 剣 に 考 え 、 第 二の 人 生 と し て 医 師 と し て 人 の 役 に 立 つ た め に 医 学 部 を 目 指 す こ と を 決意 し ま し た。まさ に 、「人間 は 一 生 のう ち に会 う べき 人 に は 必ず 会 える 。し か も 、 一 瞬 早 過 ぎ ず 、 一 瞬 遅 過 ぎ な い 時 に 」 (森 信 三 ) で し た 。 奇し く も 私 も医 学 部入 学 まで 苦 難 の 5 年 間 を要 しま し た が 、な ん と か 55歳 で 金 沢 大 学 の 学 士 編 入 学 試 験 (医 学 部 以 外 の 大 学 を 卒 業 し て い る こと が 受 験 資格 で、試 験に合 格 す れば 3 年 生の ク ラス に 編 入 され る ) に 合格 し ま し た。入 学後 は 、30 数 歳 年下 の 同 級生 と机 を 並 べ て講 義 、実 習 に明 け 暮 れ、体 力・記 憶力の 低 下 を 自覚 し なが ら 苦難 の 4 年 間を 経 てな んと か 59 歳 で 卒業 し ま した 。 し か し、 医 師国 家 試験 に 落 ち てし ま い 1 年間 の 浪 人 生活 の 後、 60 歳 で よ う やく 医 師免 許 を取 得 し ま した 。 そし て 、大 学 5 年 生の 時 に見 学 に来 て 以 来、初期 研 修 はここ で 受 け よう と 決め てい た 中 央 病 院 に 赴 任 し ま し た 。 そ し て 、 初 期 研 修 終 了 後 も 引 き 続 き 中央 病 院 に 総合 内 科医 師 とし て お 世 話に な って い ます 。


もし、私が今医学部に入り直して勉強を始めたら、やはり大変なのだろうか?ちょっと考えてしまいました。しかし、卒業してからあとの研修医生活がもっと大変だと思います。それは本人だけでなく、周囲もです。社会的な意味では先輩だけど、医師としては新米。教える方も相当気を遣うでしょう。あと自分自身を考えても60代となると20代のような体力はなく、気力はあっても無理がききません。ここら辺は本人も歯がゆく思うことがあるでしょう。でも条件に合った病院施設が見つかれば、きっと本人も周囲も満足がいく生活を送れるのでないかと思います。
 再びですが、十和田中央病院でのインタビューを引用します。

ー 研究 さ れ て い る こ と 、 勉 強 さ れ て い る こ と が あ り ま し た ら お 聞 か せ く だ さ い 。

先 ほ ど お 話し し た、 現 在取 り 組 ん でい る 業務 の うち 、 ② 総 合内 科や ③ 禁 煙 外来 で は 、ほ とん ど の 場 合、 最 終的 には 疾 患 が 治癒 し て診療 は 終 わ りに な りま す が、訪 問診 療 で 診療 の 終わり は 、ほ ぼ 100%患者 さ ん が 亡く な って お 看取 り を さ せて 頂 き終 了 とな り ま す 。こ の よう に 病 院 での 診 療と 訪 問診 療 で は 診療 の 終わ り が全 く 違 い ます 。 そん な こ と から 、 近年 は 、人 間 の 死 、魂 の 存在 、 あの 世 の 存 在、 輪 廻転 生 な ど にも 強 い興 味 をも っ て 、 関連 す る書 物 を読 ん で い ます

 ― 日 々 の 診 療 で 心 が け て い る こ と は あ り ま す か ?

私 は 今 年 68 歳 にな り まし た が 、 医師 に なる ま での 60 年 間 は 患 者側 の 人間 と し て 過ご し てき ま した 。そ の 間 に 感 じ た 、 病 院 や 医 師 に 感 じ た 感 情 等 を 思 い 出 し な が ら 、 自 分 が そ の 患 者 さ ん で あ っ た ら ど う 思っ て い る の だ ろ う か 、 何 を 期 待 し て い る の だ ろ う か 等 、 医 師 と 患 者 の 立 場 を 置 き 換 え て 考 え 診 療 に 当 たる よ う 心 がけ て いま す。


 マネーポストwebにはこんなヤフコメが出ていました。





 私は言いたい。
「キャリアの年数さえ稼げればそれでいいのですか?若くても、あるいは年数増えても、ボロい医者はいくらでもいるよ!」
費用対効果ばかりギャーギャー騒ぐのは、アホな証拠です。そんなことで税金が!税金が!と騒ぎ立てるなら、もっと盛大にムダ遣いしてる政府をよく見たら?


 


 水野医師にかかった患者さんは幸せだと思います。