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中高年での医学部入学 〜年齢で合否を決めるのは間違い

60才で医師免許取得の東大卒元キャリア官僚 〜水野隆史さん


前回のブログで紹介したヤフーコメントで減給された年齢で不合格になった事案は、群馬大学医学部の話です。最近の東京医大や順天堂大医学部などの医学部不正入試の話ではありません。


 久しぶりに思い出しましたが、詳細な経緯を書いたものがあったので、紹介します。出典は「幸福の科学の式」で2011年10月25日記載です。孫引きの記事になりますが、引用いたします。話者は佐藤薫さんという女性です。


父の看取りをきっかけに医療の世界を志す

東京都内の自宅(当時)で私塾を開いていた佐藤さんが、医学部受験に挑戦することになったきっかけは、2000年に実父の看取りを経験したことだ。

晩年、父は歩行や脱ぎ着など日常生活を送るための身体機能が衰え、もの忘れも多くなって病院のベッドに寝たきりとなったまま生涯を終えた。

「体の機能を維持するために元気なうちから働きかけることができたはずですし、精神的にもっと支えることができたら、晩年、心の問題を抱えることもなかったはず。父の死後、私は後悔で3年ぐらい夜になると涙が止まりませんでした」


母が健在だったため遺産は受け取らなかったが、母が子供たちに300万円ずつ分けてくれた。

このお金を遊びには使いたくない。何かの形で父への後悔を生かすことに使いたいと思いました。私も50歳になり、子どもも社会人として独り立ちをし、自分の老いを感じた時です。何かを始めるならラストチャンスだと思いました


最初は、高齢者の心身の機能を維持するためのリハビリテーションに関われないかと、理学療法士を目指して専門学校を受験した。ところが、一次試験を2位の成績で通ったのに、面接試験で不合格となった。

質問さえほとんどされなかった。


「こういう学校の入試は恣意的に選抜されてしまうのかもしれないと思いました。医師の方がもっと幅広く関われると思いましたし、国立大学の医学部ならば、そんな受験差別はしないに違いないと、家から通える群馬大学の医学部を受けることを決めました」


朝4時起きで猛勉強  3年目に平均点を10点上回ったが......

それから朝は4時に起きて猛勉強する日々が始まった。

元々、慶應大学工学部出身の理系脳で、それまで、私塾でも高校の数学や物理を教え、ニューズウィークを英語で購読しているほどだ。数学、物理、英語は問題ない。


問題は、漢文や古文や社会科系の文系科目で、通信教育の問題や過去問を繰り返し解いた。家事や私塾を続けながらの挑戦だ。


最初に受けた2003年度は不合格。

試験成績を開示請求したところ、合格者平均よりも10点弱低かった。

翌年2004も不合格。

「手応えとしてはおそらくギリギリだったのだろうと思いました。来年受けたら、きっと合格できるともう1年挑戦(2005)することにしたのです」


ところが、今度は合格したという確実な手応えがあった3年目の2005年度(55歳)

も結果は不合格だった。

「おかしいと思いました。そこでまた得点の開示請求をしたら、合格者の平均点は551.2点で、私は10点以上も上回る561.5点だったのです」


群馬大によると、

佐藤さんが受けた医学部医学科一般選抜前期日程の点数の内訳はこうだ。


医学部医学科 一般選抜前期日程

センター試験=    計450点

個別学力検査等:数学= 100点

個別学力検査等:小論文=200点

個別学力検査等:面接=総合判定の資料とする


何かの間違いではないか?

すぐに群馬大学に電話で事情を話して問い合わせると、入試担当者が出てきた。

「間違いかもしれませんから調べます」


電話を切って4時間ほど経ってから、折り返し同じ入試担当者から電話が鳴った。

その担当者は「これは個人的な意見ですが」と前置きした上で、こう述べた。

「医学部は1人の医師を育てるのに多額の税金を使うので、あなたが卒業した時の年齢を考えて、何年活躍できるかを考えた結果だと思います


ショックだった。

3年もの間、試験に受かるように努力してきた日々は最初から無駄だったというのか?

「そんなことってあるの? 国立大学でそんなことが許されるの?と思いました。理不尽だと怒りが湧きました」


■大学を相手取り入学を認めるよう提訴

センター試験と数学、小論文を合わせた点数の平均点は合格者平均を大幅に上回っているのだから、面接で極端に低い点数がつけられたということだ。


振り返れば、グループで行う面接試験では、

終始、自分に向けられる言葉だけ棘があった。


医学部受験の動機を尋ねられ、父の終末期への後悔を語ると

「じゃあ介護でもしたらどうですか」と言われた。

年齢について触れられ、

医学部は高齢者のカルチャーセンターとは違いますから」とも言われた。

「みんなに向けられた質問でも、私の1人手前で回答を終えられたし、面接官は私が受験することを不愉快に思っているのだなと思っていました。私の年齢が気に入らなくて、あの面接の点を低くされたのだろうと思ったのです」


試験担当者との電話を切った後、そんなことを考えながら、

「このまま放置はできない」と考えた。

家族とも話し合い、入学許可を求めて群馬大学を相手取り、前橋地裁に訴訟を起こした。


裁判では面接点やどのような基準で評価しているのかを開示するように求めたが、

大学側は「翌年の入試に差し障りがある」として一切出さなかった。


試験担当者が言った「卒業時の年齢が響いた」という発言に関しては、

大学側は、「個人的な見解であり、大学の見解ではない」と突っぱねた。


何一つ、知りたいことは明らかにならないまま、2006年10月に前橋地裁で「年齢により差別されたことが明白であるとは認められない」として、請求は棄却された。

諦めきれずに東京高裁に控訴したが、2007年3月に敗訴した。


群馬大医学部というと須納瀬豊という方が現役で1987年県立千葉高から進んで、外科医になりました。のちの大量手術死亡事件(殺人といってもいい)はご存じの通り。wiki記載は以下。


関わった医師たちは厳しく断罪されています。



当時の群馬大医学部は、上記のコメントした人と同じお考えのようですが、教育機関としてそういう大学はOKかい?