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「新理系エリート」 〜高専から東大・京大への進学(5)

「新理系エリート」 〜高専から東大・京大への進学(4)
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大澤昇平氏の転落はまさに「自業自得」で、弁解の余地はありません。しかし、他の方による分析記事を読むと、複雑な背景を感じます。


まず大澤昇平の著書「AI救国論」は必ずしも評判悪くないようです。文春オンラインの安田峰俊氏の記事では

大澤氏の著書『AI救国論』を実際に読むと(こう言っては失礼だが)意外とちゃんと書かれた本であり、AIテクノロジーの面白さと重要性、それをビジネスや社会デザインに結びつけることの必要性を十分に感じ取れる。11月中旬以降のTwitterにおける乱暴な言葉づかいとは異なり、大澤氏が少なくとも本人の専門分野において一定水準以上の能力を持つ人材なのは間違いない。

となっています。アマゾンの書評をみると

Amazon カスタマー

5つ星のうち2.0 

AIの現状に関して知るには良書だが、救国論としては微妙。

2019年12月13日に日本でレビュー済み

AIの導入によって、どの程度メリットがあるかを知るには、専門家の視点から書かれており良書。

AI社会の全体像や、深層学習、画像認識の解説を具体例を用いて解説している。

日本の、ITやAIに関する技術と認識を、米国、インド等の他国との比較で、その欠点と解決方法を述べている。


但し、救国論としては、認識に甘さがある。

アメリカの技術を持ち帰って、日本に広める技術者の事を「出羽の守」と、冨山和彦氏の著書にあるが、

本書の内容もそれと同様。本書の救国論を進めても、結局は二番煎じに収まり、真の意味での救国論とは成り得ない。


〜中略


「大学受験のジレンマ」に関しては、センター試験程度の共通テストの是非を論じている。高等学校教育の時間に受験勉強以外の目的の学習(テクノロジー等)を取り入れる事に関しては、学生の適性を見て導入する事は同意する。

また、学歴偏重社会に対するアンチテーゼとしては有力な議論をしている。

後略

となっており、評価はされています。


しかし、同じく文春オンラインですが、古屋経衝氏の記事によると


本書は、福島高専(高等専門学校)から筑波大学に編入した大澤の「自分自慢」のナルシシズムで全編の約1/3が占められている。さらに大澤は、自身が「最年少の東京大学准教授」であることを何度も書き、なぜに自分がこのような名誉ある地位を手に入れたか、についての自慢が続く。

〈簡単に自己紹介をしよう。私は東京大学の准教授。(略)その後、学内での熾烈な出世争いを勝ち抜き、大学としては異例の飛び級昇進を実現、31歳にして准教授となった〉(11頁)


〈たとえば、優秀な若手を評価する言葉に「若いのに優秀」という文言がある(私もこれまで何度も言われてきた)〉(19頁)


 大澤は本文中で、おそらく意図的に「特任准教授」という自らの正式な役職を「准教授」と置き換えて使用している(ただし批判を恐れてか、ごく一部「特任准教授」という正式名称が登場する)。「東京大学准教授」と「東京大学特任准教授」では、ソ連軍のT-34とイタリア軍の豆戦車ぐらい意味合いが違うが、大澤はおそらく意図的に自分が「東大准教授」であることを繰り返して、権威付けに利用している。

と手厳しく、批判されています。AIの現状について手際よくされつつも、自己宣伝も抜け目なくおこなっているというところでしょうか。 安田峰俊氏もこんなことを述べています。

大澤氏の出自である「高専(高等専門学校)」学歴の有用性や、高専出身者が正規の入試合格者よりも「優秀」であること、2年次~3年次から有名大学に編入できる高専出身者が「学歴ロンダリング」の非難には当たらないことなどを声高に主張し、さらに大澤氏が東大大学院において人工知能研究の権威・松尾豊研究室に加わっていたことを再三にわたって強調している点だ。

一言で申すと「自己愛型人格障害」そのもので「嫌なヤツ」です。「自分は高専卒でありながら如何に優秀であり、その結果最年少で東大准教授になり、競争を勝ち上がってきた」と書いているようです。


 しかし、この本出版にどうも別な伏線があったのでないかと感じます。再び安田峰俊氏の記事で、「大澤昇平」のwiki記載を巡った内容です。

こうした要素はWikipediaの「大澤昇平」の項目からも感じ取れる。ページの編集履歴を確認すると、この記事は著書『AI救国論』刊行の約1週間前にあたる9月8日、ほぼ「大澤昇平」のみを編集しているIPアドレス「60.125.48.246」によって新規作成されたものだ。同じユーザーからは同日中に合計12回の編集がなされた。


 さらに翌9日にも、東京大学に割り当てられたIPアドレス「130.69.198.191」(こちらもほぼ「大澤昇平」の関連項目のみを編集している)によって合計34回ほどの編集が繰り返された。その後も数日間、「大澤昇平」記事だけを複数回編集した同一IPによる編集履歴がいくつも確認できる。


これはおそらく大澤氏本人がwikiの記載をおこなったと考えるのが普通でしょう。間もなく出版される初の著書で自分がネット検索されるのを意識したためでしょう。


さておき、ここでの重要なポイントは、本人か関係者が作成したかと思われる「大澤昇平」記事の第1版の段階で、すでに松尾豊氏の指導を受けたことを明記しており、さらに記事内の本人経歴の部分でも「松尾豊研究室」という単語が2回も登場する(つまり1記事内に「松尾豊」の名前が3回も出てくる)ことだ。


 しかも、上記の「130.69.198.191」による最後の編集である9月10日14:11時点の版まで、Wikipediaにおける大澤氏の経歴は彼の最終学歴である東大松尾研での博士号取得“のみ”が記されていた。つまり、彼が福島工業高等専門学校出身で筑波大学に編入、修士号も筑波大院で取得したという経歴は書かれていなかった。


まあ、これだけなら「ご愛敬」というものでしょう。ところが「そうは問屋が卸さない」事態になりました。

「東大生え抜き」「松尾研」を巡るWikipedia編集合戦


 この9月10日14:11時点の版まで、Wikipediaの該当記事は(おそらく同一人物と見られる)「60.125.48.246」と「130.69.198.191」だけがほぼ編集している状態だった。しかし興味深いのは、『AI救国論』刊行直前の9月12日04:24時点の版から、これらとは別の人物と思われるIPアドレス「153.125.130.35」による記事の書き換えが繰り返されるようになったことだ。

ここで「153.125.130.35」が真っ先におこなったのは、「大澤昇平」記事の経歴欄に彼の高専卒と筑波大院修了の学歴を加え、さらに記事中から松尾豊氏や松尾研といった固有名詞を削除することだった。

その後、記事は大澤昇平氏の松尾豊氏とのつながりを強調したいユーザーと、それを削除したがるユーザーによる編集合戦に陥り、9月19日には一時保護処置(管理者のみが記事編集可能な状態にすること)が取られるようになってしまった。


 Wikipedia記事の編集履歴からは「利害関係者によると思われる中傷」といった文言が見つかるほか、利用者たちが記事内容を議論するノートページでは「153.125.130.35」と、大澤氏を擁護する「60.125.48.246」と「130.69.198.191」の間で内輪向きの話題での論戦も観察できる。この編集合戦を仕掛けた「153.125.130.35」は、研究の場において大澤氏とごく近しい関係者で、しかも大澤氏を好ましからず思う人物である可能性が高いとみられる。


はっきり言うと、「大澤昇平」のwiki書き込みを知った東大内のごく近い部署にいる人物が、執拗に
1 大澤氏は東京大学の学部卒でないことを強調する
2 大澤氏が強調したい松尾研の所属経歴をことさらに抹消する


を目論んだと考えるのが、普通です。大澤氏が学位取得で所属していた松尾研関係者に、彼を激しく嫌悪し憎悪する人物がいたのは間違いありません。東大などの有名大学大学院に他大から入って、最終学歴を糊塗したとする、所謂「学歴ロンダリング」の思考が背景に見え隠れします。


続きます。