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渡辺博史氏が説く「大学改革」 〜読売「地球を読む」(7.30)

まず渡辺博史氏の略歴を、wikiから抜粋します。
1949年、東京都文京区生まれ。
1968年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業し、東京大学文科一類に入学。
1971年 司法試験合格。1972年に東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省。1975年、アメリカ・ブラウン大学にて修士号を取得。国際局次長、国際局長を経て、2004年に財務官に就任し、2007年財務省退職。2008年10月国際協力銀行。副総裁、総裁を歴任。2016年6月、退任。2016年10月〜 国際通貨研究所理事長。


渡辺博史氏はこの経歴とは別に、2008年に白川方明氏とともに日銀の副総裁候補に挙がったものの、民主党の反対で結局ポシャって白川総裁だけが実現した経緯もありました。しかしながら、渡辺博史氏は東大法学部卒の王道を歩んで来られた方だと思います。


 さて渡辺氏はいきなり、「大学教員は建前論をかなぐり捨て、研究2番教育1番に徹せよ」と述べています。要するに大学教員は研究とか役に立たないことにべらべらかまけてないで、学生教育を本分とせえということです。ほほぉ、過激なことを仰ると思いました。しかし後半を読むと、かなりまともなことを言っています。


 まず、今の日本の大学教育は既存の学問領域に固執しており、柔軟性に欠けると言います。それを解消するため、学生には各学士号に必要な単位組み合わせを示しておいて、学部・学科を決めないで自由に科目を取らせる。従って学生は卒業時に複数の学士号取得も可能とするとしています。渡辺氏言うようにアメリカの大学の教養学部に相当するliberal arts and sciencesは、ブラウン大に限らずこの方式です。


 また大学入試で数学を必ず入れることを主張しています。今の私大文系の入試などもっての外で、数・国・英を中心に入試をおこなうとしています。


 また大学生には「文章の書き方」を徹底せよと言っております。読んでも意味がとれない日本語や判じ物みたいな英語を書く学生は卒業させてはならないと主張しています。


 どれもこれも正当な主張だと思います。しかし、渡辺氏の発想は少子化が急速に進行する日本の大学現場からほど遠いと言わざるを得ません。そもそも渡辺氏が主張するような「一般入試」で入る学生は全体の半分くらいしかおらず、今後ますます減るはずです。申し訳ないですが、「机上の空論」感が否めません。


 それは措くとして、これで「学士号」を取った大学卒業生は社会人としてただちに貢献する働きをするのでしょうか。かえって企業など現場での教育が必要になり、渡辺氏の主張(企業に新人再教育をさせる無駄手間をなくせ)とは逆行するように思えました。また私自身は渡辺氏が主張するような大学学生時代を送ってきただけに思うのは、「そんなこと実践できるのは18歳人口の5%くらいだろう」ということです。つまり、昔の旧制高校に入学できる階層にしか大学教育をしないということと同じだと思います。渡辺氏の主張する教育論は少子化が急速に進行する日本には向いていません。じゃあどうすればいいかと問われても、私自身には明確な答えがないです。今のところ「渡辺氏が主張する方策以外のやり方でないとだめ」としか言えないのが、残念です。