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「患者が知らない開業医の本音」 〜解離性脳動脈瘤



松永正訓(まつながただし)医師は千葉大医学部を卒業して研修医の後、小児外科学教室に入局しました。しかし、ある病気が切っ掛けで医局を辞め、開業の道へ進みます。


 その病気とは「解離性脳動脈瘤」です。松永さんが書かれている病状を読んで、既視感を味わいました。実はまったく同じ症状で解離性脳動脈瘤だった知人が、私にはいるからです。その方もそうでしたが、松永医師もかなり若い頃から(高校生時)頭痛持ちで、年齢が上がるにつれてその頻度が増していきます。ある朝起きた時、今までとは違う尋常ではない頭痛を感じ、鎮痛剤を服用するも治まらず、吐いてしまっています。成人の頭痛で急に起こる尋常でない痛みで吐くと聞けば、普通の医者がまず考えるのがくも膜下出血です。幸い松永医師は出血には至っていませんでしたが、解離性脳動脈瘤と診断されて即入院となります。外傷性でないくも膜下出血の原因でもっとも多いのは、脳動脈瘤の破裂です。脳動脈瘤の発生はウィリス動脈輪が多いとは学生時代に習う知識ですが、解離性脳動脈瘤も同じ部位で起こりやすい。ただ解離性動脈瘤の瘤は局所に留まる半球形ではなく、台形に拡がることが多いです。下図は昭和大学脳外科学教室から借りています。

普通の脳動脈瘤ですと局所病変なので、付け根をクリップして止めるか血管内からコイルのような異物を入れて血栓を作り器質化を促すという治療が可能です。しかし解離性動脈瘤は下図のように中膜内を裂くように進展するので、かなり大きな病変になります(「医療法人メディカルフロンティア」からの借用)。

従って手術となると血管バイパスあるいは血管塞栓術しかなく、それも危険域を考えてかなり長くとらないとならない大がかりな手術になります。幸い松永医師は上図の破裂には至ってなかったのですが、手術はリスクが大きいということで見合わせとなります。書かれている記載からすると病変が右側内頸動脈から中大脳動脈に移行する部位と思われ、塞栓術をおこなうと眼動脈も閉塞して右眼失明の可能性もあったからとみえます。脳の動脈瘤はいったいいつ頃から発生するのかはっきりした研究報告を見たことがありません。しかしこういったエピソードをみると、少なくとも解離性脳動脈瘤は若い頃からゆっくり時間をかけて進行していき、破裂まで実質数十年かかるのでないかと推測します。


 これでは大学医局のような忙しいところでは仕事ができません。それに松永医師は当時40歳の中堅どころで医局長もやっていたので、尚更でしょう。結局大学に残ることは諦めて、開業しかも本来の専門ではない小児科を開業する道を選びます(小児科は内科中心で、小児外科とはかなり仕事内容が異なる)。手持ち資金200万円で開業とは大した度胸です。普通1億円くらいの現金がないと、一般的な新規開業は難しいと言われていますから。ですが、松永先生は奥様と二人三脚で開業にこぎ着け、今は軌道に乗せています。「すごいなあ、いつ死ぬかわからない持病を抱えてよく頑張っているな」というのが、率直な感想です。


 開業してから20年以上過ぎ、今60歳を超えた松永先生のいろいろな経験談は是非本書を読んでください。医者からするとあるあるですが、普通の方からすると「えっ!こんな患者もいるのか!」と驚きでしょう。私からすると「やはり小児科は大変だな」と感じます。しかし、松永先生は運が良いとも感じます。普通いきなり開業といっても地元医師会との調整も重要です。商売敵が増えるからですが、運良く近隣の既存の小児科の先生ともうまくやって順調に続けています。こういうとげすの勘ぐりと言われそうですが、千葉市内の開業だったことも大きいでしょう。はっきり言いますが、千葉県内は千葉大医学部の天下です。大病院は言うまでもなく小さなクリニックに至るまで圧倒的に千葉大卒の医者が多いです。県北西部の東葛や市川・船橋には慈恵医大、順天堂大、慶應のような都内私大の関連病院もありますが、県央から東部・南部とも千葉大オンリーです(印旛の日医大病院と成田の国福大を除く)。千葉大出身者が多い中での開業ですから、周囲の開業医院との関係も基本悪くないはずです。大学病院からも遠くない若葉区での開業は有利だろうなと思いました。


 松永医師は千葉大小児外科では神経芽腫や肝芽腫のような小児悪性腫瘍を専門としており、今でもそれを振り返っています。ただちょっと力が入りすぎているように感じたところもありました。確かに医局長は大変な役回りですが、「僕でないとできない仕事」ではないです。松永医師はすごく有能だったと思いますが、もし海外留学などで居なくなれば誰かがその代わりをおこないます。多少力が落ちた先生であっても医局は結局それはカバーしていきます。こう言うと冷たいかもしれませんが、社会とはそういうものです。実際、松永先生が退職した後後輩たちが育っていく状況は松永先生自身が書いています。また千葉大を退職するにあたって、当時の全国の小児外科の教授達に退職する理由を書いた手紙を送ったと聞き、かなりびっくりしました。はっきり申して他大の医局長が辞めたとしても、教授達にはその理由にさほど関心ありません。わざわざ「解離性脳動脈瘤で辞めることにしました」と書かれたら返答しないわけにはいかないと思いますが、うーんどんなものですかね。ただ開業した時古巣の小児外科からお花すら届かなかったのはさすがにちょっと気の毒に感じたと同時に、松永先生の医局での人望が果たしてどうだったのかと少し考えました。終わったことはどうでもいいのだよ、気にするなと言いたいですが。


 松永医師がラッキーだったと思う理由はもう一つあります。それは現在急速に進む全国的な少子化です。今だったなら新規の小児科開業は相当なリスクがあったでしょう。私の大学同窓で親しく付き合う後輩がおります。彼は四国の中規模都市で開業する産婦人科医院の息子ですが、東京に出て来ました。実家の産婦人科はお兄さんが継ぎましたが、最近閉院したそうです。理由は新型コロナ流行以降、分娩数が激減して商売が成り立たなくなったからだそうです。首都圏でも近年産科や小児科は開業だけでなく、大病院でも維持がかなり難しくなっています。ましてや地方は大変で、上記の四国の市では開業産科医は1軒しかなくなったそうです。医療という点から由々しき事態ですが、小児科にそれが波及していくのは時間の問題で、おそらく2,3年後だと思います。松永先生は良い時に開業しましたが、彼がリタイヤする時経営する小児科医院は閉院するしかないでしょう。医学部と医師のひとつの時代変遷を知るという上でも、おもしろい体験記でした。


「患者が知らない開業医の本音」 松永正訓著 新潮新書 2022.1.20