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「破格」の教え子 〜いよいよ本番中学受験

先週の土曜(1月20日)は早朝から電車がえらく混んでいました。「また何かイベントかなあ」と思っていたら、日曜の朝刊をみると「中学受験。千葉でも始まる」と地方版に見出しが出ていました。そうか、中学受験の開始日だったのか。道理で駅コンコースにも小学校高学年と思える子供達が、グループでたくさん集まっていました。てっきり何かのスポーツ大会かと思ってました。


 火曜の日経の教育欄には、毎週交代で主に中高の受験指導にあたる塾の先生がリレーでエッセイを書いています。本日のエッセーが表題の「「破格」の教え子」でした。

私は中学受験で最難関のA中学に落ちた。全力を尽くした結果であり、最終的に自分に合った中学校に進学したので悔いはない。


しかし、塾の先生という仕事をする中でA中を意識しないわけにいかない。自分の指導でA中に合格させられるのかという不安が常にある。生徒には「A中を目指すなら私を超えなさい」と話している。我ながら良い目標だと思う。

A中とは、どこの中学なのか。A中ならB中、C中と一般化されているようにも感じます。しかし読み進めると、そうではなさそうです。

教え子のカズヤ(仮名)から連絡があった。「結婚したので妻とあいさつに行きたい」と言う。彼は私の生徒で初めてのA中合格者だった。


〜中略


生意気な小学生だった。算数が苦手で、解けない問題があると涙目になった。何でもすぐに暗記できた。分厚い小説を休み時間に読んでいた。帰宅時にも歩きながら読んでいた。授業中はいつも眼鏡にボールペンを何本も引っかけていた。


私はカズヤが自分を超えていると確信していた。勉強を教えるというより、少し変わっている彼に居場所をつくってあげるのが仕事だった。彼が当然のように合格し、報告に来てくれた時には「私の分も学校生活を楽しんできなさい」と伝えた。

成人したカズヤはあるものを持参します。

カズヤは今、IT(情報技術)の開発現場で働きながら夜には小説家として執筆活動をしている。賞もとったといい、作品が載った本を贈呈してくれた。

これでわかりました。A中とは麻布中ですね。だから「A中」。麻布は確かに多士済々が揃っており、まことに個性が目立つ学校です。だからカズヤのような若者がうようよといる感じです。


 実は息子がここに通いました。中学受験時代に通った日能研では「開成中」も随分勧められましたが、本人は最初から麻布一本。偏差値の優劣は関係ないのです。私は本人の成績からみてまあ落ちることはないだろうと思ってましたが、あとで家内に聞いたら「結構きわどいと思っていた」そうです。6年間お世話になりましたが、良いクラスメート、良い先生と出会えたと思います。


 話は戻ります。「村」のペンネームで書かれる先生は続けます。

カズヤの合格は私の自信になった。先生という仕事を続けていると、そういうきっかけに必ず出合う。塾の先生になってわずか3年目に彼に出会えたことには、感謝しかない。

 教師という職業でいつも思うのですが、教え子がさらに自分の上を行くことを見ることも多いです。それが宿命とも言えます。しかし「良い先生」は教え子の記憶に永遠に残るものです。かく言う私も、「教え子」であり「教師」でもあった自分の人生を考えます。上記したように「村」先生は、カズヤが持参した自作の著書をもらいます。

うれしかった。A中に受かる子はこれくらい破格なのだ。自分を超えていると感じたのは間違いではなかった。カズヤは「先生に感謝しています」と言っていたが「逆だよ。私があなたに感謝しているんだよ」と何度も伝えた。

教え子の成長を素直に喜べる教師も立派なものです。ですからカズヤは10何年もこの中学受験の塾の先生のことを忘れなかったのでしょう。首都圏は間もなく本番の都内の私立中学の入試を迎えます。受験生のみなさんの健闘を祈ります。