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築111年の京大・吉田寮 「家」存続求める寮生の思い 〜退去させるべし


京大の学生寮というと、すぐ過激派の根城を連想してしまいます。実際熊野寮はいまだに中核派の活動拠点のひとつになっており、警察の捜査を度々受けています。京大生でない活動家も熊野寮にはいると聞きますが、言語道断です。それに比して吉田寮にはもはや過激派はいないと言われています。あと昔孔雀がいたとか聞いたことがあるな。


毎日新聞の記事です。

現存する国内最古の学生寮とされる、京都大学「吉田寮」(京都市左京区)。1913年建設の「現棟」に住む学生らに対し、大学が明け渡しを求めた訴訟の判決が16日、京都地裁で言い渡される。

そうそう、寮の明け渡しで京都大学が提訴していたのでした。

老朽化による耐震性の問題から大学は退去を求め、応じない寮生らを2019年4月に提訴。寮生側は請求の棄却を求めて争っている。争点となるのは耐震性だけでなく、大学と寮生の契約関係や、長い歴史の中で双方が築き上げた合意にも及ぶ。


 昨年10月の最終弁論で、寮生側の弁護人はこう訴えた。「本件は単なる建物を巡る紛争ではありません。戦前から脈々と受け継がれてきた寮自治という、他には得がたい『営み』そのものを守るべきなのです」

現在の吉田寮の寮生はなんと言っているのでしょうか?

寮生たちが守ろうとしている「営み」とは何なのか。彼らの暮らしを見つめ、吉田寮への思いを聞いた。「血のつながっていない家族」。吉田寮生で文学部4回生の渡辺拓さん(28)は、共同生活を送る仲間をそう形容する。

〜中略

東京の私立大を卒業後に京大へ入学した。吉田寮の存在を知ったのは、受験日に受け取った寮紹介のパンフレット。学費や生活費を自分で賄うと決めていた渡辺さんの目に、寮費「月額2500円」の文字は魅力的に映った。しかし、「相部屋必須」の条件が気がかりだった。

〜中略

縁もゆかりもない土地で一人、寂しさに包まれる時もある。しかし、寮に帰れば他愛もない話をする仲間がいつもいてくれる。自治運営の会議では、厳しい言葉を投げかけることもあるが、お互いの信頼関係があるからこそ、議論を尽くすことができると信じている。寮費などの経済的福利厚生と対比して、そうした仲間と深い絆を育むことができる寮の環境を、渡辺さんは「人間的福利厚生」と呼ぶ。


 「『家族』と一緒に過ごした場所を守りたい」。そんな実直な思いで、寮生との対話再開と、訴訟の取り下げを大学当局に願っている。

言いたいことは理解できます。しかし、大学寮は寮生たちが建てたものでなく、また自治管理も大学が認可したら可能と考えるべきでしょう。いずれにしても所有者は大学だし、管理責任者も大学なので、寮生は大学の決めたことには従う必要があります。特に築100年以上となる建物には耐震性に問題があります。歴史的建造物でもないし衛生的な観点からも、寮生は大人しく退寮して速やかに明け渡すべきだと考えます。


ヤフコメは何と言っているでしょうか?

(`・ω・´)ノ1時間前


京大の敷地内にある以上は何かあったら最終的に京大が責任を負う。

京大生も能登半島の地震をテレビで見ている筈。震災クラスの地震が起こった場合、能登で倒壊した民家より更に古い吉田寮が保つとはとても思えない。

pth********1時間前


能登地震では、多くの古い2階建の木造家屋が倒壊していたのは記憶に新しいです。


被害者の方には非常に気の毒な事でしたが、地震発生時のドライブレコーダーによる家屋倒壊の様子を、ニュース動画で見ることが出来ました。


震度7の地域で家屋倒壊の被害を受けた地域では、比較的築年数の新しい家屋は、倒壊を免れましたが、古い家屋が全て倒壊してしまいました。


古い家屋は現在の新しい耐震基準に合っていなかったのでしょう。地震の家屋倒壊の録画を見れば、築111年の古い家屋には住んで居られないと思います。


kan********57分前


寮暮らしの素晴らしさは、良く分かりますし羨ましくも思います。吉田寮の近くに住んでいますが、今や趣きもあり、愛着すらある建物ですが、ただ何と言っても古くボロボロ過ぎる。その一言に過ぎます。近隣に迷惑をかける事もなく、突然ヤギがいたりとなかなか今の時代にない自由さがあり、面白いし雰囲気は残して欲しいけど、近年の地震対策として大学側が危惧する事は最もな事ですね。話合いは、一歩進んでどのように建て替えるかの話し合いに移行する方が得策だと思う。

これらがもっとも良識ある意見でしょう。もし今京都で大震災が起こって吉田寮が倒壊し、寮生多数が圧死したら、いったい誰がその責任を負うのでしょうか?上記一番下のような感傷的感情論では到底済みませんよ。


しかし、こんな寮生擁護の意見もあります。

eur********1時間前


海外の大学にはOBが寄付した寮やら講義棟やら図書館や体育館が普通にあるのに、日本の大学にはそれがほとんどありません。ヨーロッパ最古の大学と言われるボローニャ大学に至っては、なんと中世に学生組合が権威ある学者を招聘して設立された(そのため当時は学生代表が大学のトップを務めていた)という歴史があるほどです。

 数多くのエリートを輩出した京都大学の、しかも長い自治の伝統を誇り愛された寮であるからこそ、大学当局に頼るのではなく現役学生とOBが団結して募金活動を行い、キャンパス内でダメなら学外にでも新しい「吉田寮」を建てる。それくらいの気概を持ってほしいと思います。

学生組合がつくった中世以来のヨーロッパの大学と日本の国立大では、成り立ちが全然違います。あたかも寮生達に学生寮の所有権があるような発想は、事実誤認も甚だしいです。どうしてもそうしたいなら、学外に有志がつくったらいいでしょうが、そんな敷地今の京都市の都市部で確保できるのかね?

ABC5時間前


「学生の自治」と言うが、正確には自治ではない。土地の所有権は国(大学法人)にあり、その固定資産税や管理責任はすべて管理者が負っている。「学生の自治」が及ぶのは、居住する者同士のルール程度。権利を求めて管理責任にまで口出しするのであれば、必死に金を集めて土地と建物を買い取る交渉をしたり、社会的に認められる方法で自治を行ったりするのが真っ当な考え方。「歴史」と言うが、歴史は大学で生み出された研究にあるのであり、建物そのものにあるのではない。そろそろ「ごっこあそび」はやめて、ルールの中で主張を戦わせ責任を負いながら合議する「市民」になってはどうなのか。

しかし、こういう意見もあります。

tsun5時間前


自分も国立大の寮生でした。

それなりの伝統も有り先輩方が築いて来た「しきたり」等も有りました。

同じく自治寮で、建物を大学側から借りて使用料を払い必要経費はそれぞれ払い、それを皆から集めた寮費で賄う形で運営していました。

食事も材料費を生協に支払いオバちゃんに給料を払って作ってもらう形です。

高校時代は下宿で一人暮らし(下宿仲間はいます)でしたので、そんなに違和感は有りませんでしたし毎日楽しく暮らしていました。

元々は金が無いので寮に入ったのですが、そこで一生の仲間を手に入れたと云う思いが有りますね。

ただ自分達は特に政治的思想も無く、そういう意味では健全で京大とは違いましたね。

そうした赤軍の残党みたいのはまだ大学にはいましたけど自分の寮には縁が有りませんでした。

建物の老朽化のみなら建て替えれば済むわけでそうはならないんですかね?

自分の住んでいた寮は近年建て替えられました

これは「昭和派」ですね。年代が近い私には気持ちとしてはわかるけど、もう時代遅れなのでは?令和時代としては、下のコメントが正論でないでしょうか?

sug********5時間前


自治寮と言っても、寮内の運営やルールの話であり、土地や建物は大学の所有のはず。かつ京大の学生であることを前提に格安の寮費で借りられるところ、今は学生でない人も住んでるらしいし、そうなると住人の権利も認められにくいのでは。安全を理由とする建て替えに相当性があるだろうし、かつ自治とは言え、勝手に京大生以外を受け入れて、寮生名簿も所有者に提出しないなら、住人は所有者の権利を侵害してる事になりそう。どう建て替えるかという前向きな話し合いをしたほうが寮生にもいいと思うが、何だか今の状況は、所有者に歯向かう事が自由と履き違えているような、不毛な闘いに見える。

彦四郎の中国生活」に、大学寮ノスタルジーが語られていたので、抜粋の上引用します。中に書いてある「下宿から銀閣寺に忍び込んで酒盛り」、これ私の恩師で京大理学部を卒業した先生からも同じ話を聞きましたよ。その先生も「銀閣寺に隣接した下宿」で吉田山がよく見えたと仰っておりました。年代も同じなので、もしかしてお仲間だった??

日本全国の大学の学生寮の中で、現在もなお学生(寮生)たちによる寮の自治運営の伝統が残る(守られている)大学寮が三つ、日本にはある。この三つともに、今なお、バンカラ的雰囲気や一種のアホさ、バンカラ的雰囲気が濃厚に、カオス的に、そしてその汚さでも、伝統的に保たれている学生寮である。京都大学の「熊野寮」と「吉田寮」、そして北海道大学の「恵迪(けいてき)寮」の三つの学生寮である。

〜中略


1970年代の前半当時、学生紛争がまだくすぶり続け、熊野寮は新左翼と呼ばれる学生運動団体の有力拠点の一つのようで、60歳代かと思われるおじいさんなど、得体の知れない人たちもたくさんこの寮で暮らしてもいた。私がしばらく暮らした雑然とした足の踏み場もあまりない寮室は、私を含め5人が同居していた。寮費は月に1000円ほどだった記憶がある。2カ月間あまりでこの寮を出て、その後、平安神宮近くの2畳部屋(5000円の家賃)に1年間、そして、銀閣寺に隣接した4畳半部屋(1万5000円の家賃)へと引っ越しをした。


 この銀閣寺隣の下宿部屋からは、吉田山がよく見えて環境抜群だった。隣の部屋の新左翼らしい京都大学フランス文学科の学生は、警察に逮捕されて、この部屋を去っても行った。国宝の銀閣寺に夜に数人で山の方から忍び込み、足利義政ゆかりの井戸のある場所で、京都の夜景を見ながら一升瓶で酒盛りをしたことも2度あまりあった。いわゆる、「真面目だが、アホなことも、けっこうする学生」でもあった。当時の右翼的学生から新左翼的な学生たちまで、さまざまな考え方をもつ学生たちとの交流があった学生時代でもあった。

〜中略

特に、その「自由と自治」が大きく変わって来たのが2015年頃からだ。当時、京都大学の学長だったのは、霊長類学者として名高い山極壽一氏(70)だった。彼は2014年から2020年までの7年間、京大の学長だったが、このような「自由や自治」といったことには関心がないようで、京都大学の周辺に置かれた多種多様な「立て看板」の撤去にも踏み切った。京都市民からは「京大はんらしゅうて、いい光景やわ」と惜しまれた立て看板だったのだが‥。


 さらに、彼は、京大学長を兼ねながら、日本学術会議の会長職ともなった。だが、「自由や自治」に関心のない山極氏の会長時代の2020年、「6名の任命拒否」を菅内閣は行った。これに対する抗議も、山極氏はほとんどしてこなかった。山極氏の後任の梶田会長(ノーベル賞受賞者)は、この任命拒否問題の撤回を岸田内閣に真摯に要求している。山極氏は、2021年に京都大学を退官し、現在天下り先として、京都にある「総合地球環境学研究所」の所長になっている。まあ、京都大学の歴代学長の中で、最も「大学の自由と自治」に無関心な、京都大学にふさわしくない人物だったと、私は思っている。

学術会議の問題は別に触れたいですが、確かに山極壽一氏が京都大総長になってから、急速にいろいろな運用が厳格化され、それまで黙認されていたことが通らなくなった気がします。昭和時代を彷彿とさせる立てカンもすべて撤去されるようになりました。ちょうどうちの子供が京大に進学した頃です。


 また京大の伝統ある生態学研究のメッカでもあった霊長類研究所も、この時期に不正経理問題で、事実上廃止されています。

2006年(平成18年)から2012年(平成24年)まで所長を務めた松沢哲郎が、同研究所などの設備工事に絡み、国からの研究資金を不正に使用していたとして、京大が内部調査していることが、2019年(令和元年)12月6日に一部新聞で報じられた[14]。2020年4月22日、京都大学の調査委員会は、教員4人が入札前に業者に予算額を伝えたり、入札にすべき発注を随意契約にするなどにより、研究費約5億円が不正支出されていたとする報告書を取りまとめた[15]。

この不祥事を受けて、大学は研究所を2022年3月で解散、「ヒト行動進化研究センター(仮称)」に改める組織改編を2021年10月に発表した[16]。

京都大学から2億円の損害賠償をするよう提訴された元所長の松沢哲郎氏(懲戒解雇)は、強く反論し地位保全を求めて逆提訴をしました。この裁判は、その後どうなったでしょうか?この研究所は、ゴリラなど霊長類学を専門とした山極寿一氏にとって一番身近な場所であったはずで、複雑な思いがあるのでないかと想像します。
 しかし、霊長類研はこんな問題もありました。

元教授による論文捏造


本研究所の元教授である正高信男が発表した4本の論文について、京都大学は2021年10月15日、データの捏造が行われたと認定した[17]。論文は2014年から2019年にかけて執筆されていた。例えば2019年の論文について、正高は調査委員会の聞き取りに応じず、実験データは提出されず、実験が行われた事実も確認されなかった。この調査結果を受け、大学は正高に対して論文の撤回を勧告した。


2022年1月、大学は正高に対して懲戒解雇相当の処分とし、支給停止としていた退職金の正式な不支給を決定した。また、この処分に関する手続きでも正高とは連絡が取れなかったという[18][19]。

京都大学には部外者が知らない色々な不正や問題がある、あるいはあったのかもしれません。実情をよく知らない部外者が感情に押されて、大学執行部に批判めいたことを言うのは、控えた方がいいかもしれません。


 しかし、かなり汚いな、吉田寮。地震がなくても放火されたら、一巻の終わりになりそうです。