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NHK大河ドラマ「光る君へ」 〜と古文キライな私

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実は私、NHKの大河ドラマを全然観ません。一言で言ってマンネリで飽きる。何度も何度も同じ主人公を題材に演じさせて何がおもしろいの?勿論演出や脚本に個性はあるけど、話の筋自体が同じでは飽きます。近年観たのは、2019年の「いだてん」のみ。今期一押しのドラマ「不適切にもほどがある!」が宮藤官九郎の脚本だとは最初知りませんでしたが、この「いだてん」もクドカンの脚本でした。明治時代末期から始まって昭和の東京五輪に至るまでのスポーツを取り巻くエピソードで、題材が新鮮。なおかつ斬新なカット割りで、ストーリーも非常に鮮烈な展開でした。大河ドラマ随一の革新作だと思うのに、世間の評価は散々でしたね。多くのひとは思考が保守的なのかなと感じますが、残念に思います。


 それは措くとして、今回の「光る君へ」は源氏物語の作者紫式部たる「まひろ」を通して平安時代初期の貴族社会を描くところを新鮮に感じました。ドラマ自体は、「現代劇」といって差し支えない。そもそもこの頃の日常生活なんてほとんどわからないから、思い切り空想をふくらませ今風な人物ばかりとなりました。ただ直衣を着ているだけで、有り体にいえば「現代の日常」そのものですが、大石静の脚本が如何なるものかという思いで観ています。


 その話に入る前にこの大河ドラマのオープニングです。まず最初に出てくる花は何か?ネットでも「わからない」と結構話題になっています。かなり特徴的な花容ですが、植物に造詣が浅くないわたくしもなかなかわかりませんでした。最初シャクヤク(芍薬)でないかと思いましたが、どうも違う。まず花弁の端が切れ込みフリルになるシャクヤクの品種は知りません。「光る君へ」オープニングで花がほどけて花心が見えてくると、雌しべの柱頭が丸くかつ縦に溝がたくさん走っているのに、気づきます。なるほど!、これはケシ科の花の特徴です。しかし、ケシも花弁が丸いのが普通です。そこで「poppy fringed」で検索してみたら、ありました!ありました!


これはCoral Feathers Fringed Single Poppyという品種だそうですが、植物種としてはオニゲシ(Oriental poppy, Papaver orientaleです。オープニングの花はこの品種に近いものと考えます。平安時代というから、「花といえば、また例の桜か!」と古文キライの私は吐き気を催しましたが、なかなか洒落た演出です。


  そしてその次の手のシーン。


これ映画「E.T.」のシーンにそっくりと感じるのは私だけでしょうか?


非常に斬新に感じるオープニングです。そして曲がまたいい。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番によく似た曲想だと感じます。ラフマニノフは好きな作曲家なので、その点でも大いに気に入りました。 


 さてここまでのお話で2つ話題を取り上げます。


「遠くの国」
散楽を演じていて実は盗賊でもあった直秀。毎熊克哉演じる直秀は、平安貴族にはない逞しさがありましたね。その前の回の「打球」の場面でも慣れた貴族たちを相手に活躍してました。この回で囚われの身となった直秀たちですが、柄本佑演じる藤原道長が検非違使たちに心付けを渡して、何とか放免することを画策します。しかし、直秀たちが引き立てられたのは「遠くの国」ならぬ東山近くの「鳥辺野」。さすがに古文嫌いな私でも、鳥辺野が葬送の場だったことくらいは憶えています。平安の昔は鳥葬だったこともね。「ああ、殺されるのか」。血まみれの死体となって転がっているのかと思いましたが、意外にきれいな死に顔でした。なぜ賄賂を受け取った検非違使たちが、直秀一行を惨殺したのか?ネットを見ると、以下の説が出ていました。Lmagaの記事です。

賄賂を渡されたのに願いを反故にした理由は


さてSNSでは、なぜ検非違使は道長から賄賂まで渡されたのに、その願いを反故にしたのか? について、さまざまな意見が上がっていた。実は検非違使側からその理由は明かされておらず、想像の余地が結構あるのだ。ひとつ考えられるのは、道長の「早めに解き放て」「手荒なことをするな」という心から素直なお願いを、「痛めつけるとか面倒なことをせずに、そうそうに殺してしまえ」と忖度してしまった、という説。

ちょっと無理無理のこじつけで苦しいです。

SNSでは、まひろを必死でかばう道長を見て、「この盗賊仲間の女は道長の愛人 → 愛人の身分を隠すため、口封じで仲間を殺してほしい」と解釈したという説も上がってて、それも一理ありだ。

いや、それはないね。

さらに、検非違使は願い通り流罪と決めたけど、担当者が遠くに行くのが面倒で手っ取り早く始末したという考察もあり、実は公式ガイドではこの説を取っている。

ふーん、そうなの。では私の解釈を申し上げます。おほん。
 検非違使たちは普段から上級貴族たちに上から目線であれこれ命令されることに、内心不満が溜まっていたことでしょう。「たまたま生まれが違うからといって、何を偉そうにしてやがる」。しかも常に汚れ役ばかりで、貴族たちは打球とか歌合とか優雅なお遊びに興じてばかりいる。「袖の下まで渡して、道長はこんな盗っ人に何気を遣ってるんだ?なんか大事なヤツなんだろうな。そうだ!良い機会だから、アイツの顔に泥塗ってやれ!」いずれわかる直秀のなぶり殺しの姿を見つけて嘆き悲しむ道長を、陰から見てニヤニヤしてたんじゃないかな。
「光る君へ」が現代劇だと感じるのは、こういうプロットです。恵まれている人を恵まれてない人が見て何を思うか?「ねたましい。いつかそこから引き摺り落としてやる」でしょう。自分の人生を考えると、こういう検非違使たちみたいなヤカラに何度絡まれてきてことか!男・女関係ないです。というより、男の方がしつこくて手が込んでいました。腹が立ちますが、とても同じ土俵に下りる気にはなれません。そういう相手にしない態度がいやが上にも相手の反感を増していったと思いますが、仕方ない。悲しいけど、そういうねじ曲がった根性の持ち主の連中は経験的に一生直らないです。


「月夜の陰謀」
花山天皇の出家、歴史的に有名な事件ですね。「寛和の変」(かんなのへん)という名前がついているのは、かすかに憶えている。駿台予備校の古文の授業では、「大鏡」がよく題材として上がっていて、この花山天皇の出家の場面がとりわけ頻出だった記憶があります。この事件、結構見せ場が多い劇的な展開だったからかな。wikiから引用します。

寛和2年(986年)6月22日、19歳で宮中を出て、剃髪して仏門に入り退位した。突然の出家について、『栄花物語』『大鏡』などは寵愛した女御藤原忯子が妊娠中に死亡したことを素因とするが、『大鏡』ではさらに、藤原兼家が、外孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らしたことを伝えている。蔵人として仕えていた兼家の三男道兼は、悲しみに暮れる天皇と一緒に自身も出家すると唆し、内裏から元慶寺(花山寺)に密かに連れ出そうとした。このとき邪魔が入らぬように鴨川の堤から警護したのは兼家の命を受けた清和源氏の源満仲とその郎党たちである。天皇は「月が明るく出家するのが恥ずかしい」と言って出発を躊躇うが、その時に雲が月を隠し、天皇は「やはり今日出家する運命であったのだ」と自身を諭した。しかし内裏を出る直前に、かつて妻から貰った手紙が自室に残ったままであることを思いだし、取りに帰ろうとするが、出家を急いで極秘に行いたかった道兼が嘘泣きをし、結局そのまま天皇は内裏から出た。一行が陰陽師の安倍晴明の屋敷の前を通ったとき、中から「帝が退位なさるとの天変があった。もうすでに…式神一人、内裏へ参れ」という声が聞こえ、目に見えないものが晴明の家の戸を開けて出てきて「たったいま当の天皇が家の前を通り過ぎていきました」と答えたと伝わる。天皇一行が寺へ向かったのを見届けた兼家は、子の藤原道隆や藤原道綱らに命じ三種の神器を皇太子の居所であった凝華舎に移したのち、内裏諸門を封鎖した。

兼家、腹黒いな。道兼もな。

元慶寺へ着き、天皇が落飾したのを見届けたのち、道兼は親の兼家に事情を説明してくるという理由で寺を抜け出し、そのまま逃げて出家はせず、ここで天皇は欺かれたことを知った。内裏から行方不明になった天皇を捜し回った義懐と惟成は元慶寺で天皇を見つけ、そこで政治的な敗北を知り、共々に出家した。この事件は寛和の変とも称されている。出家にともない懐仁親王(一条天皇)へ譲位し、太上天皇となる。

この場面、駿台の桑原先生は哀愁を込めて語られていたのを思い出します。でも道兼を責めるわけでもない、何か人生を達観した趣きでした。きっと何か思うところがあったのでしょう。ああ、思い出したので追記します。道兼は後年、おそらく天然痘で死んだ道隆を受けて関白に昇任し、そのわずか数日後同じく天然痘で急死したのでした。まさに因果応報です。しかし出家した花山天皇は哀れと思うだけで、「おれを裏切った天罰だ。ざまーみろ!みちかね!」なんてお下劣なお考えを抱かなかったことでありましょう。


大鏡」をご存じの方は多いと思いますが、

文徳天皇が即位した嘉祥3年(850年)から後一条天皇の万寿2年(1025年)に至るまで14代176年間の宮廷の歴史を、藤原北家、ことに道長の栄華を軸にして、大宅世継(190歳)と夏山繁樹(180歳)という長命な二人の老人が雲林院の菩提講[注釈 2]で語り合い、それを若侍が批評するという対話形式で書かれている。

一体だれが「大鏡」を書いたのでしょうか?今調べましたが、作者不詳ですね。しかし、190歳の大宅世継(おおやけのよつぎ)180歳の夏山繁樹(なつやましげき)というあり得ない超老人コンビに、思う存分歴史を語らせています。藤原氏に忖度すると語ることができない史実を、堂々と述べています。きっと藤原氏の中でも傍流、あるいは藤原氏以外の貴族の筆になるものと自分は思います。上の「遠くの国」とは真逆ですが、権力に虐げられ理不尽な目に遭わされた者が乾坤一擲で書き上げたのでないかというのが、自分の推論です。花山天皇の出家は史実ですが、大石静は平安貴族を題材に取って、「ひとの心の醜さと気高さを多方面から描くこと」に成功していると思います。


 こうやってみると、大学受験で散々苦しめられた古文ですが、自分の人生に彩りを添えてくれたなと感じます。