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冬はつとめて 〜清少納言が見た早朝とは



立冬を過ぎ、3年ぶりに木枯らしも吹いてようやく冬めいてきました。しかし、来週はまた気温上昇するようで、相変わらずの温暖化傾向に不安を感じます。私は暑さが大の苦手ですが、寒いのは平気というか寒い方がきりっと身が引き締まり、好きです。気温上昇は来週限りにしていただき、あとはぐっと冷えていただきたい。


 最近日の出が大分遅くなり、今朝の出勤で到着駅に着く時間帯はまだ日の出してなかったです。夜の漆黒が淡いブルーになった明け方で、東の空が薄い金色からオレンジ色を帯出す感じでした。今朝は快晴で雲一つなく、このグラデーションを限りなく美しく感じました。そこで思い出したのが、冒頭の「冬はつとめて」です。清少納言の四季を愛でる枕草子のフレーズは中学の国語で習ったと記憶しますが、この「冬はつとめて」は当時ふーんとしか感じませんでした。だいたい冬の早朝なんて寒いじゃん。そんな寒い朝っぱらからわざわざ起きて、いちいち外見るのかといった感じでした。全然イメージできず、「春はあけぼの」との対比で真っ暗な空とか見上げていたんかいなとずっと思っていました。しかし、今となるとちょうど夜明け前のこのグラデーションを清少納言が見ていたのでないかと思います。「あけぼの」よりはもう少し早い時間帯で、太陽が昇りだして明るくなる前です。高層ビル群は黒いシルエットとなり、ブルーとオレンジのグラデーションを背景にくっきりと立ち並ぶのも美しく感じます。


 京都も比較的太平洋岸に近い地域なので、清少納言も冬の明け方の美しさに気づいたのでしょう。しかし京都の夜明けは東山越しです。京都ホテルに泊まった時、冬の京都の明け方を朝食時見ましたが、ちょっと狭苦しいというか東山の圧迫感がありますね。清少納言は京都を離れたことがほとんどなかったでしょうが、もし見るなら太平洋岸の明け方の方がもっと感動したでしょう。


 「つとめて」の語源が気になったので調べると、「つとに」と同じ語源だそうで、夙(つと)から来ていると書いてあります。「早く」という古語なのか。古文の授業は高校に入ってから本格化しましたが、大学受験まで含めて古文はずっと苦手でした。まず文法的な解釈ばかりが授業の中心で、何がおもしろいのか全然わかりませんでした。そして極めて狭い価値観と世界観がいやでした。「花」といえば「桜」。確かに桜の花は美しいけど、世の中には色々きれいな花が沢山あります。万葉集にはスミレの花や、カタクリの花の歌が出て来ますが、平安時代は桜一色です。植物が好きな私には、「花」といえば「桜」の世界が、とても息苦しく感じられました。


 しかし、今朝の「つとめて」を見て、「ふーん、清少納言の美的感覚は案外現代人に近いものだったのかも」と感じました。大学受験でいやいや勉強した古文ですが、少し復習してみるか。駿台古文の桑原先生の著作も最近古本屋から取り寄せていたので、空いた時間に読もうと思います。