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古典の授業は「無駄」? 〜私もイヤだった高校古文

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LASIAからの引用です。

お笑いタレントのカンニング竹山さんが同月25日(日)、23時30分から放送のTBSテレビ系のトーク番組に出演。その中で、「なくしたい無駄な時間」として古典の授業が挙がると竹山さんは共感。「古典が役に立ったと思ったことが1回もない」と見解を述べました。


 この内容をスポーツ紙のウェブメディアが翌26日(月)に記事化し配信。それがX(旧ツイッター)に転載された27日(火)以降、X上で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が展開されるに至った――という流れです。


だそうです。


Xでの議論、賛否それぞれの意見とは


 議論を追うと、「古典は無駄」に対して異議を唱える意見が優勢のようです。


・実用性は低くても知っていると楽しいことはある

・古典で「枕草子」を習ったからこそ「春は揚げ物」など語呂合わせを面白いと感じられる

・教養は役に立つというより人生を豊かにしてくれるもの

・“芸能”人にとっても古典はネタの宝庫なのでは?

・誰にも役立つことしか学ばなくなると世の中が殺伐としそう


など、役に立つか否かで判断する尺度を疑問視する声や、教養として身に付けているからこそ視野や視点が広がるといった意見が多く見られました。


一方で、「古典は無駄」について一定程度の理解を示すアカウントも少なくありません。


・「役立つかどうかでない」のは、どの教科も同じ。優先順位は付けるべきで、古典漢文は必修ではなく選択科目にする時期では

・現実的に授業時間が有限の中で「情報」などの履修科目が増えるなら必然的に何かを削らざるを得ない

・「春は揚げ物」が理解できる程度のメリットしかないなら廃止すべきでは?

 へー、そうなんだ。私は高1で習い始めた「古文」の授業が苦痛だった。まず何がおもしろいのか、さっぱりわからない。まず古文の先生は、「古文で「花」といえば、桜の花のことです。」と教えてくれました。はあ?なんで?だって、世の中には色々な植物があり、色々な花がある。植物好きな私にとって、それぞれが興味深く、色や形についていろいろ詮索したいが、平安時代花が咲く植物は桜しかなかったのか?「桜の花」について年から年中論じたり詩歌を詠んでいたのか?つまらんよのーです。


 次にイヤだったのが、文法。授業では書かれている文章の内容説明は主でなく、ひたすら文法的な分析ばかり延々と語られ、まったくおもしろくない。物語や詩歌としてはそれなりにおもしろい題材だったと思うけど、成立の事情とかはほぼ語られることなし。


ではヤフコメはどうか。

dar********5日前


古典を生業にしてる人や研究者へのリスペクトが全くない無神経な発言だと思いました。

古典に限ったことではなく、学校の授業で学んだことで興味を持ちそれを突き詰めていこうと自分の将来を決めた人だってたくさんいる。何が将来役に立つか、どんな道を選ぶかなんて分かるわけがないので学校で広い範囲の物事を習うのはきっかけとして必要だと思います。

はあ?なんで関係ないひとまで古典研究者をリスペクトしないとならんの?突き詰める道はいろいろあります。だからといって、そのすべてに理解を示す必要もない。あなたの趣味を他人に押し付けるな!


shi********4日前


人それぞれ興味あるものは違ってくるのでそのきっかけになる意味で必要なんだと思います。今の私は理科がほとんど役に立ってないです。星をみて、オリオン座やカシオペアがわかる程度。数学も暗算が早いくらいで。

ただ漢字は1番身近に役に立ってる気がします。

古典は京都に行った時に日本史とともに知識として役に立ってる気がします。

どの科目も中学くらいの知識は身につけていた方が会話やら何やらで必要なんじゃないかと。

その後、自分の好きな道を選んでいけばいいのだと思います。

古文の知識が役に立つとか立たないとかはとりあえずどうでもよし。興味を持てるか持てないかの方が、自分にとってずっと重要です。まずはおもしろく教えてください!漢字は欧米のひとには役立たない知識ですから、普遍性なしの意見。



pri********5日前


古文や漢文が得意だった側の人間です。

こうした意見が出てくる背景には、文法中心の指導があると思います。

文法は古典を理解するための手段であって、目的ではないはずですが、記憶では(いわゆる進学校でも)時間の多くを文法に割いていたと思います。

グローバル化の時代、古典を学習する目的は伝統文化の理解のはずです。折しも大河ドラマで国風文化を取り上げていますが、当時の文章に触れることで理解できることは多いはずです。

ぜひ時間をそういった古典経由での理解に割いてほしいと思います。

そう!これよ、私が言いたいのは。

okutichaqq5日前


自分が教わった古典の先生は、英語のグラマーのように文法を解説して翻訳していく方法だったのですが、たまに代理で来るベテラン先生は、もののあわれを高校生が興味を引く言葉で説明してくれて、先生によってこうも違うものかと感じました。古くからある町並みや観光地、海や山など、昔と変わらぬ風景を、カメラもない時代に読み手に伝える言葉はとても情緒があります。日本はサブカルが数多流行っていますが、古くから続くものも絶えず学んでいくのも、長い人生の楽しみになるかもしれません。英語は翻訳機にまかせればよいくらいの時代になったと思います。古語は、今あるものしかありませんから、歴史を学ぶように一般教養として続いていけばいいなと思います。興味を持たなければ社会人になってふれる機会もないままになる科目です。なくすのは簡単で、今度また教える人もいなくなってしまったら勿体ないと思います。

そうね、高校教師もピンキリなのでしょう。私は不幸だったのかもしれない。しかし、そういう文法中心のつまらない授業になってしまうもう一つの理由として、大学受験の古文があるかもしれないと今は感じます。その方面のコメントは少なかったですが、ありました。

yam********4日前


歳取って思い返してみると、学校のカリキュラムはかなり工夫の余地があると思いますので、これを機会に議論が活発になるのを期待します。

これは私の単なる印象ですが、今のカリキュラムは大学で官僚や研究職を養成するにあたって、大学に来るまでにはせめてこれくらは習得してくれてなければ困る、ってことをベースに組み立てられているような気がします。そうでない人にとっては、また違ったカリキュラムのあり方があるのでは、と思います。


古典の授業について個人的に思うところを書きます。古典に触れることができたのはいい経験でしたが、古文の文法の学習はなくてもよかった。古典の時間はもっと少なくてもよかったと思います。

sow********5日前


受験対策での古典はツラい方が多かったのが

正直なところですが、

それから解放されると面白さや発見もある。


1000年経って文明も全く違うのに、

人の愚痴や悩みは現代とほとんど変わらない。

どんなに科学が発展しようが、

人の思いは変わらないという事に

ロマンを感じます。


本格的に古文書を読むとなると大変ですが、

日本人が繋いできた願いや悲しみ喜び等が

今にも伝わっているし

古典文学をきっかけとして古都を旅すれば

より深く楽しむ事も出来ます。


古典は現代人にとって

難解なのは間違いないですが、

歴史を追体験出来るツールです。


そして日本語のルーツも解るのだけれど、

やっぱり歴史好きの

上級者向けなのかも知れない。

私の場合、古文「文法」教師に習ったので、古文はまったく好きになれない教科でした。そして浪人して、駿台予備校。桑原先生は良い先生だったと思うのですが、駿台の授業の問題は、すべて大学入試の過去問です。従って古文の色々な部分が細切れに出てくるので、系統的な古文の学習はやはりできません。そして解説される設問はやはり文法関係が大半でした。それでも、高校の授業よりはだいぶましだったかな。


 一番多いコメントは、「古文は実利として役に立たなくても、教養として必要でないか」です。

tak********4日前


学校の勉強は全般そんなもんじゃないのかな?その人に学ぶ意識があるかどうかで、変わって来ると思う。同じお寺を歩いて回っても、建築様式に興味を持つ人や、歴史的背景に興味を持つ人、そのお寺に関わった人物に興味を持つ人、そして何も感じない人、色々いるでしょう。この場合、何も感じなかった人以外は、学校の勉強が少なからず役に立ったと考えると思う。

なので自分の尺度だけで役に立たなかったと言うのは、自分の学習意欲が低いですと宣言しているだけに聞こえます。


net********5日前


「なぜそれを学ぶのか」という問いに、学ぶ側も、ヘタをすると教える側の一部も「テストで好成績を獲得すること」という解答以外の考え方を持てなかった結果が表出する具体例が、こうした不要論なんじゃないだろうか


語彙力を増やす、文化のルーツを知る、現代に生きる自分たちとは異なる思想に根ざした文化に触れる、というのはいずれも応用の幅が広く、それらを包括的に学ぶことができるのが古典、漢文という科目なのだと思う

芥川龍之介の著作に古典や漢文から換骨奪胎したものが多いことなんかは好例で、自身の価値観を構成する過程で思考を深める素材としても有用なところが多い


自分の生き方を定めた後で、そのための専門的な知識技術に特化した修得を目的とする大学、専門学校以降では重要度が下がる、ということなら理解するけど、それ以前で省くのは損失が大きいと思う

???****5日前


竹山さんはそういうキャラのタレントだから役に立たなかったのでしょうが、たとえばタモリさんとか他のタレントさんとかだと役立てている人も多いと思う。私も古典は生活必需の知識ではないとも思うが、それでもお正月に百人一首カルタする時やそこに出てくる場所に旅行に行った時とかに興味や楽しみも、知らない場合より断然増していることがよくあるから、学んでおいてよかったと思っている。

ちなみに音楽のリコーダーとか数学のサインコサインとか、その後私の人生で使うことはなかったしこれから使うこともまずないと思うけれど、習わなくてもよかったとは思わない。

ただもしその時もっと他のやりたいことが絶対的にあって、これらを学ぶことでその時間が取れずにいたとかなら学ばない選択をしてもいいとも思う。ただそこまでのものがまだないなら、古典とも幅広く学んでおくことは良いことと思う。

qzj********5日前


今まで役に立ったことがないから無駄なんて言ってたら、役に立つ教科は1つもなくなるんじゃなかろうか。

日常生活で物理を役立てたことがない人もいれば、美術なんて腹の足しにもならないと言う人もいる。

問題は将来使うかではない。

自分の好きなもの、向いているもの、興味を引くものの選択肢を広げるために必要かどうかだ。

たしかに少ない授業時間を受験対策や、将来役に立つ教科に振り分けるべきだという意見も一理ある。

でも何万人に一人でも興味が湧いて研究者になったり、新しい発見でもあれば、その授業は役に立たなかったとは言えない。

何でも自分基準で考えるのは視野が狭いと思う。

最後のコメントで


「でも何万人に一人でも興味が湧いて研究者になったり、新しい発見でもあれば、その授業は役に立たなかったとは言えない。何でも自分基準で考えるのは視野が狭いと思う。」


はどうかな?時間的余裕が十分にあるなら、すべてのことにチャレンジしてあれこれ知るのはとても良いことです。しかし、高校は普通3年間しかないんですよ?ご自分でも書いているように、限られた時間で、全員に対して無限に可能性を探り続けることは不可能でないでしょうか?新年度から「情報」も共通テストに加わり、多くの国立大学でその受験を必須としています。そんなに何もかも高校生に詰め込むのは、教育現場を知らない者の理想論としか思えません。役に立つとか立たないとかはどうでもいいが、視野が狭いと批判するのは、見当違いです。


コメントで一番筆頭に出てくる石川一郎氏のコメントに一番すっきりしました。


石川一郎5日前

学校改革プロデューサー


古典の授業はやった方がいいと考えます

何故なら日本の文化の成り立ちに触れることができるからです。昔の日本の人たちがどんなことを考えて生活をしていたのかを考えるきっかけとなる授業なので、授業がなくなれば歴史の時間で触れることはあるかもしれませんが、時間がかなり減ってしまうのではないでしょうか

それと、古文にしても漢文にしても日本語の成り立ちを理解するには、そのリズムなどを読み取り、言語の奥行きを感じる機会ともなるのではないでしょうか

ただ、多くの人の「古典は無駄」の議論はわかります。それは文法事項に授業でこだわる習慣ではないでしょうか。定期テストなども文法事項が多く出題されがちで、どうしても苦手な人には古典嫌いになりやすいと考えます

また、共通テストなど「初見」の古典の文章を読み解くのは、けっこう難しく、ここで問われる能力が生きていく上で必要か、というと疑問な点は正直あります