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留置場の弁当が原因で「脚気」 〜すぐ診断できてよかった

ペラグラ 〜「ファミリーヒストリー・草刈正雄」
栄養学を拓いた巨人たち 〜栄養学・医学の学生に読んでほしい


「AERA dot.」にこんな記事が出ていました。

男性の弁護士などによると、男性は2017年11月に詐欺容疑で逮捕され、川口警察署の留置場に勾留された。その後、18年5月ごろから手足のしびれ、筋力の低下、腹部の異常を感じるようになり、次第に歩行が困難になった。

そして男性は18年8月15日、手足がしびれたり、力が入らなくなったりする「ギラン・バレー症候群」の疑いで同県川越市内の病院に入院。翌16日には容体が急激に悪化し、いつ心臓が止まってもおかしくない状態に陥ったという。

 そんななか、男性の血液中のビタミンB1濃度が低下していることに医師が気づいた。すぐに補充を開始したところ、17日には全身状態が改善。1カ月後には退院することになった。

 診断された男性の病名は「脚気心、ビタミンB1欠乏症」だった。

そして、男は県を訴えたそうです!

男性は、勾留中に出された弁当のビタミンB1不足によって脚気になったとして、県を相手に1000万円の損害賠償を求めて提訴。さいたま地裁の沖中康人裁判長は男性の請求を一部認め、慰謝料など55万円の支払いを県に命じた。

 判決は、ビタミンB1の不足が脚気の原因であることは広く知られているとし、「(県警が)注意義務を怠った」と結論づけた。

この記事Yahooニュースだったので、ヤフコメが沢山ついていました。読んでまずびっくりしたのは、「ブタ箱入りをくらって臭い飯を食った経験者」のコメントがすごく多かったこと。ふーん、やはりヤフコメ族は世の中のスタンダードとはかなり違うひとたちなのかな?留置場の「官弁」は刑務所とは違って栄養管理されてないようです。元々長く留置されることは想定されてないのでしょうが、それにしても白いご飯とコロッケばかりとは。しかし、wikiを調べてみると

世界的な視野で観るならば、脚気は現代においても、拘置所や刑務所などの監獄において頻発する疾患である。1999年には、中華民国の拘置所において脚気が流行した[8]。2007年には、過密収容であったハイチ刑務所で発生し、その発病率および死亡率の高さは、調理前に米を洗うという伝統的な慣習が原因であった。コートジボワールにおいては、重度級の囚人たちは、その64%が脚気となっていた。

となっており、ブタ箱の食糧事情の悪さは世界共通のようです。脚気で死亡するのは、後述する心不全からくることが通常です。


 ヤフコメでは「森鴎外と脚気」についてもかなり書かれております。職業人としての鴎外は軍医として成功した部類かもしれないけど、医学者としては「失格」だったことはよく知られているようです。また「江戸患い」として、白米が庶民でも自由に食えた江戸での脚気はやりも、かなりコメントされていました。しかし中には

警察で出される食事は「臭い飯」だと思っていたら、ホカホカ白米なんですね。埼玉だけの問題なのかな?一人だけの話しで、裁判に勝つなんてどうなってんだ?なんか変な話だと思う。もっと知られたくない事情が警察にあるのかしら?後半のビタミンの話しとの違和感が半端ない…

留置場の給食、いわゆる官弁は1年に2回のカロリー検査があるはずです。もしかしたら、その検査のときだけ合格するように弁当を作らせていたかもしれないですね。

悪質なクレーマーとしか思えん笑笑

確かに質は良く無いが3食食える訳だし、昼には必ず味噌汁は出る、週一で具合悪い時は署内まで来て診てくれる医者が大概の薬は出してくれるし。

毎朝その日の昼飯を官弁か自弁か選べるし自弁の中には野菜ジュースやビタミンジュースなどもある。

留置金が無ければそりゃ買えないが、3食官弁でも他の人は脚気になる人なんて居ないだろう。

などという、とんちんかんなコメントも散見されました。ご飯がホカホカだろうが古くて臭う冷や飯だろうがビタミンとは関係ないし、カロリー検査も関係ありません。具合が悪いから医者にかかって「脚気」とわかったんだろ?


 このひとの場合、留置場に入れられる前から栄養状態が悪かったからでないかとのヤフコメの推測がありますが、これは当たらないと思います。ビタミンB群でもB12の不足は約半年くらいしないと症状として出ませんが(巨赤芽球性貧血)、他のビタミンB群とはまったく違う生化学作用(核酸の塩基合成)がB12にはあります。B1を含めた他のB群は主にATP産生のエネルギー代謝と関係し、消耗が激しい補酵素です。従って入所前の栄養状態は直接関係なく、入所後の食事による不足で徐々に悪化していったと思います。ちなみに以前脚気の原因になるとよく言われたカップ麺やインスタントラーメンには、最近ビタミンB1が添加されているのですね。これはこれらラーメンの偏食で脚気がよく起こったための措置だという事を、ヤフコメで初めて知りました。調べたらヤフー知恵袋に以下の回答が出ていて、勉強になりました。

小麦粉を主原料としているインスタントラーメンは、ごはんやパンと同じように、炭水化物の含有量に対し、カルシウム、ビタミンの含有量はさほど多くはありません。そのため、インスタントラーメンは、不足しがちなビタミンB1、ビタミンB2、カルシウムの3つの栄養素を強化しています。(日清食品)

昔、私が学生だったころ、インスタントラーメン+コーラという食生活を普通にしていた大学運動部の部員を中心に、若年層に脚気が多発して社会問題になりました。インスタントラーメンは健康に悪い、という事になってしまったのでそれを懸念した各社が、以後ビタミンB1などを添加することによってその批判を回避しようとしたのです。

つまりは、過去の教訓に鑑みたメーカーの対策による添加です。

 ビタミンB1は化学的にはサイアミンのことです。補酵素としてエネルギー代謝に重要で、特に解糖系からクレブス回路へのアセチルCoA供与に貢献します。クレブス回路はATP産生の主要な場で、アセチルCoA供与が不足すればATP産生が減ります。ATPが不足すれば、身体のすべての細胞で不調となるはずですが、脚気に特徴ある症状はあります。食欲不振や全身倦怠感から始まり、次第に下肢浮腫や感覚低下、動悸、息切れ、感覚が麻痺するなどです。さらに進行すると手足に力が入らず寝たきりとなりますが、これが上記のように「ギラン・バレー症候群」を疑われた理由でしょう。容体が急激に悪化し、いつ心臓が止まってもおかしくない状態に陥ったのは、いわゆる脚気衝心(かっけしょうしん)で、心不全が始まったからでしょう。よかったですね、死なずに助かり、ちゃんと裁判を受けられて。


 これとは別に最近医師向け会員サイトに、「病院で「緊急性なし」とされた摂食障害に、まさかのウェルニッケ脳症」という臨床報告が出ていました。ウェルニッケ脳症は脚気と同じくビタミンB1不足で起こる脳の病態で、急性に起こります。道玄坂ふじたクリニック 藤田基先生の報告です。

10代の摂食障害がある女性で、極度の痩せで診察を受けました。

外来で拝見すると、BMI 11.6(学校保健統計の身長-体重曲線から計算した標準体重より-41.5%)の高度な痩せ。初診の面接を座位で始めて約10分後にふらつき、嘔気を訴えたため、低血圧または低血糖と判断、仰臥位にして親子を説得して、採血の上、緊急入院としました。後は病棟の先生にお任せして、いつもの外来を続けることとしました。

 その日の夕刻、患者の様子をみるため小児科病棟を訪れると、歩行時に周りが揺れて見えると言います。これは数日前からあるということでした。眼球運動を診ると、両側側方視で水平眼振がみられました。記憶を含めた認知機能にも、歩行にも問題はありませんでした。また、眼球運動に制限が生じてなかったため、恥ずかしながら、この時点で直ぐにウェルニッケ脳症を疑うことができなかったのは反省材料です。過去に摂食障害の入院症例を診ていた時には、100人程度の重症例を診たにもかかわらず、摂食障害でウェルニッケ脳症を診たことがなかったことが油断に繋がりました。

〜中略〜

何もないのに眼振が生じるわけもなく、帰宅してすぐに書籍などで確認すると、眼振はウェルニッケ脳症の初期によく現れる症状であるとの記載がありました! 大慌てで病院の当直医に電話して、ビタミンB1の大量投与をお願いしました。昼間から判断できていれば、消灯時刻に当直医を騒がせなくともよかったはずで、多数の摂食障害重症例を診てきた身としては猛省です。ビタミンB1を500mg点滴してもらった結果、朝の診察時には眼振も歩行時の動揺感も消失していたそうで、ホッと胸を撫でおろした次第です。

アルコール依存症の患者で起こるウエルニッケ脳症は有名ですが、摂食障害でも起こるのか。藤田先生は、ウエルニッケの3徴である「眼球運動障害、運動失調、意識障害」がそろわないケースもあることを強調されていました。もし、この患者ですぐビタミンB1投与をしなければ、コルサコフ症候群になったでしょう。コルサコフ症候群は、脳各所の壊死で起こる記憶障害を中心とする不可逆的な(治らない)脳病態です。「記銘力障害、失見当識、作話」の3徴です。最後の作話ですが、記憶が欠けているために(主に短期記憶)、過去の話を適当に辻褄合わせするために起こると言われています。


 脚気もウエルニッケ脳症もビタミンB1不足で現れる病態ですが、2つは違う病態です。ウエルニッケ脳症は急性に見られると言いますが、その発症前から代謝がかなり下がった状態が継続していることが通常のようです(上記のような摂食障害あるいはアルコール依存症などで運動不活発な状態)。従ってB1不足も実はかなり進行した状態で、一旦病状が出てくると脳の不可逆的変化までが早いと感じます。それに対して脚気は通常の代謝状態で発症するので、比較的軽度な症状から順を追って暫時悪化していくと見えます。