gillespoire

日常考えたことを書きます

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ヒメジ 〜美味なる魚

crevettes grises 〜北海で獲れる「灰色の小エビ」
Omble chevalier 〜スイスから来た高貴な魚


今月の日経夕刊の文化欄の「こころの玉手箱」という随筆コラムで、四方田犬彦が担当していた週がありました。その3回目で、イタリア・ボローニャの夜市で買ったというナポリの魚屋さんのミニチュアが紹介されていました。


市場の魚屋さんには、赤身や青身のさまざまな魚が並んでいる。アンコウやエビもあれば、ムール貝、それに胴体をブツ斬りにしたマグロまで置かれている。場所はナポリだろう。背景に大きな山、つまりヴェスヴィオ火山が描かれているからだ。店の主人は俎(まな)板を片手に忙しそうだ。


この人形を見ていると、ナポリの下町の喧噪(けんそう)が心に蘇(よみがえ)ってくる。とりわけ朝の光景だ。なかなか言葉が聞きとれない。いわゆるナポリ語だからだ。でも人はとても親切で、ピザ屋の場所を尋ねるとわざわざ連れて行ってくれたりする。今度はいつ、行けるかなあ。

さて、魚屋ミニチュアですが、私は左下の赤い魚に惹かれました。ちょっと画質が粗くてはっきりわからないが、これ「ヒメジ」じゃないかな?



 ヒメジはフランス語でRouget barbet(ルージェ・バルベ)といいます。「ヒゲがある赤魚」といった意味でしょう。確かに口ひげというか下唇の下に1対の触角器官があるのが特徴です。パリなどのマルシェではこのヒメジが必ず置いてありました。しかし、あまり美味そうに見えません。氷の上に置かれた小型の魚体はなんかぐったりしていて鮮度が良い感じでないし、小骨が多そうな感じです。しかし、必ず置いてあるところを見るとフランス人が好むのだろうと思いました。日本人にとって「赤魚」といえばまずタイですよね。フランスでもタイ(Daurade ドラド)は売っていて、そちらは時々買いました。鮮度もそこそこ良いのでフィレで捌いてもらって、家で刺身にして食べました。まあまあの味だったかな。なんか身が赤黒い感じで日本のタイのような白身とは違います。目が割と大きいので、日本のタイよりはもう少し深海に棲むのでないでしょうか。



 閑話休題。そのようなわけで、パリではとうとうヒメジを1回も買うことなく、帰国しました。帰国から数年以上経った頃、都内のイタリア料理店で食事した時「ヒメジのグリル」がメニューにありました。フランスのことを思い出して、「どんな魚かな」と思って注文しました。出て来たグリルはフランスのRouget barbetより相当大きく、切り身でグリルされていました。さてお味ですが、最高でした。軽い白身でありながら脂も乗っていて、今まで味わったことがない魚でした。「ああ、フランスでは惜しいことをしたな。どんな味だったか試しておけばよかった。」と後悔しました。


 前も紹介したパリの日本語新聞のOVNIを検索すると、このヒメジのことが出ていました。少し引用します。

Rouget barbet

ヒメジは、フランスでは地中海、大西洋沿岸のあまり深くない砂底に生息する朱色が美しい小さめの魚で、淡白な白身に深い味わいがある。フランスでは高級魚の一つで、魚の肝はほとんど食べないフランス人も、この魚の肝だけは好物の人が多い。2本の長いあごひげがあって「barbet」という呼び名になるのだが、このひげが感覚器で、砂の中の小ガニや小エビを探りだして食べている。フランスの調理法としては、から揚げ、フライパンで塩焼き、エスカベーシュ(南蛮漬け)、包み焼きなど。カルパッチョもおすすめだ。

うーん、これは損した。タイよりヒメジを買うべきだった。今度フランスに行く機会があったら、必ず注文します。


 実は、ヒメジは今から2000年前の古代ローマでも珍重された魚種だったことを、あとで知りました。新谷隆史さんという方がブログで、古代ローマのヒメジを紹介しています。そこを引用します。


古代ローマで最高級とされた魚が「ヒメジ」だ。世界各地にヒメジ科の魚はいるが、すべてに共通するのが長い口髭を持っていることで、これを使って海底でエサを探す。この風体から日本では「おじさん」と呼ばれるヒメジ科の魚がいる。日本のヒメジ科の魚は大きくなっても体長が20~30センチメートルほどだが、北大西洋や地中海のヒメジは少し大きく、40センチメートルほどになるそうだ(ストライプトレッドマレット、下の写真)。この魚は今でも高級魚としてヨーロッパで食べられている。

ローマ帝国の第2代皇帝のティベリウス(在位:西暦14~37年)は、市場で3尾のヒメジが3万セステルティウスで売買されたと聞いて嘆いたと伝えられる。当時のローマ兵の年棒が1000セステルティウスくらいなので、これを100万円とするとヒメジ1匹で1000万円という計算になる。日本人もマグロの初競りで1億円以上の値段をつけるのを考えると、古代ローマ人と似ているところがある。

古代ローマの調理法を集めた「アピキウス」には、コショウと蜂蜜、セージ・ミント・クミンなどのハーブで風味付けし、オリーブオイルとワインで焼き上げたヒメジの料理が記載されている。このように、古代ローマでは風味付けにたくさんの調味料やハーブを使っていたらしい。一方、その前の時代の古代ギリシアでは素材の味を生かした料理が好まれ、せいぜい塩とオリーブオイルで風味付けをするくらいだった。時と場所が移ることで、より手が込んだ料理が好まれるようになったようだ。

ええー!そんなに高価だったのか!今どこにあった記載かはっきりしないのですが、私が読んだ本では「古代ローマ時代、ヒメジの養殖場があった」と書いてありました。こんな陶板の古代ローマのお皿もあります。


説明には
Sur cette assiette sont nettement identifiables un sar, un rouget barbet et un flet ou limande-sole... tout poissons appréciés des Romains pour leurs qualités gustatives.
ヒメジは左下ですね。上のsarはクロダイの一種、右下のlimandeはカレイの一種で、古代ローマでは味わうべき美味とされていたと説明されています。現代のフランスでもまったく同じで、よくレストランで見掛けます。


 上の新谷さんの記載と違って、日本のヒメジ属にはかなり大きな魚体になる種類もいます。市場に出る魚貝類のカタログを作成している「ぼうずコンニャク市場魚貝類図鑑」をみると、
オオスジヒメジ
オキナヒメジ
オジサン
コバンヒメジ
タカサゴヒメジ
ホウライヒメジ
マルクチヒメジ
ミナベヒメジ
リュウキュウヒメジ
など、大型の魚種が紹介されています。厳密にいうと、これらはヒメジ属でなくウミヒゴイ属ですが、魚体はよく似ています。


 再びOVNIの記載を引用します。

ヒメジは、シンプルにフライパンで焼くとそのおいしさが生きる。魚屋に頼んで、頭を残して、うろこをとってはらわたを抜いてもらうのだが、肝は持ち帰る。その肝を腹の中に戻し、両面に軽く塩、コショウ。塩は粗塩や塩の華にしたいところだ。

そうです。パリの魚屋でも、ヒメジの本体の横に肝臓だけ取り出して、ちょこんと添えてあることがよくありました。あれの肝は、よほど美味しいのでしょう。返す返すもものをよく知らず、損をしました。四方田さんはイタリアでヒメジを召し上がったでしょうか。ちょっと観光で訪れるくらいでは、つい見逃してしまいそうな魚です。しかし、上記のイタリア料理店は別として、日本の魚屋でヒメジを売っているのを見たことがありません。美味しい魚なのは確かなんですが、不思議だなー。