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阪大医学部の入試漏洩事件2 〜大阪大学の狼狽


(写真は大阪府中之島にあった旧大阪大学医学部と附属病院。「白い巨塔」のモデル当時)


阪大医学部の入試漏洩事件1 〜身の毛もよだつ戦慄の展開
阪大医学部の入試漏洩事件3 〜一体何処で漏れたのか
阪大医学部の入試漏洩事件4 〜不正入学者たちの命運
阪大医学部の入試漏洩事件5 〜当時の大学偏差値
阪大医学部の入試漏洩事件6 〜医学部入学に狂奔した親たち
阪大医学部の入試漏洩事件7 〜同級生の証言
大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年)1



この時の状況は、阪大医学部の関係者の証言をネットで見つけることができます。姜旭生の血まみれ死体が発見されてからわずか数週間後ですが、まさに今の時期、国立大学の入試直前です

昭和46年2月中旬ある日の午後、私は庶務部長から部屋に呼ばれ、部屋に入って突然「警察から阪大の入試問題(英語)が漏れていると、総長に通報があった」と告げられ、突然頭から冷水を浴びた思いがした。43年度から45年度にまたがって漏れていたと言うことは、私が教務掛長をしていた時期と同じなので、一瞬言葉に詰まってしまった。しばし瞑目して、その頃の入試事務全般に思いを巡らせてみたが、問題が漏れるような事務の手落ちは絶対に無い。問題は刑務所で印刷、問題の受取り、保管、試験場への搬送、どれを取っても自分が責任を持って十分監視をしていたし、保管庫の管理も万全を期していた。また教務掛は勿論のこと、応援の他掛の

職員にも不審な点は一切見当たらない。

私は庶務部長に「入試事務は多くの人手を借りていますが、断言はできないけれど私の見るところでは、事務から漏れたということは絶対ありえません」と一応は答えた。

明日警察官が、当時の担当者に事情を聴きたいと言っているので、千里阪急ホテルを予約してあるから君一人で会ってくれ。またこのことは、総長、事務局長と私以外は誰も知らない。入試準備が始まっているので、庶務課長にも黙っているように」と釘をさされた。

入試不正は大学関係者として、非常に動揺することです。入試作業はマル秘中のマル秘で、学内でも関係するごく一部の関係者しか知らないことですから。続きます。

その頃は2月1日から入学願書を受付け入試の事務が始まっていた。これは自分一人で何とかしなければ漏れては大変なことになると、一人であれこれと思いを巡らせ「漏れたという問題のコピーと保管してある問題紙を照合して見ることが先決だ」こう思い付いて明日警察官がくる時に、漏れた問題紙のコピーを必ず持参するように連絡してもらった。

私は学術掛長に異動していたので、教務掛長に庶務部長から頼まれたといって、鍵を借り明日持参する年度の英語問題紙を倉庫から持ちだした。その夜はどう鑑定すればよいかとその方法を考えながら、過去に某国立大学の教務課職員が問題を漏らしたことがあって、学長までが辞任されたと聞いていたので、まさか本学でそのようなことは?と気掛りになってなかなか寝付けなかった。

翌朝は9時にホテルのロビーでそれらしい私服刑事二人に会い、予約してある一室で向かい合った。西成警察署の殺人捜査本部の刑事であった。1月31日に起きた殺人事件から、ひょんな駒が飛び出して入試問題の漏洩が発覚し、大阪市立大学の問題も漏れているとのことであった。早速両問題紙を照合してみると内容は全く同様である。しかしコピーに何か違いはないかと落ち着いて注視してみるとその違いが分かり、急に涙が出そうにな

るほどに安心した。コピーされた問題紙は本物より幅広く、本物をコピーしたものであれば、製本の裁断面の線が薄く付くがそれが無く、綴じたホッチキスの穴も小さいが付いてもいない


 当時のコピー機は今ほど高度ではなかったが、それでも鑑定するには充分であった、すぐに具体的に相違点を説明して、「これは大学内から漏れた物ではありません」声が多少上ずってはいたが確信を持ってそう断言した。刑事も納得してくれて穏やかな言葉使いに変わり、それからは入試のシステム等について交互に質問があり、昼食をとってからは気持ちも落ち着いて、質問には余裕をもって説明できた。

事件はまだ解決していませんが、とりあえず大学側の嫌疑は晴れました。しかし、それまでこの大阪大学の事務の方が、警察から執拗な追及に遭っていたことが推察されます。


「オイコラ!、とぼけたこと言ってんじゃねぇぞ、テメエ!大人しく白状せんかい!おくさんもこどもも泣いてるぞ。」とか散々絞られたんじゃないでしょうか?


 母校でも司法解剖の時は、警察関係者が立ち会いで大勢来ることがあります。殺人だと思われる時には、鑑識課以外にも捜査一課みたいな殺人や暴力団といった極悪犯を扱うところからも刑事や警部が来ます。彼らの目つきはメチャクチャ怖いです。目が笑ってないといいますかオオカミみたいな鋭い眼光で、一般人などあの視線を浴びたら、イチコロです。僕は在学時、法医学解剖室の隣りにある風呂をよく使わせていただきましたが(汗)、そういうところで遭遇することがありました。ガタイもすごいし、目つきもタダモンじゃないですから、ついビクビクしてしまいます。「済みませんです。何でも白状しますから、どうか許してくださいぃ!


えん罪事件が起こる背景がよくわかりますわ。続きます。

その後がまた色々あって、捜査本部から庶務部長を通して、度々入試システムの参考資料の要請があり、そのつど庶務部長に頼まれたと断って、教務掛のロッカーから書類を持ち出し、会議室で提出資料を作成した。そして出来上がった資料は庶務部長に目を通してもらって、翌日指定された場所に持参した。資料の受取りと説明の聞き役は、捜査本部長(府警捜査第一課課長補佐の警部)で、手の空いている私が来たと、微笑を浮かべた貫録のある方であった。時々会う場所は案外人目に付きにくい、ロイヤルホテルのロビーでコーヒーを飲みながら、さり気ない雑談の様子で話すのである。時折大学に資料を頼んでいるからと、捜査の進行を話してもらえた。

また捜査が一段落した頃には、大きな紙に図示表記された、全てを計画した主犯者・共犯者・仲介者、それに医・歯学部を受験した者・合格者等約30数名の名を書いたものを広げてさらっと見せてもらった。私はあまりの多数なので茫然と眺めるだけであった。でもまだ捜査内偵続行中とのことなので、仲介者の中に本学の関係者がいるのかどうか、気掛かりで心配でもあった。入学試験が終るまで、この捜査本部の発表は極力抑えられていたが、3月5日試験終了と同時に西成警察署で記者発表があって、夕刊の新聞・テレビ放送で一斉に報道された。学内は勿論のこと世間もこの事件で大騒ぎになった。

このようにして、昭和46年度の国立一期校(大阪大学を含む)の入試終了を待って、事件は公となりました。