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日常考えたことを書きます

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阪大医学部の入試漏洩事件1 〜身の毛もよだつ戦慄の展開

阪大医学部の入試漏洩事件2 〜大阪大学の狼狽
阪大医学部の入試漏洩事件3 〜一体何処で漏れたのか
阪大医学部の入試漏洩事件4 〜不正入学者たちの命運
阪大医学部の入試漏洩事件5 〜当時の大学偏差値
阪大医学部の入試漏洩事件6 〜医学部入学に狂奔した親たち
阪大医学部の入試漏洩事件7 〜同級生の証言
大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年)1


今年度の受験シーズンも国立大の前期入試が目前となり、受験生はいよいよ正念場を迎えます。自分がこの時期どうだったか。今でも覚えているのは、3日前から39度の高熱になってしまったことです。「インフルエンザですね」と言われて解熱剤を打ってもらったものの、試験まで勉強どころか吐き気で寝たままでした(直前唯一の外出機会だった慶應医学部受験の時もらったと思う)。試験場もたどり着くのがやっとで、ふらふらでしたね。しかし、鬼門の数学で自分でも信じられないくらいの底力を発揮しました。第一問、第二問は何とか解いたが、第三問で行き詰まりました。全部で五問ありましたが医学部の二次試験はハイレベルの争いになるので、最低でも6割は解ききらないと合格が覚束ないです。この第三問は骨子を簡単に言うと、指定された区間(両端を含まない)で関数Aが関数Bより常に値が大となるように係数条件を決める、数III極限値の問題でした。一見では解法の糸口が見えません。うーん、また駄目かなと弱気になりかけましたが、ふと駿台予備校で習った解法を思い出しました。うまく応用できるかも。区間両端に近づく間の極限を展開した微分でまず必要条件を探り、両端以外の区間は十分条件で押して係数条件を求めました。しかしその方法で求まるのか確信はまったくなく、もし失敗だったら最早やり直す時間はありませんでした。難関大の数学だと、解くのに思考実験が必要なことがよくあります。難しくてもあれこれ試していたらいずれ解法の見当が見えて来ますが、入試だと絶対的に時間が足りないです。どれが当たるか、運としか言えないことも入試数学だとよくあります。かろうじて解に達しました。その年の5月になって「大学への数学」の入試講評を見たところ、この第三問は「今期の大学入試でもっとも難しい問題だったのでないか」と出ていました。捨て問だったのかもしれないが、あの問題に食らいつく気迫がなかったら、合格はなかったと今でも思います。


 受験生だったら、「もしも事前に入試で何が出題されるのか知ることができたら」と妄想を抱いた事、一度や二度はあるんじゃないでしょうか?紹介する事件はまさにそれが現実化したものです。


 この事件は大阪で、暴力団組員が車中でめった刺しで殺されているのを発見されたことから始まりました。「つぶやき館」から引用します。

1971年1月30日の朝、大阪西区の路上に白いアメ車のサンダーバードが止められていた。中には首を絞められ、胸など42ヶ所をメッタ突きにされた姜旭生(かんきょくせい、カンウォークセンク 40歳)の死体があった。これが日本社会を震撼させたあの阪大医学部不正入試事件の発覚の発端であった。

この頃のサンダーバードは今で言えばベンツみたいなものですかね?今でもなかなか迫力あるボディで、車があまり多くなかった当時の日本では、めちゃめちゃ目立っていたことでしょう。

 この殺人事件については、文春オンラインも記載しています。引用します。

司法解剖の結果、死亡推定時刻は前夜の午後8時頃。刺し傷に生体反応があったことから、死因は刺したあとに首を絞めた絞殺であること、そして大阪に10台しかないという豪華な外車の車内の指紋がすべて拭き取られていたことから、プロの犯行であることは明らかだった。

いやはや、いくらプロ=ヤクザによる犯行といっても、42カ所も刺した後にさらに首を絞めて絶命を図るとは、恐ろしいばかりの恨みが感じられます。一体なにがそこまでの殺意を生んだのか?

殺人事件を担当する捜査一課は西署に本部を置いて、まず被害者であるA(姜旭生のこと)の身辺を洗った。


 昭和5年、東京荒川区生まれで母に連れられて5歳のときに大阪市西成に移住。少年期から単車泥棒などのしのぎを始め、昭和23年から37年までの間に、窃盗、暴行、恐喝などで11年6カ月を塀の中で過ごし、昭和37年12月に大阪刑務所を仮出所した。

この在日韓国人は子供の頃から「札付きのワル」だったことがよくわかります。

東大阪市内でプラチック加工業や洗車ブラシ製造業を営んでいたが長続きせず、昭和42年から約1年間で蕎麦屋を手掛けるもこれもまた決して順調ではなかった。


 ところが、昭和43年頃から、突然羽振りがよくなり、八尾市内の信用金庫に無造作にゴムバンドで紙幣を束ねた1500万円を預けたという証言が行員から出て来た。発見されたサンダーバードを乗り回し、愛人2人に月30万円をそれぞれ手渡し、ミナミや新地で毎晩のように豪遊していたことが分かった。なぜいきなり、こんなにカネ回りが良くなったのか? 不審に思った捜査本部は、カネの出どころをポイントに聞き込みや捜索を続けた。

ここから事態は急展開します。

事件から数週間後、Aの愛人宅から1枚の用紙が出て来たことですべての謎が解けた。それは試験問題だった。関西の国公立大学に照会したところ、昭和45年の大阪大学の医学部の入学試験だったことが判明した。Aは数年に渡り、難関医学部の受験生の親たちに高額で入試に出る問題を売りさばいたことで巨万の富を築いていたのだ。


そして捜査員たちを驚愕させたのは、その用紙が、裁断すらされておらず、一見して印刷所から、直接持ち出したものであったことだった。大阪府警科学捜査研究所に鑑定に回すと、製本のあとが残っておらず、この仮説を裏付けた。


入学試験を印刷しているのは、あそこしかない


 事態は殺人からさらに広がった。捜査本部はAを殺した犯人もこの入試問題事件に連なる線にあるとして、知人関係に捜査の手を伸ばした。