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阪大医学部の入試漏洩事件4 〜不正入学者たちの命運

(写真は大阪市阿倍野区旭町にあった旧大阪市立大学医学部付属病院)


阪大医学部の入試漏洩事件1 〜身の毛もよだつ戦慄の展開
阪大医学部の入試漏洩事件2 〜大阪大学の狼狽
阪大医学部の入試漏洩事件3 〜一体何処で漏れたのか
阪大医学部の入試漏洩事件4 〜不正入学者たちの命運
阪大医学部の入試漏洩事件5 〜当時の大学偏差値
阪大医学部の入試漏洩事件6 〜医学部入学に狂奔した親たち
阪大医学部の入試漏洩事件7 〜同級生の証言
大阪大学・微研の研究不正と自殺(2006年)1


さてまんまと手に入れた入試問題はどう流通したのでしょうか?引用を続けます。

A(姜旭生)は一方で盗んだ入試問題を販売するグループを組織していた。接骨医や医療器具販売者、病院事務局長などを取り込んで7人の勧誘メンバーを作ったのである。

入試問題の相場をひとり800万円から1200万円で設定し、彼らを受験生を子どもに持つ医者、会社経営者などに接近、勧誘させた。そして抜け目なく同時に解答グループも手配した。これは盗んだ入試問題の正解を作成するチームで主に予備校講師や現役大学生によって構成された。


 解答が出来あがると、勧誘グループは受験生たちを「直前強化」としてホテルや旅館に試験前日まで缶詰にし、問題とこの解答を徹底的に暗記させた。この合宿費用もまた30万~50万円に設定してさらに徴収した。実はこの段階でほとんどの受験生たちは親から、何も知らされておらず、皆、試験本番で「あの問題がそのまま出ている!」と驚嘆するのである。

そりゃそうだろうよ。しかし、ヤクザの頭ではとても阪大や市大の入試問題は解けるはずもなかろうです。正解をつくった予備校教師や学生をどうやって集めたのか、不思議です。

不正受験者の数は年々増え、昭和43年は阪大医学部の不正受験者数2人(合格者1)、同じく阪大法学部の不正受験者数1人(合格者ゼロ)、昭和44年は阪大医学部8人(合格者7人)、同法学部2人(合格者1人)、大阪市立大医学部6人(合格者6人)、同商学部1人(合格者1人)、同工学部1人(合格者ゼロ)、昭和45年は阪大医学部10人(合格者ゼロ)、同歯学部4人(合格者1人)、同薬学部1人(合格者ゼロ)。

特に昭和44年は大成功の年です(犯人たちにとってはね)。

合計36人が受験し、17人が合格している。これにより2億3000万円が動いた。殺されたAが取得したのは、このうちの1億4389万円で、残りを盗み出した実行犯と勧誘グループで山分けしたと言われている。大卒の初任給が約3万1000円の時代である。笑いが止まらなかったであろう。

現在の貨幣価値にすると、その約10倍つまり20億円以上の大儲けです。姜旭生は笑いが止まらなかったでしょう。しかし昭和45年になぜ合格率が急落するのか?

昭和45年の合格率が低いのは5教科の内、3教科しか盗み出せなかったからですよ。そこで翌年は完璧を期そうとした結果、私たち警備隊が深夜にたたき起こされた昭和46年1月15日の決行に至ったわけです」

この3教科とはどれか?ですが、

昭和45年は尾崎、家弓が塀を乗り越えて刑務所に忍び込み、入試問題を盗み出そうとしたが、英語と数学がなかった

つまり、国語・理科・社会の3科目では合格できなかったということです。医学部入試で合否を分ける科目は、数学と英語(特に点差が大きくなる数学)ということが明白に示されたといえるでしょう


 さてこういう不正で入学した学生はどうなったか?まず大阪大学です。

この事件は最終的に警察から知らせてきた受験者28名のうち、合格者10名(医学部8、歯学部1、法学部1)について、不正入学調査委員会で調査事実確認を行った上で、それぞれの教授会が「入学取り消し」の処分を行った。また医学部ではこの取り消しの欠員分を、次点のため他大学に入学していた5人に対して、医学部専門課程1年に編入学させることにして終結した。

退学でも除籍でもなく入学取り消しなので、大阪大学に在籍した事実は完全に抹消されました。


 一方、大阪市立大学医学部はどうなったか?大阪市立大学学長の渡瀬譲(わたせゆずる、1907年6月29日 - 1978年5月17日)が対応しました。

学長時代の渡瀬は、研究者としてのみならず、1971年に発覚した大阪大学と大阪市立大学の医学部入試問題漏洩事件への真摯な対応が有名である。渡瀬は記者会見し、不正入学した学生に対し、涙を流しながら「学生諸君、私は刑吏ではない。ひとりの教育者として、君たちの良心を信じる。身に覚えがあるのなら、自ら名乗り出てほしい。ひとりの人間として自分自身で出直してほしい」と訴えかけた。結局、6人の学生が自ら名乗り出、渡瀬も「自主退学」という温情ある措置を取った。

この自主退学という処分は、大阪市立大の学内で相当異論があっただろうと思います。だって、本来入学するはずでなかった学生達なのに、もし経歴を書くなら「大阪市大中退」と書けますからね。渡瀬氏の経歴をみると、東北帝大理学部に入学する前、京都帝大経済学部を卒業しています。京都帝大時代渡瀬は共産主義で有名な河上肇教授に師事していますが、河上肇は人道主義者としても有名です。この温情処置には、恩師の感化もあったのでないかと感じます。


 いずれにしても、この入試問題漏洩は当時の日本社会を震撼させた大スキャンダルでした。しかし、昭和時代は大学入学がきわめて大変だったこともあって、早稲田大学や慶應義塾大学といった有名私立大学でも入試問題の漏洩事件がありました。今から見ると隔世の感があります。この件は、別項で触れます。