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日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(2)〜慶應医学部生理学教室の源流(1)

日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(1)〜京都大医学部 藤浪鑑(あきら)先生
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(3)〜慶應医学部生理学教室の源流(2)
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(4)〜慶應医学部生理学教室の源流(3)
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(5)〜慶應医学部生理学教室の源流(4)
日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか(6)〜慶應医学部生理学教室の源流(5)

私は不減衰学説の輪郭が出来上がり、 それを生理学会で発表しうることを喜びとし、また誇りと思っていた。これが私の慶應に赴任以来最初の生理学会への出席であり、そしてまた一方、 恩師石川先生から「流石は加藤はやりおった」と大いに褒めて頂けるものと信じていた。私の演題は学会初日の午前中に組まれてあった。私は得意満面、発表を終わってまさに降壇せんとした.ところが意外!石川先生は満面朱をそそいで立ち上がり、かかる幼稚な研究をもってVerworn先生(石川先生は、Verworn博士の愛弟子である)の減衰学説を批判せんとするは借越至極である。そんな不減衰学説とやらでVerworn博士やLucas博士のあの広汎な研究成果が説明できると思うか!余に二時間の時間を与えれば、慶雁の学説をこつぱ微塵に打ち砕いてみせる。どうだ!


「神経伝導の不減衰説」と申しても、今の医学生でどれくらい知っている人がいるでしょうか?そもそも電気生理学に通じているひとが多くないから、あんまりいないんじゃないかな。しかし私が生理学を学んだ時、講義でかなり最初の方で出て来ました。これは慶應義塾大学医学部創立時、生理学初代教授だった加藤元一が打ち立てた不朽の学説です。我々にとっては思い出深い話ですが、杉先生がこれを取り上げていてびっくりしました。


 まず「減衰」とはどういうことか。神経束をクロロホルムで麻酔すると、その麻酔した区間では電気信号パルス強度が徐々に低下し、区域外に出ると回復するというものです。この麻酔区間での信号強度の一定速度の低下を「減衰」とイギリスの生理学者エードリアンが定義しました。これ多分に電線中の電気信号の伝わり方が念頭にあると思います。つまりニクロム線のような電気抵抗がある導体の中を電気が流れる時、その長さに応じて徐々に電子の速度が遅くなります。電気回路でいう減衰器:アッテネータ(attenuator)ですね。それと同じイメージで神経束の中でも伝導過程で信号減衰が起こるということです。電気工学を知るひとからすれば「まあそんなものか」だと思いますが、加藤元一先生は敢然としてその常識にいどみました。


 加藤元一先生の来歴を述べましょう。1890年現在の岡山県新見市の生まれ。岡山県立高梁(たかはし)中学を経て、第一高等学校(一高)に進学。その後京都帝大医科大学に進学して1916年に卒業しました。この時首席で卒業したので、所謂「恩賜の銀時計」をもらっています。「恩賜の銀時計」とは戦前官立の学校(帝国大学や軍学校など)を優等で卒業した学生に、天皇から下賜される褒賞です。加藤先生は卒後すぐ生理学教室に入り、石川日出鶴丸(ひでつるまる)教授の門下になります。加藤先生はそこで神経生理学を学び、神経伝導の研究に入ります。優秀だった加藤先生は、1918年に京都帝大で講師に昇任後すぐ、同年に創立された慶應義塾大学医学部の生理学教室に教授として招聘されます。この時弱冠28歳です!前回述べた東大医学部薬理学の江橋節郎先生も36歳で教授になりましたが、それと比べても大分若いですね。そして慶應に移って最初に成し遂げた研究が、「神経伝導は減衰しない」でした。


 脊髄神経束は座骨神経のように太いものだと千近い神経線維の束です。神経線維の1本1本はニューロンの突起である軸索で、各種イオンチャネルやイオンポンプが働いて、活動電位が伝わっていきます。今となると1本の神経線維の伝導は電位依存性に開閉するチャネルによって「全か無」、すなわち「電流が流れるか流れないか」の二択で信号を伝えることがわかっています。では麻酔した座骨神経で「減衰」が見られたのはどういうことか?というと、「クロロホルムの浸透によって活動電位が起こらない神経線維の数が神経束中で増えるから」だったのです。神経線維は通常裸でなく、電気的に絶縁体であるシュワン細胞のミエリン鞘に巻かれています。その隙間のランビエ絞輪を伝って活動電位が起こりますが、麻酔区間が長くなればなるほど確率的に活動電位が停止するランビエ絞輪が多くなり、結果として活動電位が止まる神経線維の数が増えるというわけです。


 これを明らかにするには、神経束というマクロではなく、その中の神経線維1本を同定してクロロホルムで麻酔すればわかります。加藤先生はヒキガエルの座骨神経を丹念に解剖して1本の神経線維を剥出し、「神経線維1本なら伝導の減衰はなく、全か無のどちらか」の実証に成功しました。この成功を加藤先生は1923年九州帝大医学部で開催された日本生理学会第2回総会で発表されました。加藤先生からすればヨーロッパの一流大で流布していた減衰説を打ち破ったことに、大変な喜びを抱いていたと思います。ところが!とんでもないことが起こりました。それが冒頭の引用です。
 そして、加藤先生はこう続けます。

これを青天の霹靂といわずして何であろう。 私は恩師に何と返答してよいか言葉が見当たらず、 真っ青になって演壇の一角にしばらく立ち往生していた。 そして首うなだれて座席に帰った。 私の一生を通じてこれほど大きなショックをうけたことはない。 なぜ石川先生があんなに烈火の憤りを爆発させられたのかわからない。自分は褒められるものと信じていた。 自分の心で他人の心を付度する世間知らずの馬鹿者ではある。

日本の生命科学はなぜ周回遅れとなったのか 杉晴夫著 光文社新書 2022.04


*引用について
戦後、石川日出鶴丸(ひでつるまる)教授が三重医専(今の三重大医学部)校長に赴任した時の助手だった加藤隆平先生が立命館大名誉教授となったとき、その回想録に記載した加藤元一先生の「不減衰学説の回顧」(「生体の科学」昭和43年6月)の孫引き。なお加藤隆平先生は加藤元一先生と何の姻戚関係もありません。