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「セリ」2題 〜また来春のお楽しみ

セリは最近すごく高くなりました。一束399円なんて値段、以前はお正月前の一時だけでした。ところが、今年はずっと399円のまま。ついつい買いそびれているうちに、4月に入ってしまいました。花が上がってくると硬くなって食べられなくなります。ところが、勤め先の最寄り駅の産直市場で、なぜかシーズン最後になって沢山安く出て来ました。去年はほとんど見ないうちにシーズン終了となってしまったのですが。小ぶりなセリで、根元が赤く充実しています。


 セリはさっと火を通すで十分です。私が好きな料理はまずこれ。牛タンのセリ添えです。

牛タンは塩だれでよく焼きます。セリは刻んだ後サラダ油と塩、ガラスープでさっと火を通します。2つを合わせ、そこにこれまた今シーズンの国産レモンをぎゅーっとたくさん搾って、熱いうちにいただきます。もう絶品。日本酒がいくらでも進みます。レモンの香気とセリの香気が合わさって、牛タンの味を深めてくれます。


 今回はセリがたくさんあったので、贅沢にもセリ蕎麦。

こちらは、新潟の「栃尾の油揚げ」をざくざく刻んでそばだしで煮た後、セリを刻んでさっと火を通します。それを蕎麦に合わせる。セリって、ちょっと脂を含んだ食材と合う気がします。


 今年はすでにシーズン終了で、上記写真は4月中に撮りました。来春も美味しくて安いセリがたくさん出回るように!

東北大、研究資金の申請で虚偽疑惑 〜ヤフコメは何と言うか

国際卓越研究大学(2) 〜なぜ東北大学なのか
「名ばかりテニュアトラック」への言い分 〜「東大話法」か 東北大
東北大のテニュアトラック問題 〜東北大だけの問題でない
東北大、研究資金の申請で虚偽疑惑 〜ヤフコメは何と言うか





*医学界新聞「テニュアトラック制を活用するキャリア」(吉永尚紀 2018)の図の引用
5年間のテニュアトラック期間内の業績を評価し、高い評価なら最終的に無期雇用ポスト(テニュア)に就くことができる。5年を期限とするのは、それ以上になると法的に無期雇用に転換する義務が生じるため。ただしテニュアになっても契約上は真に無期でない場合が多い。




テニュアトラック制度はアメリカを真似てできたものですが、アメリカでのテニュアトラック終了時でのテニュア移行率は通常8割くらいと言われています。東北大のテニュアトラック制度に関しては、こんな資料が公開されています。


東北大学にテニュアで残る研究者は30%とかなり低いです。もちろんテニュアとして東北大にとどめようとしたのにもっと良い条件が外部から提示されて転出した可能性もあるとは思いますが。


アメリカの場合テニュアトラック制度で採用された時点で、大学側はテニュア移行に必要な人件費も予算化しており、本人が期待に応える業績を出せばそのままテニュアに移行します。ところが日本ではそういったポスト、およびそれに必要な人件費などほとんど計上しないで運用を始めたので、こういう結果になったのでないでしょうか。私が非常に不思議に思うのは文科省はどういう審査で、こういったテニュアトラック制度創出支援金を配分したのか?です。その場しのぎのお金とは別に、終了頃には何かそういう人件費を配分できるあてがあったのでしょうか?アメリカの場合、テニュアになると文字通り定年まで終身雇用ですが、給与は十分でないことが多いです(教育活動をおこなう9ヶ月〜10ヶ月分相当)。従って学外のグラントを申請して研究費をとり、その中から自分の収入を補填したり、もっと高いテニュア給与を出してくれる他大に転出することもあります。ですからテニュアになったからといって安穏とはせず、その後も自ずと研究に励むシステムになっています。


さて東北大の虚偽テニュア制度の報道に対してヤフコメは何と言うでしょうか。


epsilon5日前


前にも本件の記事を読み,投稿したように思う。だからくりかえしになるだろうが,「制度を作った当時の執行部は『椅子が空くだろう』と甘く考えていたが,予想が外れて現執行部が困りはてた」という状況なのではないか。それだけなら人事計画のミスだが,「制度がある」として補助金をせしめたのは,まずいだろう。


私は,自分自身が最初は助手だったから言うのだが,「助教」の椅子を増やすべきだと考えている。私は「事実上の任期付き」で他大学に出たが,制度的には首切りはない。昇任を望まなければいわゆる「万年助手」として居座り,最低限の研究環境と収入は保証される。いま国立大学の俸給表を調べてみたが,月給は最高40万円ほどもらえるようだ(勤続年数が増えてもその額で頭打ちになる)。


TVドラマ『ガリレオ』の物理学研究室にいる栗林宏美(演者:渡辺いっけい)が,優秀な後輩に昇任で先を越されてしまった万年助手の見本。

このepsilonは他のコメントを読むと、東大の理系を卒業してどこかの地方大教授を務め上げた方と見えます。このコメントは正鵠を射ています。まず一番問題は文科省がこういうテニュアトラック制度を発足させるため助成金を出したはいいが、実際のテニュアポストをどう捻出するかのfeasibilityをまったく吟味してなかったことです。例え国立大学であったとしても、文科省が新たなテニュアポスト創出のために運営交付金を増額するなんて発想は絶対にない。だとすると、大学は既存のポストにいた教員が辞めるのを待って、その空きポストを大学として管理しテニュア審査を待って合格した人にそれを提供するしかないです。その目論見が破綻したということでしょう。
 ただし、epsilonが勘違いしていると思うのは、「昇任を望まなければいわゆる「万年助手」として居座り,最低限の研究環境と収入は保証」です。今教授未満の職位で無期雇用の職位がある国立大は地方大学に限られます。研究が重視される東大や京大などのいわゆる「研究大学」ではテニュアポストといっても「有期」です。5年より短い任期が設定され、任期終了の度に審査・契約更改の可否決定です。5年未満なのは無期雇用転換を抑えるためですが、さらに同じ職位での契約更改の回数を2回までとか抑えているところも多いです(つまり昇任できなければクビ)。さすがに教授職は5年以上の任期がほとんどで事実上無期雇用に転換されますが、中には最初の5年任期で打ち切り解雇という事態もありえます。ありえますというか実際ありました(富山大。裁判になった)。そもそもテニュアトラック制度を設立したのは、旧帝大系の研究大学がほとんどで、地方大学はあまりありません。だからテニュアトラック失敗→「万年助手(=今の助教)」はまずないです。ですから、

str********3日前


万年助手って...国立・私立ともに、そんなシステムはとうの昔になくなっていますよ。昇進を望むと望まざるとに関わらず、雇用契約が数年で設定されています。期間が過ぎれば、契約に則って、容赦なく雇用終了です。そして多くの大学では、助教も数年任期ですので、助教のポストを増やしても同じことです。

が正しいです。

b*****5日前


>「万年助手」として居座り

こうなると、世間(学会)では、「札付きの問題研究者」ではないかというレッテルを貼られますので、どんなによい論文を書いても、人情人事の日本ではどこも採用してくれません。実際、問題を抱えている人も少なくない。


それで、大学としてはお荷物なので、外で海の物とも山の物ともわからない新設学部や大学が立ち上がるときに、学部長など偉い人から体のいい推薦書を持たされて、追い出されるのが関の山。

いっその事、見ず知らずの海外に挑戦すればいいと思うのだが、そういう勇気も無い。

ああ、こういう人いましたよね。今はもう居ないけど。


ga******4日前


なぜ日本の国立大学で本当のテニュアトラック制度を実施するのが困難なのか、誰かその理由、メカニズムを明らかにしてください。予算が足りないからポストが足りないせいだと思っていましたが、国際卓越当たってある程度の予算が与えられても、卓越予算は終身ポストを作れるほど安定した予算ではないということなのでしょうか?

国際卓越研究大学はファンド運用益による研究費という餌で釣ってはいますが、大学まるごと政府管理にするのが目的の制度だから、そんなことに金なんか使いませんよ。毎年ファンド運用益が違うだろうし、第一今の10兆円ファンドの構想ではこれからも運用益自体出るかどうか甚だ怪しい。


die2秒5日前


出来もしない目標掲げてお金もらって欺瞞的なやり口でやったフリ。10兆円ファンドも高い目標掲げて取ったということだが、こういう詐欺臭いやり口が横行するのだろう。研究不正と同根。その場しのぎの嘘でお金もらおうってことだろ?

元学長が捏造やった大学だし、不正への意識が低いんじゃないか。研究成果の前に、教育機関としてまずはモラルをしっかり持ってほしい。

東北大学の前学長の井上明久氏の研究不正の疑惑は、いまだ決着してないです。wikiから引用します。

井上 明久(いのうえ あきひさ[1][2]、1947年9月13日[1][2] - )は、日本の金属学者[1][2]。東北大学第20代総長[13]、同総長特別顧問[14]。専門は金属物性、無機材料・物性、構造・機能材料[6]。アモルファス合金や金属ガラスに関する研究で知られるが、研究不正が疑われている[5][15][16]。中華人民共和国国務院千人計画に参加。

今引用して、井上氏が中国の千人計画に参加していることを知りました。こういう東北大学が国際卓越研究大学に選出された経緯はきわめて不自然だと思っています。


pcx********5日前


「東北大学テニュアトラック制度はテニュアトラック制度ではないので、誤解のないようにしていただきたい」と理事は言っていますが、本来は大学側が語弊を招かないように表現に注意すべきことだと思います。まるで国会答弁のような詭弁で、国立大学の見解としてはどうなのでしょうか。

ええ、まさに「東大話法」いや「東北大話法」か。


ckh********5日前


東北大学でもどこでも、素晴らしいのは個々の研究と学生個々人です。優秀な人が集まる事と大学の経営手腕が良いかは全く別の話なのに、大学ごとに序列を付けて補助金を与えると言う文科省の考え方がそもそもおかしいです。

何言いたいんだ?意味不明。東北大、マンセー??


map********4日前


最近の東北大は一般受けはするけれど、中身の乏しい擬似科学っぽい研究テーマが多い気がする。東北大が東大京大より卓越しているとはとても思えず、卓越大認定は一旦棚上げにした方が良いと思う。

qkr********4日前


適当に東北大の教授の引用論文数とか調べたらまともな論文がほとんどだってわかりませんかね笑

とりあえず疑似科学っぽい論文何個か教えてほしいです!


qkr********4日前


東北大であった疑似科学っぽい研究テーマ10個教えてください!

東北大人は逆ギレしてキーキー言う前に、井上明久前学長の問題に白黒決着つけたらいかがですか?


ryz********3日前


記事を読むと、東北大の「テニュアトラック」という試みも絵に描いた餅のように思われますが、それを言うなら文科省の「国際卓越大学」という構想自体がどっちもどっちという思いがします。いずれ雲散霧消してしまうのではないでしょうか。

これ、まったく同感。「研究費で釣ったはいいが、餌がなくなった」となり、あとは政府監視による大学の過酷な管理が始まるのでないか?


ハリマオ5日前


記事書いている人、研究者の世界、理解してないんじゃないですか?


将来が保障されている、ポスドクなんかありませんよ?諸外国は分かりませんが、それは日本にいる限り、東京大学も京都大学も同じです。


そもそも高い競争の中で研究する人達が、将来は安泰なんてあるはずないし、そんな理解でポスドクなんか選択する人は、多分、マトモな研究者にはなれません。文部科学省も、東北大学の担当者も同じ認識のはずです。


記事を書くなら、もう少しお勉強した方がいいと思いますよ

ポスドクの将来は保証されてない。それはその通りですが、ポスドクはそもそもテニュアトラック制度に乗っていません。今はテニュアトラック制度を話題にしていて、論点がずれています。


kh4********4/23(火) 10:50


この記者は何度もこの件をしつこく記事にしている。よほど悔しいのだろう。始めたばかりの制度で東北大も試行錯誤であると思う。あちこちしつこく騒ぎたてる問題でもなる。この記事を検索するとあらゆるところでこの件を書き立てているがさして誰も問題視していない。時間をかけて改善していく問題である。

shu********4/23(火) 16:37


「そうなれば、東京大学や京都大学を差し置いて、東北大学が卓越大の第1号となり」

思わず「差し置いて」と書いてしまっている部分に、本音が表れているように感じます。

「トンペーごときが、調子に乗りやがって!」

こんな感じで、よほど悔しいんだろうなと。だから必死に騒ぎ立て、なんとかして認定を取り消したいのかな。

ただ、文科省側は問題視している様子はないので、決定が覆ることはないでしょうね。

レベルが低いな。今回東洋経済が指摘している問題は、東北大に限った問題ではないのだよ?もし東北大人のコメントだとすると、そんなことも理解できないと、政府や文科省の手玉にとられますよ。


とりあえず、これくらい。文科省の東北大のテニュアトラック制度の疑義に関してこれ以上調査しないそうです。しかし、それは当然だわな。だって、前回も書いたようにおそらく文科省の助成を受けてつくった全国の大学のテニュアトラック制度が似たような顛末になったはずだから、調査なんかしたら大炎上になります。

東北大のテニュアトラック問題 〜東北大だけの問題でない

国際卓越研究大学(2) 〜なぜ東北大学なのか
「名ばかりテニュアトラック」への言い分 〜「東大話法」か 東北大
東北大のテニュアトラック問題 〜東北大だけの問題でない
東北大、研究資金の申請で虚偽疑惑 〜ヤフコメは何と言うか


東洋経済の記事です。東洋経済は昨年の東北大テニュアトラック問題の取材で、小谷もと子氏の木で鼻を括ったような答弁に相当腹を据えかねていると思われます。今回はその続篇と言えるべき内容です。

卓越大内定の東北大、研究資金の申請で虚偽疑惑、「名ばかりテニュアトラック」で卓越研究員採択


政府が若手研究者の安定雇用促進を目的に実施する「卓越研究員事業」に、東北大学が要件を満たさない雇用制度で2019年度と2020年度に申し込み、研究支援の補助金を得ていた疑いが極めて濃いことが東洋経済による取材で分かった。

テニュアトラックとは、研究機関が若手研究者を将来的に無期雇用になれるチャンス付きの有期雇用で受け入れる制度をいう。


 まずは3~5年程度の有期雇用でスタートするが、その期間内に、”もれなく””公正な”審査を受ける機会を与える必要がある。そして、審査に合格すれば「テニュア」と呼ばれる無期雇用のポストに昇格させる。


 あらかじめテニュアトラックの採用人数と同じ数のテニュアのポストは確保しておき、合否は相対評価ではなく絶対評価で決める。つまり、若手研究者本人が結果さえ出せば必ずテニュアになれるというスキームで、アカデミアの世界では国際的に認知されている。当然、文部科学省もそのように明確に定義している。


〜中略


 東北大学が2018年度に創設し、2020年度まで学際科学フロンティア研究所で実施していた「東北大学テニュアトラック制度」が、本来のテニュアトラックではない問題については、2023年秋に東洋経済オンライン『卓越大内定・東北大が「名ばかりテニュアトラック」』で報じた。


制度の趣旨とかけ離れた実態について、東北大学の小谷元子理事は、「東北大学テニュアトラック制度はテニュアトラック制度ではないので、誤解のないようにしていただきたい」などと弁明。東北大学の制度は、名称にテニュアトラックという言葉を使っているが、「本来の制度とは別物の独自のもので、元から研究者にはテニュア審査の機会を与えるとは約束していない」などと説明していた(『東北大、「名ばかりテニュアトラック」への言い分』)。

あの小谷氏の「東北大学のテニュアトラックは普通のテニュアトラックとは異なるものである」のぶっ飛び回答には、読んだ大概のひとは呆れたと思います。「牽強付会」とはまさにこういうことといったこじつけ答弁でした。

2019年度と2020年度分に関して雇用条件の欄などに「東北大学テニュアトラック制度に基づく雇用」「学際研を活用した『東北大学版テニュアトラック制度』により卓越研究員を採用する」などの記載があった。


 そのため、東北大学に対して、「卓越研究員事業の申請書にある東北大学テニュアトラック制度は、本来のテニュアトラック制度ではないため、卓越研究員事業の採択要件を満たしていないのではないか」と質問したところ、「文科省の示す要件に基づき申請を行い、審査の結果、採択されている」(広報室)と文書で回答があった。


 2019年度や2020年度と、小谷理事が東洋経済のインタビューに応じた2023年秋では、同じ東北大学テニュアトラック制度でも中身が違うとでもいうのだろうか。

ここまでの東北大学の主張を時系列に整理すると以下のようになる。

(註 元文のままだと読みづらいので少し改編した)


・(2019年の文科省のヒヤリングに対する説明)

「東北大学テニュアトラック制度は、あらかじめテニュアポストを確保している本来のテニュアトラック制度である」


・(2023年秋の東洋経済の取材に対する回答)

「東北大学テニュアトラック制度はテニュアトラック制度ではない。あらかじめテニュアポストを用意していない」


・(2024年(今回)の東洋経済の指摘を受けた文科省・髙見室長への説明)

「東北大学テニュアトラック制度の研究者でも、卓越研究員事業に申請したものは、本来のテニュアトラックである」


 つまり、東北大学テニュアトラック制度はテニュアトラック制度ではないが、例外的に一部、本来のテニュアトラックでの雇用が存在していたことになる。

東北大学は自分たちがつくったテニュアトラック制度にも関わらずその制度説明が二転三転しており、非常に苦しいです。

しかし、東北大学のこうした説明を真に受けることはできない。


 東北大学は当時の卓越研究員事業の申請書に、テニュアトラックで採用された若手研究者が審査を経てテニュアのポストに昇格できる条件について「優れた業績を有すると認められた場合」という本人への評価のみにとどまらず、「かつメンター部局(理学部や工学部など受け入れ先の学部)の採用計画に合致する場合」と記していたからだ。この申請書の記述内容からみても、東北大学が卓越研究員事業に申請したポストはやはり、あらかじめテニュアポストを用意していない名ばかりテニュアトラックだったように映る。

研究者の雇用問題に詳しい一般社団法人「科学・政策と社会研究室」の榎木英介代表は、「東北大学の主張は詭弁、後付け、言い訳にしか見えない。これが国際卓越研究大学になる大学なのかと唖然とする。こうしたやり方を許せば研究の世界でのモラルハザード(道徳観や倫理観の欠如)につながる。東北大学には組織体として問題があり、国際卓越研究大学に値するものではない」と指摘する。

榎木氏が仰る通りです。


 ただし、私が知る限り、こういった「名ばかりテニュアトラック制度」は東北大学ばかりではなかったようです。1例を挙げると、名古屋大学のテニュアトラック制度もまったく同じような推移となり、大半の教員が任期終了時テニュアポストを得ること無く名古屋大学を去ったそうです。


 また、慶應義塾大学でも「咸臨丸プロジェクト」と称して始まったテニュアトラック制度で同じような顛末がありました。現在は慶應医学部の神経内科教授となった中原仁氏は医師向けサイトでその実態を暴露しています。

30歳の時には、文部科学省の補助金で始まったテニュアトラック制度に乗って特任講師になり、自分の研究チームを持ちました。

当時、文部科学省が、「テニュア」(大学等における教職員の終身雇用資格)の前に5年間評価期間を設ける「テニュアトラック制」に補助金を出すことになり、慶應もそれに手を挙げました。僕は10人いる一期生の一人として、2008年12月から慶應の「咸臨丸プロジェクト」で特任講師を務めていました。

 文部科学省への申請書類では10人のうち上位5人を「テニュア」にする計画でした。中間審査と最終審査があって、10人中、僕はたしか2位で、当然テニュアになるはずでした。

2012年秋にテニュア最終審査があって合格、「来春から准教授」と聞いていたのですが、その前年(註2012年)の12月の教授会でひっくり返された。テニュア予算がないとのことで、事実上、内定取り消しになったのです。

実際には「そんな金はない」ということで、トップの1人だけが「テニュア」になって、残る9人は全員がクビになってしまったのです。多くが元いた教室に戻ったのですが、私が出身の解剖学教室では定員の枠が空いていなかった。実は「テニュア最終審査」の直前にある研究所から誘いがあったのですが、「テニュア」になる件があり断ってしまいました。何とか復活できないかと思ったけれど、ダメだった。

これ、ほとんど詐欺というか詐欺そのものです。中原氏はそのまま失業して路頭に迷うはずでしたが、ここで救いの手が差し伸べられました。

中原:臨床研修の2年間はすごく苦しかった。終わったときに記憶しているのは、「休みがほとんどなかった」ことと、「銀行口座の残金が10万円くらいしかなかった」こと。けれども学ぶべきものがたくさんあって、今の臨床研修ではやらせてもらえないような、挿管とかカテとかもたくさん経験した。せっかく獲得した技術を失ってしまうのは惜しい気がした。しかし、病院に所属して当直までを担当すると、研究が進まない。だから研究の傍ら、訪問診療を手伝わせてもらうことにしました。


 なので、それなりの臨床技術は維持していましたし、患者を診ることに不安はなかった。子どももいたし、無職というわけにいかない。正直「どこでもいいから、働ける病院を探さなければ」と考えた。けれども、当時は内科認定医も、神経内科専門医も持っていなかったので、いい年になって大学の臨床教室に戻るのは不可能だと思っていました。


 そんなときに、僕の前任教授である鈴木則宏先生からこう言われたのです(註 鈴木則宏氏は当時慶應医学部神経内科の教授だった)。


 「中原、お前、人生やり直せ


 「講師から、助教に降りろ。それさえお前がのむのだったら、神経内科で採用する。あとは俺が何とかしてやる」


 鈴木先生は、僕が卒後2年目の時に北里大から慶應大の神経内科教授に就任され、その時に挨拶はしていました。その後、私は基礎にいたので「つかず離れず」の関係でした。鈴木先生は教授会に出席していたから僕がクビになったことは分かっていたのです。


司会:それで神経内科に戻り、臨床を再開された。

結局中原氏は神経内科学教室の助教となり、辛くも路頭に迷う運命を回避しました。

講師から助教になったので、給料もものすごく下がった(笑)。

しかし、そうはいっても中原氏は医師免許があったからこそ助かったといえます。まったく特別な免許がないただのポスドクだったら、失職→無職となったでしょう。運が良くて予備校の先生、運が悪ければ実家で引きこもりしかないです。話は逸れますが、今医学部に優秀な学生がどんどん行ってしまうのは勿体ない、理工系に優秀な人材がもっと行ってほしいという声をよく聞きます。しかし、研究に進んだ優秀な理工系研究者には、大学にいる限り「失職」というリスクが常につきまといます。これじゃあ、医学部に行くなという方が無理でしょう。一般人はこういう研究者の過酷な実態をまったく知らず、普通のサラリーマン人生と同じだと思っている節があります。


 上記のように中原氏は臨床の助教になれたものの、その後の道も決して平坦なものでなかったです。年齢的に遅くなってから臨床の道に復帰したため、大変な苦労をしたことが語られていますが、その部分は割愛します。