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東京医科歯科大学(4) 〜M君のこと

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東京医科歯科大学(2)
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大学受験で浪人時、駿台予備校で親しかった友人で抜群にできるひとがいました。後で知りましたが彼M君は東京学芸大学附属高校卒で、ある有力私立医大に受かりながら休学して、東大理3を狙っていました。駿台全国模試でも全国順位が常時20番以内で、そもそもなんで去年理3に受からなかったの?と思う成績でした。受験間際までその勢いで今年は鉄板で受かるだろうと思ってました。ところが1月の共通一次終了後、突然「医科歯科に出願する」と言い出しました。何でも数学でマークミスをしてズレてしまった可能性があるとのことで、自信がないと言います。彼みたいな完璧な答案をいつも仕上げる人物がまさかと思いましたが、決意は固かったです。今と違って共通一次初期は、「国公立大学は1校しか受けられない」時代だったのです。A・B日程とか前期・後期分離分割入試とかで2校以上受けられるようになったのは、ずっと後の時代のことです。彼と親しかった同じく理3狙いの東大法学部卒の方も「お前が変えるなら、俺も医科歯科に変える」と言って、2人とも医科歯科受験に変更しました。優秀なので駿台教務部から考え直すよう随分言われたようですが、結局2人とも医科歯科を受験して合格し、入学しました。その後も僕はM君と付き合いがあり、時々飲みに行ったりしてました。しかし高学年になり専門の勉強に忙しくなると、なかなか会えなくなりました。そんなある晩夏ですが、同じく予備校仲間で京大医学部に進んだ友だちK君から突然電話がありました。医科歯科に進んだM君が死んだというのです。寝耳に水でした。続けてK君が言うには、「しばらく前から国府台の医科歯科教養部近くに下宿していて、そこで死んだらしい」とのことでした。詳しい状況が判りませんでしたが病気ではなく、どうも自殺と思われる雰囲気とのこと。死後1週間くらいの発見だったとのことですが、夏の暑い時期だったので遺体は腐敗して大変な状況になっていたと思います。K君は既に都区内の自宅まで行ってお悔やみしたとのことですが、父上の淡々とした態度が気になったと申しました。自殺した彼M君は、浪人時代親の並々ならぬ期待も背負っているようなことを言ってましたが、その時の父上はそれとまったくそぐわない諦念したかのような印象だったとのことです。


 ここからは憶測ですが、東大でなく医科歯科に進学したことはその後もずっと親子間の確執の原因になっていたのでないでしょうか。都区内在住なのに高学年になり学生生活が御茶ノ水中心になってから、わざわざ市川国府台(医科歯科の教養部がある場所)に下宿した点も不審です。また思い返してみると、彼の死は医科歯科の教授選を巡って連続した汚職事件が起こり、マスコミでも大騒ぎになった事件の後でした。「そういう感じなので、君はお悔やみにうかがわない方がいいかも」と言われました。私は心の中で西に向かって手を合わせ冥福を祈りました。医科歯科には知り合いや友人が今も多いですが、40年経つ今彼の事を訊いても誰も知りません。もう大方の忘却の彼方に沈んでいるのでしょう。もしも彼が死なずに今医師をしていたら、どうなっていたかな。あの当時東大と医科歯科は相当な差がありましたが、今は随分違います。それなりに満足できる医者人生になっていたのでないでしょうか。ついでに言うと当時の東大は一次配点が110/550点でしたが、足切り後は一律7割の得点で勘定した、つまり共通一次の得点差は事実上無視されていたと言われます(随分後年になって文部省にそれが発覚し、きちんと点数計算するように指導を受けたと言われています)。もしそれが事実なら一次の数学で失敗したって理3の足切り点など難なくクリアしていた彼に、理3受験に支障は「まったくなかった」ことになります。あれだけ優秀だったのにまことにもったいないという思いが、ずっと抜けません。なお一緒に医科歯科に入った東大学卒の方(Iさん)は精神科に進み、現在大学教授をしておられます。医科歯科在学中に洗礼を受けてクリスチャンとなり、死生学について関心を持たれて研究や著作があります。もしかして、彼の死も契機として関係あるのでしょうか。


 人生にはいろいろなことがあります。楽しいこともつらいことも。でも、長く生きれば楽しい思い出が段々貯まってくるでしょう。早いうちに人生を諦めたり、ましてや自死してしまうことは勿体ないです。うまくいかない、あるいは望み通りにならなくても、そのうちきっと良いことがあります。受験生の皆さんも是非そう思って頑張ってください。